葛飾区水元1-1に行ってきました。
水元地域のど真ん中。葛飾区水元は、三角の土地です。
水元一丁目一番地は、この三角形の左下の角にあります。
水元は、他の葛飾区の大部分と同じく、江戸時代以降は広い田んぼの広がる農村地帯でした。
とくに水元は、いまもそうですが、鉄道機関が遠く、静かな田園風景が広がっていたものと思います。
「位置ニ於テ都心ヲ遠サカレル水元村ハ交通機関不備ニシテ村ノ発展ヲ助長スルモノナク、隣接諸町村ノ急速ナル発展ニ取リ残サレタル観アリ。
本村ノ交通機関トシテハ隣接セル金町ニ通ズル京成電車ヲ利用スルニ止マリ、村内ヲ通過スル交通機関全クナシ。
而テ村ノ中央部一帯ハ田畑ニシテ、家屋ハ其ノ周囲ヲ馬蹄形ニ包囲シ、未ダ全ク農村ノ域ヲ脱セザル情勢ニアリ。
本村ノ如ク全ク都心ヲ隔リタル地域ハ交通機関ノ完備スルニ非ザレバ、今後ノ発展遅々タルヲ免レザルベシ。
村ノ事業施設も亦概シテ見ルベキモノナシ。」(wikipedia)
さて、この長閑な農村地帯に、明治後半一つの小学校ができました。
「水元尋常小学校」です。
上の1900年頃の地図の赤い丸のところに学校の記号が見えますね。
右の「小合溜井」は、現在の水元公園。
その左手の網掛けの部分が住宅密集地ですので、そこからちょっと離れたところに、それこそ田んぼの真中に水元尋常小学校はありました。
水元尋常小学校は現在の水元小学校です。
水元小学校の片隅には、大正14年建造の木造校舎が現存しています。
都内では唯一残っているとのこと。
昭和57年まで使用されており、その後内覧できたのですが、現在は外観を見ることしかできません。
やはり鉄筋コンクリートの校舎と違い、温かみがあり、居心地も良さそうですよね。
私も小学校時代、(葛飾ではないのですが)木造校舎を使っていた時期があります。
しかしこんな大正時代の西洋建築のおしゃれなものではなく、外観も杢目そのままでした。
水元尋常小学校はハイカラでしたね。
明治維新後、1889年小学校令が発布されるまで、この水元には私塾市原堂という学校がありました。
市原大次郎という方の私塾でした。
東京の端っこ(失礼)ながら、そして田畑の広がる水元で、教育を熱心に行う人がいた。
こういう熱意が、日本の礎を築いてくれていたのだと思います。
市原大次郎については、別途調べてみようと思います。