2017年7月31日月曜日
[大人の立石] 【NHK BSプレミアム 東京ディープ】豊田エリーが立石を歩く
今回のNHK『東京ディープ』は、立石でしたね。
街を歩くのは、女優の豊田エリーさん。豊田エリーさん、立石初めてだそうです。
番組で歩いたところ
2016年12月21日水曜日
[大人のお花茶屋] 企画展「セルロイドの町 かつしか」を見てきたよ。
今回は、葛飾区郷土と天文の博物館で開催されている、「セルロイドの町 かつしか」展を見てきましたよ。
葛飾区郷土と天文の博物館は、京成お花茶屋駅から歩いて10分弱。
駅から少し離れていますが、曳舟川親水公園沿いのとても静かなところにある博物館です。
建物の屋根にこんもり乗っているドームはプラネタリウムです。
いろいろなプラグラムで天文の世界を垣間見ることができます。
さて今日は、葛飾の20世紀前半を支えてきたセルロイド工業が展示されている「セルロイドの町 かつしか」を見に来ました。
まずは、展示の趣旨をみてみましょう。
わが国では大正初期から昭和40年代にかけて、セルロイド素材の生活雑貨や玩具などが生産されていました。特に葛飾区では、セルロイド玩具の生産が盛んで、四つ木、立石などに多くの工場が存在していました。 この特別展では、葛飾区のセルロイド産業の状況や技術について、当時携わった人々の視点を通じて紹介していきます。日本の近代化を支えたセルロイド産業の歴史や文化を再検討する機会となればと思います。 特別展示として、「世界で初めて作られたビスク製キューピー人形」が展示されます。ぜひご高覧ください。(ホームページより)
展示されているのは、セルロイド製品の作り方や、代表的セルロイド人形のキューピーコレクション、生活用品の中に溶け込んでいるセルロイドなどをみることができます。
会場は撮影禁止でしたので、ここでは日本のセルロイドの歴史から紐解いてみましょう。
- 1913年 永峰セルロイド工場(亀有)創業
- 1914年 亀戸ローヤル創業
- 1914年 千種セルロイド工業創業
- この千種セルロイド工業が葛飾のセルロイド工業の始まり。
- 1918年 関口セルロイド加工所創業
- のちの「株式会社セキグチ
- 1920年代、セルロイド生産世界一に
- 1954年 米国で可燃物質規制法可決。セルロイドの米国輸出ができなくなる。
実際には1955年にはセルロイド工業はまったくの下火になってしまったようです。
セルロイドは加工しやすいというメリットがある一方、燃えやすいという欠点がありました。
白木屋大火災 |
1932年の日本橋白木屋の火災も、製品のセルロイドに引火したことから大火災となりました。
葛飾区内でも、セルロイド工業が盛んだった40年間は火災が多かったようです。
キューピー人形 |
さて、セルロイドというとキューピー人形ではないでしょうか?
今回の展示では、このような人形の製造工程も見ることができます。
キューピー人形などは、セルロイドの間に空気を入れて胴体の膨らみを内側から作るのですね。
セルロイド製品って人形だけじゃないみたいです。
アコーディオンの胴体 |
メガネのフレーム |
万年筆の胴体 |
いろいろ使われてきたんですね。
セルロイドならではの手触り、色合いなどが魅力なのですが、1960年代以降はプラスチックなどの新素材にとって代わられているようです。
この展覧会は2017年1月9日まで。
ぜひ葛飾の20世紀前半を支えた産業を振り返ってみてください。
葛飾区郷土と天文の博物館
休館日
- 月曜日(祝日の場合は開館)
- 第2・4火曜日(祝日の場合は開館し、その直後の平日は休館)
- 年末年始(12月28日~1月4日、1月2日・3日は正午~午後5時のみ開館。)
2016年4月29日金曜日
[大人の一丁目一番地(4)] 東四つ木1-1を散歩してきたよ。東四つ木の話からセルロイド?
今回の一丁目一番地は、東四つ木です。
行ってビックリ。
こんな端っこにあったなんて!
中川と綾瀬川の合流地点ですね。
真上をハープ橋が通っていて、とっても迫力があります。
おそらく1-1-1は上の地図の赤い枠の中で、下にとんがった部分だと思うのですが、住所表示がありませんでしたので、トップ画像の1-1-13の写真を撮ってきました。
1-1-13は四ツ木聖地苑の場所ですが、中川中学校の向こう側には浄光寺木根川薬師があります。
木根川薬師といえば、荒川掘削時に場所を移動したエピソードを思い出しますが、区内でも文化財の多いお寺でもありますね。
青龍山浄光寺は天台宗に属し、「木下川の薬師さま」として広く親しまれてきました。その創建は古く、葛飾区内で4番目に永い歴史を持っています。 浄光寺はかつて、いまより西北約600mのところにありましたが、荒川放水路の開削工事のため、大正8年(1919)5月、現在地に移ってきました。その後、関東大震災や太平洋戦争によって諸堂宇や寺宝に被害を受けますが、そのたびに復興を遂げ、信仰を育んできました。
毎年4月8日には植木市が開かれ、周辺から集まった多くの人びとでにぎわいます。 また昭和58年(1983)には本格的な文化財調査が行われ、翌59年、文化財14件がいっきょに葛飾区指定文化財になりました。52年と53年の指定と合わせ、現在指定文化財16件を数え、区内で有数の文化財の宝庫となっています。浄光寺HPより
さて、東四つ木全体を見渡してみると、この地区には工場がおおいですね。
今の渋江公園のところにあった千種セルロイド工業をはじめとする、大正から昭和にかけてのセルロイド工場の多くは四ツ木にあったみたいですね。
セルロイドは、ニトロセルロースと樟脳 を原料として作られますが、日本はその頃台湾を統治下においていたことから、台湾から大量の樟脳を葛飾区の工場に持ち込み、工業化したのですね。
セルロイド製品といえば、キューピー人形、食器の取っ手、万年筆、ピンポン玉などですね。
モンチッチで有名なセキグチも、はじめはセルロイド玩具会社でした。
いまはセルロイドを作る工場は(おそらく)ありませんが、東四つ木はたくさんの工場がひしめき合っています。
(参考)
Wikipediaセルロイド
葛飾区HP葛飾区工業の歴史
東京・葛飾のセルロイド加工業の産業集積
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