2016年8月13日土曜日

[大人のかつしか有名人] 『戦国自衛隊』の作家半村良は、本田原町(東立石)出身、新宿4丁目育ち。



今回の葛飾有名人は、SF作家の半村良さんです。


1933年、本田原町生まれ。現在の東立石であります。



本田原町ってどのへんかなぁ、と思ったら


まさに中川の河原ぞい。


10歳頃まで本田原町で育ち、疎開で石川県にいたものの、戦後新宿4丁目に越しています。


両国高校卒業後、職を転々としながらも、



1975年、『雨やどり』で、SF作家としてははじめての直木賞受賞。


意外なことにこの作品は人情話です。



その前年には、『戦国自衛隊』を出版しています。


半村良さんの、葛飾での足跡としては、『葛飾物語』という長編小説があります。


2002年に亡くなった半村良さんの、最後から2作目の集大成のような作品です。


葛飾の路地で寄り添い暮らした長屋の面々が、それぞれの悲しみと別れを乗り越えて今年もまた、春野家の当主の命日に集う。下町を舞台に人々の哀歓を謳った長篇小説。時代の奔流のなかで、逞しく生きた庶民の昭和史。(書籍内容データベース)

ちょっと読みたくなってきました。


Amazonで買ってみますね。


2016年8月12日金曜日

[大人の新小岩] 日本料理の名店「翠祥」でいただく 「鯛の唐揚げ夏野菜あんかけ」。


今回は、新小岩で名店の地位を築いている「新日本料理 翠祥」です。


もう何度もこのブログでも紹介しているお店ですが、今回は季節のお料理をいただきましたので紹介します。




鯛の唐揚げ夏野菜あんかけ


もうメニューみたときから、即決で食べたくなりました。


鯛は春先のイメージがありますが、春から夏にかけての鯛は唐揚げにしてこの料理のようにアレンジすると、みごとにおいしくたべれますね。


夏野菜も、茄子や瓜、オクラ、ピーマンなど盛りだくさん。


これらの野菜を生姜の味が生きたあんでまとまっています。


生姜のすっきり感と季節の夏野菜が、夏の強い日差しで傷めつけられた体と心(?)を癒やしてくれます。


鯛の唐揚げとこのあんかけが実によくマッチしています。


この一品を食べただけでも、なんとなく夏の終わりを感じさせます。


新日本料理 翠祥
ジャンル:小料理
アクセス:JR総武本線(東京-銚子)新小岩駅北口 徒歩9分
住所:〒124-0023 東京都葛飾区東新小岩5-14-1 サカエコーポ106(地図
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情報掲載日:2016年8月19日

新日本料理 翠祥割烹・小料理 / 新小岩駅
夜総合点★★★★★ 5.0

2016年8月11日木曜日

[大人の柴又] ナポリピッツァの原点「マリナーラ」を食べる。夜はもっとおいしいみたい。


今回はピザです。


柴又の「Pizzeria Luna e dulce」は、いままでも何度かこのブログでも取り上げてきました。


ピッツァ生地の上で、意外な素材の組み合わせが醸し出す味わいが魅力のナポリピッツァ。


本場ナポリから認められた職人の技が、この魅力を出してくるので、毎回どんな組み合わせか楽しみにしています。


しかし、今回伺ったのは「マリナーラ」が目当てでした。


マリナーラとは「船乗りの」という形容詞。


船の長旅でもトマトの酸味で腐らず食べれるようにと工夫されたソースがマリナーラソース。


潰したトマトにオリーブオイル、ニンニクなどで味付けされたこのソースを載せて焼いたマリナーラピザは、ナポリピッツァの元祖、原点とも呼ばれているようです。


Pizzeria Luna e dulceのおかげでナポリピッツァの大ファンとなった私としては、この原点とも呼ばれるマリナーラピザを食べないわけにはいきません。


トマト中心のソースなのですが、ちょっとスパイシーなのはオレガノのインパクトでしょうか。


シンプルなのに豊かな味わいのマリナーラピザは、まさにナポリピッツァの真骨頂。


八つ切りのピッツァはあっという間に無くなってしまいました。


しかしです!


どうやら夜のマリナーラピザはもっとうまそう!



行くたびにワクワクするPizzeria Luna e dulceには脱帽です。




・火曜~金曜 ランチ 11:30~14:30(L.O14:00) ディナー17:30~22:00(L.O21:30) 
・土曜、日曜、祝日 ランチ 11:30~14:30(L.O14:00) ディナー17:30~21:00(L.O20:30) 
・定休日 月曜日(祝日の場合は翌日)

Pizzeria luna e Dolceピザ / 柴又駅新柴又駅京成高砂駅
昼総合点★★★★★ 5.0

2016年8月9日火曜日

[大人の新小岩] 日曜日の新小岩中華難民を救う店はココ!「珍来 新小岩店」



今回は、新小岩の中華料理です。


新小岩で「中華料理が食べたいなぁ」となったら、オススメは「大三元」です。


しかし、「大三元」は日曜日定休。


日曜日のランチにどこにいくか。


これは長いこと悩める問題でした。


今回の「珍来 新小岩店」は「大三元」につづくうまい中華料理を食べさせてくれます。



新小岩駅南口駅前のルミエール商店街を入って、かなり奥の右手。


はじめて入る中華料理屋さんで頼むのは「中華丼」。

ごはん多め、女性向けというよりは男性向け。


白菜、たけのこ、うずらの卵、玉ねぎ、ニンジン、豚肉、そしてミートボールが入っています。


餡はやや甘め。


たくさん食べるにはいい味です。


そして珍来が店頭にも掲げる「名物餃子」。


焼き餃子ですが、小籠包のように汁が中に閉じ込められたうまみたっぷりの餃子。


これは癖になるかもしれません。

珍來 新小岩店
ジャンル:ラーメン
アクセス:JR総武本線(東京-銚子)新小岩駅南口 徒歩5分
住所:〒132-0031 東京都江戸川区松島4-46-9(地図
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情報掲載日:2016年8月17日

2016年8月8日月曜日

[大人の一丁目一番地(16)] 新宿(にいじゅく)1-1に行ってきたよ。ここは常磐線が通るまでの交通の要所。道中奉行が支配した新宿に栄華を見る。


今回は新宿です。



中川の東岸からの水戸街道の南北、そして常磐線の北側現在の東京理科大学周辺あたりまでのエリアを指します。





新宿は、葛飾区唯一の宿場町。


江戸時代には「陸前浜街道」の宿場町であり、「水戸佐倉道」との分岐点でもありました。


「陸前浜街道」とは現在の水戸街道を指します。


現在の国道6号線ですが、ルートは今の道路とはかなり違います。


陸前浜街道

この地図の赤い線が、陸前浜街道。斜めに走る紫の線が現在の水戸街道。下に降りる青い線は後述する水戸佐倉道です。


新宿の宿

千住の宿を出ると次が、この新宿の宿。


新宿の宿は、東海道などの五街道同様、道中奉行の管轄地。


道中奉行管轄の宿は、それ以外の宿と違って、駅伝などで使われる馬が常備され、一里塚が置かれ、街道に並木があるなど、幕府の意向が反映された宿でした。(新宿には本陣はありません)


新宿の宿は、治安の意味もあり、直線ではなくカギ型の街になっています。


宿としての旅籠は4件だけだったようですが、地域の中心地であったことは間違えありません。


江戸方面から、「上宿・中宿・下宿」と街の名前が分けて付けられており、繁栄の様子が伺えます。


wikipediaより

水戸佐倉道の分岐点

新宿の宿のもう一つの特徴は、水戸佐倉道の分岐点ということです。


新宿に始まり、葛飾区を南東に下って行き、江戸川を渡って千葉に入る水戸佐倉道は現在の「成田街道」です。

水戸佐倉道

高砂に「桜道中学校」がありますが、学校名の由来は「水戸佐倉道」にあります。


常磐方面の農産物を運ぶ水戸街道がある上に、房総方面の野菜や肴を運ぶ成田街道の分岐でもあった新宿は、それなりに反映していたに違いありません。


同じ葛飾地域でも、五街道と同じ格が与えられていたという特別な土地だったような気がします。

明治17年中川橋開通と常磐線


また明治17年になって中川に架けられた「中川橋」は有料でありました。


開通当時の中川橋

これらの繁栄があったからでしょうか。


常磐炭田から石炭を運ぶために常磐線が敷かれることとなった時、新宿にも駅を作る話がありましたが、街道と中川橋で繁栄してきた新宿は駅の設置を断っています。


これにより1897年9月に亀有駅ができ、12月には金町駅ができて、新宿は駅に挟まれる形となってしまいました。


現在では水戸街道も新しく設備されてしまい、また本陣もなかったことから、現在は宿場町の形跡は見つけづらくなっています。





2016年8月7日日曜日

[大人の一丁目一番地(15)] 細田1−1に行ってきたよ。旅客化が期待される新金線って、昔はなんのための線路だったの?


今回は、細田一丁目一番地です。


細田は、新中川沿いに広がる住宅街ですが、旅客鉄道の駅もなく、バス路線も京成小岩駅前からスポーツセンターに抜ける道にしかない、交通の便が不足気味のエリアです。



しかし単線の貨物線が一本通っています。


この線は新金貨物線といい、日に4本程度貨物列車が通過します。




この路線は小岩(新小岩ではない)と金町をつないでいます。

wikipediaより

この路線図にあるように、新小岩駅と小岩駅の間にある「新小岩操」と書かれたところにある「新小岩信号駅」で折り返す路線です。


この貨物線はなんのために、作られたものだったのでしょうか。


新金貨物線は1926年(大正15年)に開通します。


小岩から折り返す必要から、同時に「新小岩操車場駅」も開業しています。


じつは総武線が隅田川を渡るようになるのは1932年(昭和7年)です。



それまでは旅客も両国駅で降りて、東京市電(都電)に乗り換えて、両国橋を渡っていました。


もちろん貨物路線もありません。


千葉県の貨物物流は、すべて北千住まわりでした。l


しかし、北千住から千葉方面には常磐線しかなく、房総方面からの物流はかなり不便なものでした。


そこで、総武線と常磐線を結ぶ線路として、新金線が作られました。


1932年に総武線が隅田川をわたっても、じつは高架線の勾配が急で貨物列車に使うことはできず、新金線は長い期間貨物物流に重要な役割を果たしていました。


今では日に四本程度の貨物列車と、イベント列車などに使われるだけとなってしまいましたが、区民の足として使われる日が来るかもしれませんね。