2016年10月24日月曜日

[大人のかつしか] 葛飾が産んだ大企業「タカラ」の初代社長の著書『凡才、1000億をめざす』を読んだ。



以前「葛飾の大企業」の記事を書いたことがありましたが、そのなかに「タカラトミー」がありました。


この会社は「タカラ」と「トミー」という玩具会社どうしの合併企業ですが、どちらも葛飾で創業した会社でした。


そのひとつ「タカラ」の初代社長佐藤安太さんの著書『凡才、1000億をめざす』を読みました。


この本は1986年の著書です。


この時期は「タカラ」最盛期にあたります。


脱サラをして苦労したこと、経営理念にそった経営で会社を大きくしてきたこと、社長のありかたなど、成功した経営者の半生記が書かれています。


会社の沿革から見てみましょう。

1955年 - 東京都葛飾区本田宝木塚町(現・宝町)にて、佐藤安太が有限会社佐藤ビニール工業所を設立。社名は創業地名(宝木塚町)に由来する。

1960年 - ダッコちゃん人形発売。大ブームになる。

1966年 - 株式会社タカラに改称

1967年 - リカちゃん人形発売。

1980年 - チョロQ発売。

1984年 - 店頭市場(現在のジャスダック)に株式公開

1986年 - 佐藤安太 黄綬褒章受章

1986年 - 東京証券取引所第二部に上場

1991年 - 東京証券取引所第一部に上場 



ヒットした商品はほかにもあるのですが、代表的な「ダッコちゃん人形」「リカちゃん人形」「チョロQ」を挙げてみました。




葛飾区は戦前よりセルロイド工場が多く発展をしてきましたが、その性質上発火しやすいこともあり、戦後多くの工場は石油素材のビニール工場へと変わっていきました。


タカラが創業した1955年は、まさに石油製品が広がる時代であり、雨合羽などを作る佐藤ビニール工業がはじまりでした。


その後順調に会社を大きくし、1986年この著書が出版された年は、東証二部上場とともに黄綬褒章を受賞するという晴れやかな年でもありました。


このとき佐藤安太さんは62歳。


次期社長となる長男佐藤博久さんもタカラに入社しており、70歳となる1994年社長を博久さに譲り会長となります。


バブルも弾けたあとの1990年代後半の会社経営は大変だったと思います。

1999年 - ベイブレードがヒット


1999年、ベイブレードがヒットするも海外進出がうまくいかず、佐藤安太さんは再度社長に復帰します。


佐藤安太さんには次男の慶太さんがいました。一度タカラに入社しますが、博久社長時代の1996年に退社しています。


2000年 - コナミ(後のコナミホールディングス)と資本提携 

これを期に、次男慶太さんが社長となります。
2000年 - e-kara発売。

2002年 - チョロQモーターズを設立、電気自動車の製造・販売を開始。ほとんど売れず。

2005年 - コナミとの資本提携が解消され、インデックスの傘下となる。

2006年 3月1日 - トミーと合併し、商号を「タカラトミー」に変更。

慶太さん時代は、e-karaがヒットするものの、もう子供玩具の時代ではなくなっており、悩まれたことと思います。


そういえばチョロQがほんとの自動車になって販売されたのは話題になりましたね。これは電気自動車でした。もしかしたら今なら売れるのかもしれませんね。


佐藤慶太さんは、2012年タカラトミー副社長を退きました。


これによりタカラトミーの経営陣から、旧タカラ出身者がいなくなりました。


少子化、価値観の多様化の時代、タカラとトミーの合併は前向きなものだったのかもしれません。

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