オトカツは、今年に入って毎月ある新月の日に神社の参拝を行っています。
新月の日って、これから月が満ちることから、新しいことを始めたり願掛けに行ったりするのにいい日なんですよ。
今月は、新宿にある日枝神社さんに行ってきました。
そもそも日枝神社って
さてちょっと日枝神社について調べてみましょう。
江戸山王の始源は古く鎌倉初期秩父重継が江戸貫主を名乗り、館に山王社を勧請し、文明年中太田道灌が城内鎮守神と尊崇し、さらに徳川家康江戸入府に際し将軍家の産土神と崇め、社殿を造営し、神領を寄進(600石)、その祭礼山王祭は、「天下祭」「御用祭」とも称され、日本三大祭の一とされた。明治元年東京奠都と共に准勅祭社とされ、皇城の鎮護の神として官幣大社に列せられ、武蔵野開拓、大江戸の鎮護の神として広く都民の尊崇を集めている。(東京十社めぐり)
この「秩父重継」という人、江戸重継とも言い、東京周辺を「江戸」と呼ぶ理由の一つのようですよ!すごい!
太田道灌が江戸城築城の際、鎮守の神となったのですね。すごい!
新宿日枝神社について
新宿は、鎌倉時代から佐倉道、陸前浜街道、柴又への道などへ分岐する街道の要所であり、新宿日枝神社もそのころには鎮守として存在していたようです。
そばを流れる中川は、江戸時代にも改修され流れが変わったこともあり、新宿日枝神社も現在の場所に移転したようです。
山王鳥居について
ちょっと変わった鳥居ですよね。
この鳥居、山王鳥居っていいます。
山王信仰の象徴であるため、山王鳥居と呼ばれています。
山王信仰とは、最澄が比叡山に天台宗を開いた折、唐の天台山の守護神「山王元弼真君(さんのうげんひつしんくん)」にちなみ、既に比叡山の守護神としてご鎮座されていた日吉大神を「山王権現」と称する、神仏習合の信仰です。
独特の鳥居である事から、分霊社の中にはこの鳥居を模して建立する例も少なくありません。(日吉神社HP)
とあります。
そうか、山王信仰というのは比叡山を介した神仏習合の信仰なんですね。
山王神道というのも、調べてみると面白そうですね。
神猿がいました
手水、水が流れていなくて、あれ?と思ったのですが、なんと近づくとセンサーで水が出るようになっていました。
この水が出るところ、猿なんですよ。
なんで猿?というところですが、
日枝神社の社殿には、ほかの神社と大きく違う特徴があります。
それは、境内に狛犬ではなく「猿」が置かれているところです。
猿は、もともと神様と人間のあいだをとりもつ存在として、昔から敬われる存在でした。
大山咋神が山の神ということもあり、同じく山の守り神とも呼ばれる猿が使いとして重宝されていたようです。
「さる」という音から勝る(まさる)」「魔が去る(まがさる)」とも考えられ、勝運の神や魔除けの神として置かれています。
音読みの「えん」という音から、猿が「縁(えん)」を運んできてくれると考え、商売繁盛や縁結びの祈願を受けに来る方も多くいます。(日枝神社HP)
「魔が去る」「勝る」とは、うまくまとめたものですね。
もうひとつ、参拝する際にゆらす鈴。
普通は大きなひとつの鈴がついているのですが、この新宿日枝神社の鈴は、巫女さんの持つ巫女鈴みたいですね。
巫女鈴は本来、空間を清めるために振るもののようですね。
なかなか、やさしいいい音の鈴ですよ。
また水戸街道を通るときに寄ってみようっと。