2016年12月30日金曜日

[大人の一丁目一番地(30)] 一丁目一番地は最終回。立石1-1に行ってきたよ。



さて、大人の一丁目一番地は最終回です。


最近は駅周辺の再開発やセンベロブームで有名になっている立石ですが、歴史が深くまた歴史に流されてきた町でもあります。


立石駅の南側には奥戸街道が東西に通っていますが、この道は古墳時代の頃より古東海道と呼ばれ、浅草あたりから房総方面へ伸びる主要街道でした。


この時代の主要都市であった関西方面からの情報や物資は、陸路ではなく海路で房総半島から関東地方に運ばれてきていたため、この古東海道沿いのある立石は古くから街があったようです。

立石様:かつまるガイドより

立石の名前の由来ともなっている立石様。


もとはこの周辺にあった古墳に使用する石で房総半島から切りだされてきた物のようです。



現在の立石の「呑んべ横丁」周辺は、戦後の闇市で人が賑わったあたりから出来上がった飲み屋街という印象ですが、どうやらもう一つ大きな理由があったようです。


日本では献血制度が主流となる1960年台後半まで「売血」という制度がありました。


1回血液を売ることで3,4日暮らせる程度のお金がもらえたことから、やみつきになる人もいたようです。


立石には日本製薬葛飾工場がありここで血液製剤を造っていたことから、売血者が跡を絶たなかったようです。

五木寛之さん


作家の五木寛之さんも、貧乏だった時代には売血に訪れていたようでした。
立石の製薬会社に、しばしば血を売りに行ってピンチをしのいだ。 この売血というやつは、肉体よりも、精神に悪い影響を及ばすものらしい。出かけて、二百CC抜いて、手取り四百円ほどもらってくると、二、三日は働かないで済む。つい習慣性におちいりやすい危険があった。....四百円を握りしめてたんぼ道を帰ると、遠くの景色が傾斜して見えた。もう二度と血を売るのはやめよう、とそのときに考える。だが、またどうにもならなくなると、京成電車に乗るのだった(『わが人生の歌がたり 昭和の青春』より)

そんな立石もいよいよ2017年から再開発が本格化しそうです。


また変わっていく立石を記事にしていきたいと思います。

2016年12月21日水曜日

[大人のお花茶屋] 企画展「セルロイドの町 かつしか」を見てきたよ。



今回は、葛飾区郷土と天文の博物館で開催されている、「セルロイドの町 かつしか」展を見てきましたよ。







葛飾区郷土と天文の博物館は、京成お花茶屋駅から歩いて10分弱。




駅から少し離れていますが、曳舟川親水公園沿いのとても静かなところにある博物館です。


建物の屋根にこんもり乗っているドームはプラネタリウムです。


いろいろなプラグラムで天文の世界を垣間見ることができます。




さて今日は、葛飾の20世紀前半を支えてきたセルロイド工業が展示されている「セルロイドの町 かつしか」を見に来ました。


まずは、展示の趣旨をみてみましょう。

わが国では大正初期から昭和40年代にかけて、セルロイド素材の生活雑貨や玩具などが生産されていました。特に葛飾区では、セルロイド玩具の生産が盛んで、四つ木、立石などに多くの工場が存在していました。 この特別展では、葛飾区のセルロイド産業の状況や技術について、当時携わった人々の視点を通じて紹介していきます。日本の近代化を支えたセルロイド産業の歴史や文化を再検討する機会となればと思います。 特別展示として、「世界で初めて作られたビスク製キューピー人形」が展示されます。ぜひご高覧ください。(ホームページより)

展示されているのは、セルロイド製品の作り方や、代表的セルロイド人形のキューピーコレクション、生活用品の中に溶け込んでいるセルロイドなどをみることができます。


会場は撮影禁止でしたので、ここでは日本のセルロイドの歴史から紐解いてみましょう。

  • 1913年 永峰セルロイド工場(亀有)創業
  • 1914年 亀戸ローヤル創業
  • 1920年代、セルロイド生産世界一に
  • 1954年 米国で可燃物質規制法可決。セルロイドの米国輸出ができなくなる。

実際には1955年にはセルロイド工業はまったくの下火になってしまったようです。


セルロイドは加工しやすいというメリットがある一方、燃えやすいという欠点がありました。

白木屋大火災

1932年の日本橋白木屋の火災も、製品のセルロイドに引火したことから大火災となりました。


葛飾区内でも、セルロイド工業が盛んだった40年間は火災が多かったようです。


キューピー人形

さて、セルロイドというとキューピー人形ではないでしょうか?


今回の展示では、このような人形の製造工程も見ることができます。


キューピー人形などは、セルロイドの間に空気を入れて胴体の膨らみを内側から作るのですね。


セルロイド製品って人形だけじゃないみたいです。

アコーディオンの胴体

メガネのフレーム

万年筆の胴体

いろいろ使われてきたんですね。


セルロイドならではの手触り、色合いなどが魅力なのですが、1960年代以降はプラスチックなどの新素材にとって代わられているようです。


この展覧会は2017年1月9日まで。


ぜひ葛飾の20世紀前半を支えた産業を振り返ってみてください。



葛飾区郷土と天文の博物館
休館日
  • 月曜日(祝日の場合は開館)
  • 第2・4火曜日(祝日の場合は開館し、その直後の平日は休館)
  • 年末年始(12月28日~1月4日、1月2日・3日は正午~午後5時のみ開館。)


2016年12月18日日曜日

[大人の葛飾有名人] 平野ノラの葛飾時代はバレーボール漬けの日々



今回の葛飾区の有名人は、平野ノラさんです。


先日テレビで葛飾区の人だと知ったところです。


2016年下半期ブレイクした、バブル芸人さんですね。


この芸人さんのネタでは、「バブリー50音」が好きです。



平野ノラさんは1978年10月生まれ。


1980年代終わりのバブル時代はまだ10代だったんですね。


いろいろ研究してこのネタを手に入れたんでしょう。


小学校の時、お母様のきっかけで「東金町ビーバーズ」に入部。


東金町ビーバーズは、全国大会で優勝するほどの強豪チーム。


ここでバレーボールに明け暮れたのち、金町中学へ。


金町中学もバレーボールの強豪校ですね。


そして、高校は修徳高校


修徳高校もバレーボール推薦だったようです。


出身やお住まいは違ったようですが、コテコテの葛飾の人です。


女性芸人は体を張ることも多くてタイヘンだと思いますが、がんばって活躍し続けて欲しいですね。



[大人の新小岩] 新小岩最強のコスパランチならここ!「肉屋食堂たけうち」



今回は平日ランチに新小岩南口をぶらぶら。


味よし、値段よしのお店探していたらありました「肉屋食堂たけうち」


今日はここでランチです。


場所は新小岩駅南口の繁華街の中。


駅を出て正面のルミエール商店街の右側徒歩5分ほどの場所です。





外装もきれいなこのお店。


それもそのはず、この場所での営業は今年の夏からです。



もともとは、新小岩駅北口にあった「牛や」。


牛や時代はカウンター席8つぐらいで厨房も狭い小さなお店でしたが、マスコミの取材もよく入る人気店でした。


この牛やさんがこの夏満を持して、南口の繁華街どまんなかに移転して店名も装いも新たに営業しています。



さてランチ。


お店の外看板はこんなかんじ。


ヒレカツ+豚汁で650円!


豚丼で500円!


テンションあがってきました。




店内に入ると、カツ丼800円の張り紙も!



悩んだ挙句、今日は「ヒレカツ+豚汁」にしました。


豚汁があたたまります。



ヒレカツも分厚いこと!


3センチぐらいの厚みがあるでしょうか。


サクッと挙がっていて飽きが来ない味。


ご飯の大盛りも無料です!


お店は新しくなっちゃったけど、お店の人の笑顔や気配りは「牛や」時代のままなのが、また魅力ですね。



関連ランキング:牛丼 | 新小岩駅


肉屋食堂 たけうち牛丼 / 新小岩駅
昼総合点★★★★ 4.5

2016年12月13日火曜日

[大人の新小岩] やっとこれた!新小岩ハンバーグの名店「ウッチーズ」




今回は、以前から行きたかったお店。


新小岩「ウッチーズ」です。


お店は新小岩駅南口の繁華街のなかにあります。


ルミエール商店街の西側です。


駅から歩いて5,6分とアクセスもとてもいい。



お店は決して広くありません。


カウンターのみ10席程度。はじっこに座って撮影してみると、こんなかんじ。



今回はランチでしたので、このランチメニューから。


やっぱりハンバーグだなぁと思っていたのだけど、メニューを見たら「ダブル」とあります。


お店の方に聞いてみると、ひとつ150グラムのハンバーグが2つ乗ってくる!とのこと。



悩んだ挙句、今回は煮込みハンバーグ150グラムシングル。



ランチには、ご飯と具だくさんお味噌汁、お漬物がついてきます。



ハンバーグは、丁寧に手捏ねされた生地のハンバーグ。


口に入れると、とっても優しい味。


ゴツゴツ系のワイルとハンバーグもいいのですが、こういう優しいハンバーグもいいですね。



店内にはハンバーグメニューがたくさん。


夜の営業では、グラムでハンバーグが頼めるようですよ。



次回は夜に来てみたいですね。


ごちそうさまでした。


ウッチーズ
関連ランキング:ハンバーグ | 新小岩駅

ウッチーズハンバーグ / 新小岩駅
昼総合点★★★☆☆ 3.5

ウッチーズハンバーグ / 新小岩駅
夜総合点-

2016年11月25日金曜日

[大人の一丁目一番地(29)] 柴又1-1に行ってきたよ。京成金町線は京成電鉄創業の路線だった。



今回は、柴又一丁目一番地に行ってきました。



柴又1-1はもっと金町寄りか帝釈天のそばにあるのかな?と思っていましたが、意外にも京成高砂の車両検査区のそばでした。


柴又については帝釈天を中心に話題は尽きないのですが、今日は京成金町線のおはなし。


京成金町線は「都内唯一の『途中駅を持つ』単線路線」だそうです。


途中駅とは柴又駅ですね。


都内に単線路線は、足立区の東武大師線などもありますが、途中に駅を持つのは京成金町線だけだそうです。


さてこの京成金町線。


支線のような扱いですが、実は京成電鉄創業の路線でもあります。


京成電気軌道(現在の京成電鉄)は1909年に創立し、1912年11月に「押上‐市川(江戸川からは渡し船)」と「曲金(高砂)‐柴又」(京成金町線)を開業します。


しかしそれに先立ち、同じ年1912年の4月には「金町‐柴又」で営業していた帝釈天人馬鉄道を買収しており、現在の京成電鉄で初めて営業した路線は京成金町線ということになります。


帝釈天人馬鉄道ってなに?っていう方はこちらを参考にしてくださいね。ちょっとびっくりな路線です。


日本の私鉄は、神社仏閣への参拝客を運ぶ路線となっているものが多いですね。


京成電鉄も成田山への路線を申請しましたが、成田まで延伸されるのは1920年代。


都内では有数の人気観光スポットでもあった帝釈天への路線が大きな収入源となっていたようです。

2016年11月23日水曜日

[大人の一丁目一番地(28)] 亀有1丁目1番地に行ってきたよ。大工業地帯から大変貌の街



今回の一丁目一番地は、亀有です。


亀有は、金町と並んで葛飾北部の中心地的存在ですね。


亀有1-1は、意外にも駅から遠いところにありました。


なんでここなんでしょうねぇ。


閑話休題


亀有駅の乗降客数も長い間(30年間以上)一日の乗降客数3万人台後半で推移していましたが、3年前はじめて4万人台となり、昨年は41,000人を突破しています。


まだまだ大きくなる街のようです。


ちょっと歴史を遡れは、亀有は1970年台までは葛飾最大の工業地帯でありました。


中川からの用水が使え、また水運を活用でき、鉄道でも都心までつながっている地の利に優れた土地だったからでしょう。


亀有周辺には、「三共製薬亀有工場」「日本紙業」「日立製作所」(大谷田)「三菱製紙」(金町)などの大工場がありました。

1960年代の亀有周辺
この地図は、1960年代の亀有駅周辺の大工場を表しています。


左上の大きな円から時計回りに


日立製作所(大谷田)


三菱製紙(金町)


日本紙業


三共製薬


です。


これだけの工場があれば、亀有駅周辺が栄えないわけありませんね。


おそらく数万人の工場で働く人たちが亀有駅を利用していたに違いありません。


しかし、これらの工場も70年代後半以降、時代の流れとともに撤退していきます。


日立製作所→中川下水処理場→中川公園


三菱製紙→東京理科大学その他


日本紙業→アリオ亀有


三共製薬→東部地域病院


日本紙業については、以前ブログで書いたことがありましたので、ご参考になさってください。ブログはこちら

はじめにも触れましたが、亀有駅の不思議なところは、工場がなくなって労働者が減っていったにも関わらず、駅の利用者が減少していない点です。


70年代までの工業地帯から21世紀には、住宅地、ショッピングゾーンへとうまく移行できた街なのかもしれません。


そう言えば、亀有駅から日立製作所まで、貨物支線が出ていた時代があります。


この地図の赤い線が、貨物引き込み線です。


金町から三菱製紙にも支線が延びていたように、大きな工場には製品や原材料を貨物で運ぶ需要が大きかったのですね。


地図で見ると、戦前からこの引込線はあったようですので、はじめは軍事用に引かれたのかもしれませんね。


この引込線の跡地を一度たどってみたいと思っていますが、もうあまり残っていないようでちょっと残念です。(この話題はこちらのブログが詳しいです)


さて、この一丁目一番地シリーズもあと2箇所を残すのみとなりました。


今年中に30箇所を踏破できたらいいですね。

2016年11月22日火曜日

[大人の立石] コスパ最高!味も特上!立石で焼肉ランチならココ!




今回は立石です。


午前中からスポーツクラブ行っちゃったこともあって、早い時間から「今日は焼肉ランチだな」と思っていました。




立石に来たなら焼肉ランチはココ「牛坊」ですね。


京成立石駅から市役所方面に歩くこと3分ぐらい。


お店に入ったのはまだ12時前でしたのですぐに座れましたが、お店を出た12時過ぎには行列ができるほどの人気店です。




お店の前にランチメニューが出ていました。


マキという字が目立ちますね。


マキとは
牛のリブロース芯に巻き付くように位置する部位。 リブロース芯と比べると大味でサシが多い。肉の旨味があり、一噛みで肉汁が溢れ出す。焼肉店ではなかなかお目に出来ない希少部位。

だそうです。


ランチメニューの2,3,4にマキが使われていますね。推し部位のようです。


午前中からカルビ!カルビ!と思っていたので、今日のランチは4番「上カルビ+上マキの定食」に決まり!


店員さんは番号でオーダーして欲しいようでしたので、番号を覚えておいたほうがいいですよ。




注文すると程なく運ばれてきました。


これで1000円です。いいボリュームですね。



この肉厚、このボリューム。


一枚一枚、大切に焼かせていただきます(笑





カルビもマキも、ともにジューシーで味がしっかりしているので、タレをつけずにいただきます。


サラダ、ナムルなど野菜系もついているのがうれしいですね。


牛坊はいつも外れることなく満足感いっぱいでお店を出ることができます。


きっとまた来ちゃいますね。

関連ランキング:焼肉 | 京成立石駅青砥駅

2016年11月17日木曜日

[大人の一丁目一番地 (27)] 東水元一丁目一番地に行ってきたよ。戦後しばらくまでは水元地域最大の住宅密集地




今回は東水元一丁目に行ってきました。


このエリアも住居表示がほとんどなく、トップ画像も交差点の写真となってしまいました。




地図にあるように、東水元は水元公園の西側に南北にながーい街です。


トップ画像の東水元1-1は、一番南の金町駅よりの南水元交番の交差点にあります。


東水元は、戦前ぐらいまでは葛飾区の常磐線から北エリアでは、もっとも集落の集まったところ(水元村)だったようです。

小合溜の豊富な水量と、水元村(水元小合溜から飯塚までの広いエリア)のほとんどを占めた広大な水田に挟まれた東水元は、今も残る延命寺を中心とした村でした。


昔からの集落だったこともあり、寺院の多いエリアです。熊野神社、 日枝神社、 薬師堂、 延命寺、長伝寺、 蓮蔵院、 南蔵院、遍照院などがあります。


南蔵院は、縛られ地蔵で有名ですね。


縛られ地蔵の記事は、こちらからどうぞ。


さて、この一丁目一番地の記事も27個まできました。


葛飾区の一丁目一番地はちょうど30個です。あと3つ、年内に書き終わりたいと思っています。

2016年11月13日日曜日

[大人の新小岩] いよいよ来週末は「かつしかフードフェスタ」! 吠えるLilicoに泣く内山!この二人なに者?



いよいよ来週末19日と20日は、

かつしかグルメを食いつくせ!

かつしかフードフェスタ

です。


フェスタの情報は、こちらのバナーからみてくださいね。

かつしかフードフェスタ 2016

今年はタレントさんもいろいろ来るようですし、賑やかになりそうですね。


フードフェスタの顔は、トップのポスターのとおり、Lilicoさんと内山くん。


この二人は葛飾に縁のあるタレントさんなんですね。




ご存知内山信二くんです。


最近ではデブタレントですが、子役の時から有名ですね。


1981年葛飾生まれです。


フジテレビ「あっぱれさんま大先生」の生徒役でしたね。


この番組、1988年から2004年まだ続いた番組でした。




内山くんは看板子役でしたが、ほかにも山崎裕太や前田愛(六代目中村勘九郎の奥さん)なども出演していました。


一方のLilicoさんは、スウェーデン人のお父さんと日本人のお母さんのハーフ。お父さんはスウェーデンの貴族の血を引く方だそうです。


1970年スウェーデン出身。


18歳の時にお母さんの故郷でお祖母ちゃんが住んでいた葛飾に移住してきました。


フードフェスタ当日はこのお二人もいらっしゃいますから、もりあがりそうですね。

2016年11月12日土曜日

[大人の一丁目一番地(26)] 宝町1丁目1番地に行ってきたよ。宝町にはアノ経営者も修徳高校出身のプロ野球選手もいた。



今回の一丁目一番地は、宝町です。


「宝町」というと、都営浅草線の宝町駅を思い浮かべる人もいると思いますが、葛飾で宝町といえばココ。



現在の京成本線お花茶屋駅の南に広がる

宝町の地名は以前、「宝木塚」という場所でした。


西光寺を中心として、南北に神社(八幡神社、稲荷神社)を構える村です。


東に水量豊かな曳舟川を持つ恵まれた田畑が広がっていたと思われますが、宝町の地番えのエリアの半分ぐらいは、宝木塚村の居住地域だったようです。


現在「宝木塚」の地名は神社にも残っておらず、かろうじて宝木塚小学校に名前が残っていますね。


宝町といえば、「おもちゃのタカラ」ですよね。




先日タカラ創業者の佐藤安太さんの著書を読み、ブログにも書きました


まさに戦後の成長期にビニール産業で飛躍した、時代の波に乗った経営者でしたね。



そして宝町が産んだプロ野球選手といえば、現在中日の三ツ俣大樹選手ですね。


宝木塚小学校ー大道中学ー修徳高校と進学後、甲子園は逃したもののドラフトではオリックス2位で指名された選手です。


プロの壁に悩んでいるようですがまだ24歳です。がんばってほしいですね。