[大人の堀切] 堀切菖蒲園に一番花が咲いたので、堀切菖蒲園ヒストリーをどうぞ


万年録三郎と小高伊左衛門


徳川家は代々花が好きだったこともあり、江戸は花栽培が盛んになります。

小高園は赤丸のあたりにあった。
現在の「新葛飾ロイヤルクリニック」の裏あたり

江戸郊外は花農家が点在しましたが、堀切村の小高伊左衛門も花を栽培して江戸に売りに行く花農家でした。


花栽培に熱心だった伊左衛門は珍しい花を探すようになり、花菖蒲の新作を作っていた万年録三郎と出会います。


伊左衛門は録三郎と交流を深めていくにつれ、堀切村のはずれにあった菖蒲園「小高園」の菖蒲は種類も増え、19世紀の江戸では有数の行楽地となります。
長生殿(奈良県HPより)


録三郎の代表作「長生殿」も伊左衛門の「小高園」で株を増やしていくこととなります。


菖蒲の最盛期


菖蒲園の最盛期は、明治から大正にかけての時期のようです。
菖蒲園番付
加茂荘花鳥園HP


堀切には、小高園のほか武蔵園、吉野園(四ツ木、現在の四ツ木中学校の敷地)、観花園、堀切茶寮などいくつもの菖蒲園があったようです。


写真のような菖蒲園番付までできていました。


また明治天皇の命により明治神宮御苑花菖蒲園もできています。


明治維新後は、小高園は菖蒲を米国に輸出するまでになっています。


堀切周辺は隅田川、荒川、綾瀬川、曳舟川など水利もよかったのですね。


第二次大戦から現在


そんな菖蒲園も第二次大戦の物資不足から、米を作る田んぼに転換されていきます。戦後すぐの時期には、菖蒲園はひとつもなくなっていました。


しかし小高園のスタッフは、菖蒲の株を足立区などに「疎開」させていました。


昭和28年小高園を復興し、現在の地に菖蒲園を開園しますが、戦後の人口増加や水質の悪化にともない、経営が悪化します。


昭和34年、菖蒲園は東京都の経営となり、昭和50年からは葛飾区が管理しています。


今では200種6,000株の菖蒲を鑑賞することができます。


6月1日からは堀切菖蒲園祭です。


たのしみですね。

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