森永乳業は、2月1日に、東京工場(葛飾区)の生産中止を発表しました。
森永乳業株式会社(代表取締役社長:宮原道夫)は、近畿工場および東京工場での生産を中止いたしますので、お知らせいたします。
1.生産中止の理由
当社は2016年10月28日に、「利根工場の新棟建設および神戸工場の製造ライン増設」に関する設備投資を発表いたしました。このたび中期経営計画に掲げております基本方針「資産効率の改善および合理化の推進」に則り、全社的な生産拠点再編の一環として近畿工場および東京工場の生産を中止することといたします。
(2)東京工場
①所在地 東京都葛飾区奥戸1-29-1
②開設 1957年(昭和32年)4月
③従業員数 162名(契約社員含む)※2018年1月末現在
④工場規模 敷地面積 61,060㎡ 建築面積 24,123㎡
⑤生産量 64,300kl(2016年度)
⑥生産品目 牛乳、乳酸菌飲料、デザート、クリーム、ロングライフ豆腐など
ニュースリリース
この工場のあった場所は、戦前より「日本建鐵」という会社の工場でした。
日本建鐵は、三菱系の会社で、戦前は軍用機や海軍の部品を作る会社でした。
1951年 3月 日本建鉄(株)(東京都葛飾区奥戸本町1,000番地)の土地建物を買収(森永乳業社史より)
森永乳業は1951年3月、この土地を買収し、東京工場としました。
葛飾に工場を置くことは、水運にも恵まれるメリットもあり、戦前からさまざまな工場が進出してきています。
葛飾区が、現在のように工業地帯として発達を遂げた原因は、その立地条件にありました。
当時、物資の運送手段は、陸運より水運が特に重要視され、江戸川、中川、荒川、綾瀬川に囲まれた葛飾区は最もその条件に適したのです。
三菱製紙、江戸川化学(現在の三菱ガス化学東京工場)、日本紙業(現在の日本板紙)、日本建鉄(現在の森永乳業東京工場の場所)、浜野繊維、宮本染色、新理研工業、那須アルミ、東洋インキ、ミヨシ油脂等の各工場は、いずれも中川、綾瀬川の舟運を利用する関係から設立されたものであり、また、舟運のみならず、これらの川の水を利用する工業として製紙業、染色工業、布さらし工業などが発達しました。(葛飾区HP)
生産中止は2021年。
地元に根づいた工場がなくなるのはさびしいですね。