過去の「葛飾検定」はこちら。
柴又帝釈天のそば、「寅さん記念館」の向かいにある「山本亭」。
多くの作家にも愛されてきた山本亭ですが、
山本亭ってそもそもなに?山本さんって?
というわけで調べてみました。今回の葛飾検定は
第25問:日本でも有数の庭園のある山本亭。ある精密機器の部品製造で財を成した主の館だが、その部品とは?
さて、問題にもある「精密機械の部品製造」の会社とは、合資会社山本工場と言います。明治から続く会社ですね。リンクにもある通り、四代目社長のもと今も各種部品製造(金属塑性加工)を続けていらっしゃいます。
沿革を見ると、二代目社長は特許10件、実用新案60件を申請し、紫綬褒章まで受賞なさっているのですね。
立派な会社です。
さて、この合資会社山本工場と山本亭の関係については、この記述が詳しいですね。
この建物は、地元ゆかりの合資会社山本工場 (カメラ部品製造)の創立者山本栄之助翁の住 宅として建てられ、山本家四代目に亘る居宅と なっていたものを昭和六十三年に葛飾区が取得 したものです。
山本家はもと浅草の小島町(現・台東区)に ありましたが大正十二年の関東大震災で被害を 受け、その直後柴又のこの地に移転してきたも のです。
建物は、木造瓦葺き二階建てで床面積は一階 400平方M、二階50平米Mに地下室、土蔵、 長屋門等からなり、大正十五年から昭和五年の 間、数次に亘る増改築を重ね現在の姿となって います。その様式は都内でもめずらしい伝統的 な書院造りから洋風建築までの広がりをもって います。
また庭園は、縁先近くに池泉を、背後には、 緑濃い植え込みと築山を設け、滝を落とすとい う典型的な書院庭園の様相を見せています。 (面積890平米M)
山本亭は大正末期から昭和初期の時代精神が 見事な調和を保っており、その文化財的価値は高く評価されています。(出典:いい東京)
大正末期から昭和初期という、明治維新から戦前までの間で一番日本がすごかった時代の建物なのですね。
また山本亭は、建物はもとより書院庭園も高い評価を得ています。
270坪の典型的な書院庭園は、米国の日本庭園専門誌「Sukiya Living〜ランキング調査(2014年)で、第3位に評価されています。全国900カ所以上の旧所名跡、旅館、旧別荘が対象となっているこの調査において、順位が公表された2003年以降、山本亭は常に7位以内にランクインしています。(葛飾観光ポータルサイト)
http://www.ee-tokyo.com/kenzoubutsu/yamamototei/yamamototei.html
じつは山本亭は、昨年後半から2016年いっぱい、全館工事のため休館中です。
リニューアルした山本亭、待ち遠しいですね。
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