今回は、堀切1丁目1番地です。
堀切という住所表記は広いですね。
現在でも、南に四つ木、北に足立区と接する南北に広い地域です。
しかし荒川の向こうには、東武線の堀切駅があるぐらいですから、荒川が開通する大正初期にはかなり広い土地を指していたのではないでしょうか。
1900年頃の堀切周辺です。
この頃は、「南綾瀬村」というところに属しており、名前通り綾瀬の南側でした。
現在の堀切の住所は、この南綾瀬村のほとんどを引き継いでいるようです。
堀切といえば菖蒲園
上図に赤い印をつけたのは、堀切周辺にあった「菖蒲園」です。
現在は「堀切菖蒲園」ひとつだけが有名ですが、太平洋戦争以前にはこのあたりにはいくつもの菖蒲園がありました。
菖蒲園のエピソードについては
過去の記事を参考にしてくださいね。
さて、堀切菖蒲園。
荒川が開通する前には、堀切菖蒲園にもっとも近い駅は、東武伊勢崎線の堀切駅でした。
荒川が開通したことで、東武伊勢崎線は葛飾区の対岸となり、堀切駅は川の向こうとなってしまいました。
東武伊勢崎線堀切駅は、近所に鐘淵紡績(旧カネボウ)の工場がありかなり賑わっていたことが予想されますが、観光地としての堀切菖蒲園が捨てがたかったのか、駅の前から荒川を渡る橋をかけています。旧堀切橋ですね。現在の高速道路のあたりです。
明治大正までのピクニック
堀切菖蒲園にかぎらず、どうやら江戸時代のころには、「大川(隅田川)の向こうの菖蒲がたくさんある所」として、ピクニック気分で訪れるエリアだったようですね。
もともと堀切周辺は、江戸に花を売りに行く「花農家」が多かった場所。
春になって、気候も良くなって、「花でも見に行こうか」なんて気分になると、堀切に行ったのかもしません。
当時は細い綾瀬川しか通っていませんでしたので、粋な江戸の人たちは、綾瀬川に船を浮かべて菖蒲を楽しんだに違いありません。