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2020年2月22日土曜日

[大人の立石] 「わがまち楽習会2020 - 立石の観光と宿泊(5回目:最終回) 「葛飾区の観光的取り組み」


わがまち楽習会「立石の観光と宿泊」

今回が5回め、最終回でした。

「葛飾区の観光的取り組み」と題して、第2回にも登壇なさった葛飾区観光課の谷口榮さんのお話でした。



室町時代からの交通の要所

立石、青砥、高砂エリアは、都心や羽田、成田などのアクセスがよくそれが強みとされている。しかしこれは現代に始まったことではなく、このエリアは鎌倉時代から要所だったとのこと。

足利時代、関東地方に睨みを効かせるために神奈川県鎌倉に公方を置いたが、公方は転々とし、江戸時代直前には葛飾区青砥の葛西城にあった。

なぜ青砥に移転したか。
それは、古東海道が東西に走っていただけでなく、東京湾に流れ込んでいた、東遷前の利根川や荒川との交点でもあったからです。



古東海道については、こちらの記事も参照してください。

葛飾の観光資源

他の自治体から見ると、葛飾は観光資源に恵まれているようです。
  • 寅さん(柴又)
  • こち亀(亀有)
  • 水元公園(金町)
  • 菖蒲園(堀切)
  • 呑兵衛横丁(立石)
  • キャプテン翼(四ツ木)
  • モンチッチ(新小岩)
  • リカちゃん(青戸)
  • トミカ(青戸)
たしかにたくさんありますね!
亀有などは外人さんが、こち亀の銅像めぐり(14体あります)をしている姿もちらほら見かけます。うまく活用されるといいなぁ。

今後の観光政策

谷口さんは、葛飾区の観光政策として、
などを挙げていました。

最後に、観光で大切なことは「金が落ちる」ことではなく「人的な交流の促進」が大切だとおっしゃっていたのが印象的でした。

2020年2月15日土曜日

[大人の立石] 「わが町楽習会2020 - 立石の観光と宿泊(4回目) 「立石にホテルができるとしたら」


わがまち楽習会2020、今回は4回目でした。

今回の講師は、坂東幸輔さん。

地域活性プランナーとして、あちこちの街の賑わいを創造している方です。

まず、坂東さんの代表的な活動例として、神山町プロジェクトが紹介されました。人口6,000人、高齢者率46%の徳島県の過疎の町がどうして人口増を実現したのか?というお話でした。



次に立石の話です。
坂東さんは事前に立石を視察していただいて、やはり「空き家や商店街の二階をホテルに活用する」という案を提示なさいました。

名付けて、街まるごとホテル

これにはすでに成功例があります。

いづれも、ホテルなど宿泊単体で潤うのではなく、食事や温泉、お土産屋さんなど、町ぐるみで旅行者をもてなそう、街全体にお金を落としてもらおうというものです。

立石商店街の中にもあるシャッターが閉まったままの店舗を、宿泊だけの機能があるホテルとして整備し、商店街や銭湯などを使いながら街を楽しんでもらおうというものです。

そして坂東さんは最後に、「シャッターを開けてなにかトライしてみる」ことが大事だとお話なさいました。

2020年2月1日土曜日

[大人の立石] 「わが町楽習会2020 - 立石の観光と宿泊(3回目) 立石はホテル立地となりえるか」まとめ


5回連載の3回目です。

立石はホテル立地となりえるか



今回は、東横インホテル企画開発の加藤敏子さんが登壇。

東横インコンセプト

東横インは、地域への貢献を大切にしているとのこと。

具体的には
  • 賑わい創出に向けた工夫
  • 市民や来街者等の利便性向上への工夫
  • 地元雇用の創出への提案
  • 災害対策や災害復旧活動への協力支援
  • ホテルの食材は地元から購入
など。

立石のまちに望むこと

立石の駅にはプラレールもある。四つ木にはキャプテン翼もある。区内を走る京成バスは、リカちゃんのラッピングもある。もっと主張すべき。

最後には、葛飾に東横インがないこともあり、土地を貸してくれる方を募集していました。

2020年1月25日土曜日

[大人の立石] 「わが町楽習会2020 - 立石の観光と宿泊(2回目) 立石はどんなところか」まとめ


わがまち楽習会第2回のテーマは「立石はどんなところか - 歴史的文化的資源を探る」

レクチャーは、葛飾区観光課学芸員の谷口榮さん


5回シリーズです。会場は立石地区センターです。



立石らしさとは?

立石はいま「せんべろの街」のイメージがある。でもそれは歴史の中から見たらほんの最近のこと。
立石はどんな街か、立石らしさってなにか、を考えた時、歴史的な位置づけや先人の営みを振り返る必要がある。

立石様

立石様の石はなにか?このあたりは縄文時代は海だった。そして山から流れる水に含まれた土砂が堆積したエリア。大きな石は人が運んできたもの。この石は、近くは柴又八幡宮の下に眠る古墳の石と同じ性質。おそらく鋸山から切り出したものであろう。

なぜ立石に古墳の石があるのか?

江戸時代以前にも東海道はあった。古東海道と呼ばれるものであり、葛飾エリアでは、千住のあたりから東にまっすぐ東へ、荒川、江戸川を越えた国府台のあたりまで。
その先には鋸山もあり、関東地方の古墳に必要な石を運ぶ際、古東海道が使われた。その際に立石で石の一部が残されたのではないか。

葛飾区という名前

昭和7年、葛飾区が区になる際、葛飾区とするか新宿区とするかで議論があった。葛飾で政治的経済的中心地としては、立石か新宿だった。

荒川放水路

荒川放水路は大正12年に開通する。荒川放水路の建設のために、朝鮮半島からの労働者がたくさんいた。彼らの口にあうように、工事現場周辺にあった葛飾エリアではモツを食べさせる店が増えた。
荒川放水路開通の前年に関東大震災がある。被災した人たちが荒川を越えて、葛飾に移り住んだ。人が来ただけではなく、工場や商業も葛飾に根付いていった。荒川放水路が完成しており、水運にも恵まれていた。工場が増えるに連れ、労働者のためのお酒、焼酎ハイボールの人気も高まっていった。

2020年1月18日土曜日

[大人の立石] 「わが町楽習会2020 - 立石の観光と宿泊(1回目) 新しい宿泊施設の事例」まとめ


立石を中心とした京成線の高架化、それにともなう立石エリアの再開発。立石の街はどうなるのか?

いやどうなるのかじゃなくて、立石の人たちはどうしたいと思っているの?
そういうことを話せる機会はないの?
作らないの?
無表情な街になっちゃっていいの?

と思っていたら、こんな学習会がありました。

わがまち楽習会


新しい宿泊施設の事例

5回シリーズです。今回は第1回目。

レクチャーは株式会社グロッシー北村貴さん

北村貴さんは、北海道と東京の2箇所を拠点に食に関わる仕事をしながら、あちこちのホテルに宿泊。いろいろな宿泊の形を紹介してくれました。

  • 地域特性を生かしたホテル
  • コンセプトホテル
  • ターゲット&テーマ深堀型
  • 新ドミトリー&カプセルホテル
  • 新ゲストハウス

立石に必要な宿泊施設とは?

後半は、3つのグループに分かれて、「立石に必要な宿泊施設とは」について話し合い発表をしました。

総じて、
  • 外国人観光客にとって利便性のいい立地を活かす(羽田、成田、浅草、銀座)
  • 地域で潤うシステムを作る(居酒屋で飲食、銭湯体験など)
などが発表されていました。

最後に北村貴さんから
これからの宿のコンセプトには社会課題に敏感であってほしい。
とのお話がありました。

外国人、災害対応、SDG’sなどだろうと理解しました。