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2017年4月10日月曜日

[大人の立石] 青砥ー四つ木の高架化事業、進んできましたね。高架下に認可保育園作って!



先日、チャリ散歩の途中に、立石駅周辺の線路沿いを見てきました。



昨年12月の工事説明会を終えて、すっかり工事が本格化しているかんじですね。


この写真は、四つ木7号踏切(四ツ木‐立石間の立石駅側から二つ目の踏切:鰹節の大もりさんちの前)の付近ですが、すっかり用地が整備されて側道の位置も確定してますね。


施工順序図

この図は、葛飾区役所のホームページからいただきました。

駅や高架区間によって方法は違いますが、6段階で完成するようになっているのですね。

どれくらいかかるんでしょうねぇ。

工事説明会の質疑応答では、「完成したら駅の下には店舗や公共施設が入る」となっていますが、もともと店舗のなかったところに無理やり店舗を作っても需要が突然起きるとは思えませんので、この際認可保育園作って待機児童の解消をすすめてほしいですね。

葛飾区は2016年待機児童数106名(東京23区保育園マップ)。

都心並みに二桁の待機児童数に持っていけるのでは!?

2016年9月2日金曜日

[大人の立石] 半村良「葛飾物語」にみる立石の生活


先日、作家半村良さんが、葛飾本田本町の出身であることを書きました(大人のかつしか有名人)。


調べていくうちに、半村良さんが「葛飾物語」という作品を書かれていましたので、読んでみました。


この本は、昭和18年からほぼ10年おきのある一家と親戚の変遷をたどる物語です。

立石そして葛飾

春野久子の夫、基夫の祥月命日に集まる一家とその親戚や近所に住む人々。


その場所は、本奥戸橋と立石の中間辺りだったようです。まさに半村良さんの育った場所ですね。


赤ん坊を背負った老人は、奥戸橋を背に坂道を下っていく。道の向こうに側に風呂屋があって、ちょうどの入り口と向き合う位置に、喜多向観音を祀った小さな社があり、そこで足を止めると軽く両手を合わせ、背中の子どもとひと揺すりして、また歩き始める。(中公文庫11ページ)

昭和18年の祥月命日には、みんなが集まって、泥鰌を食べる。


奥戸に、うさぎの毛で防寒着を作る工場があり肉を分けてくれていたようだが、この店は中川で捕れた泥鰌も売っていて、 久子一家は集まってどじょうを食べる。


昭和18年といえば、まだ本土への空襲はないものの、ガダルカナル島やアッツ島で米軍に敗れており、戦局は悪化していた。


しかし葛飾はまだ、食べ物にあまり困っている様子はない。


面白い記述がある。

葛飾にいる知り合いに、太郎という名のつくものはめったにいない。それもそのはず。生まれた家は別々でも、みな次、三男以下の余計者ばかりだ。それがなんとか自立しようと、縁を頼って集まってきて、いまこの家にいるような人間構成になっている。(中公文庫29〜30ページ)

どことなく、寅さんのイメージがないだろうか。


実際この物語にも、やくざ者、大家さん、戦争未亡人、住み込みで働く若者。いろんな事情の人たちが肩を寄せ合う。

もちろん葛飾にも長男はいるのだけれど、余裕のある長男は葛飾を出てしまうのだろう。残った者たちが肩を寄せあって毎日を楽しく生きていく。そんな原形が昔からあるのかもしれない。

空襲と高射砲


第二章「昭和二十年の場」には、空襲の話が出てくる。


葛飾区の空襲による被害は、昭和十九年十二月二十七日、二十年一月元旦、一月二十七日、一月二十九日、二月九日、二月十九日、二月二十五日、三月四日、そして三月十日と続き、四月十三日の夜間爆撃で途絶えた。(中公文庫54ページ)

思った以上に葛飾は空襲を受けていた。


青砥の工場、金町駅前の工場ぐらいではないかと考えていた。なにしろ、ほとんどが田畑だったはずだからだ。


まばらに家が密集していたかもしれないけど、爆撃する程の事はない気がしてた。


以前、このブログでも「お花茶屋の高射砲」のことを記事にした。


この物語にも高射砲のことが触れられていた。


「あれは、お花茶屋の高射砲が当てたんだってね」
(中略)
「乗組員は全員死亡だったよね」
(中略)
「全部で十一人。高射砲陣地のそばの火葬場で火葬してやったんだ」

四つ木の斎場だろう。


かなりリアルな話だ。話の中には、四つ木にも高射砲陣地あったと書かれている。興味深い。


物語は平成まで続いてくが、興味のある方は葛飾区図書館でも借りられる。




2019年12月17日火曜日

[大人のかつしか] 訪日年間6,000万人時代へ。羽田、成田そして観光定番スポットへのアクセス最強の葛飾エリアにB&B特区を作るべきだ【葛飾活性化】




訪日外国人6,000万人時代へ

オリンピックのおかげもあって、長い間目標としていた訪日外国人年間4,000万人が目前となってきています。



そこで、政府は訪日6,000万人時代への基盤整備をはじめました。


政府、訪日6000万人へ基盤整備 経済対策を閣議決定

 政府は5日、国や地方の財政支出13.2兆円、事業規模26.0兆円の経済対策を閣議決定した。東京オリンピック・パラリンピック後も見据えた経済活力の維持・向上として、訪日外国人旅行者6千万人時代への基盤整備を盛り込んだ。補正予算や来年度予算、財政投融資などで施策を具体化する。
 財政支出13.2兆円の配分は、▽災害からの復旧・復興と安全・安心の確保5.8兆円▽経済の下振れリスクを乗り越えようとする者への重点支援3.1兆円▽未来への投資と東京オリンピック・パラリンピック後も見据えた経済活力の維持・向上4.3兆円。
 訪日外国人旅行者6千万人時代への基盤整備では、20年の4千万人目標の確実な達成、25年の大阪・関西万博を経て、30年の6千万人を実現し、インバウンド需要を継続的に取り込む日本の成長基盤を強化することを掲げた。主な項目は次の通り。
 首都圏空港の機能強化〈財政投融資〉(国土交通省)▽国際空港へのアクセス強化など〈財政投融資含む〉(同)▽クルーズ船の受け入れ環境の整備(同)▽オリパラ開催を起爆剤にした訪日プロモーション(同)▽観光地における新規市場の開拓・多角化に向けた実証事業(同)▽訪日外国人旅行者受入環境整備緊急対策事業(同)▽円滑かつ厳格な出入国審査体制、税関体制の整備(法務省、財務省)▽インバウンド需要拡大推進事業(経済産業省)▽大型映像作品ロケーション誘致の効果検証調査(内閣府)▽放送コンテンツ海外展開支援事業(外務省)▽海外日本語教育、日本語・日本文化の魅力紹介サポーター派遣事業(同)▽文化財の防火・防災対策(文部科学省)▽首里城火災を踏まえた沖縄振興特定事業推進費などによる沖縄の観光振興(内閣府、国土交通省)▽民族共生象徴空間「ウポポイ」における国立民族共生公園の整備、開業に向けた施策の充実など(国土交通省)

毎日8万人が東京に流入する時代

年間6,000万人ということは、毎日16万人の外国人が日本に来る。その半分が羽田と成田に降りるとして、8万人。

バスや車で都内移動する外国人も多いですが、大目に見て半分の4万人が電車で都内に入るとしましょう。

羽田なら京浜急行かモノレール

成田なら京成電鉄かJR

ですよね。

京成電鉄HPより

京浜急行も京成電鉄も乗り入れているエリアはどこか?それは都心を避ければ、葛飾区しかないのです。

葛飾にB&B特区を作ろう

空港はもちろん、浅草、銀座、柴又、日本橋など、外国人の多くが訪れるスポットにも葛飾からなら30分足らず。

こんなに地の利がよいメリットを見逃す手はありません。

四つ木、立石、青砥、高砂エリアをB&B特区としてもよいのではないでしょうか。

羽田と成田から毎日4万人が電車で都内に入るとして、その10%としても毎日4,000人が葛飾に宿泊する。朝食や夕食を食べに立石など葛飾エリアを散策する。

日本が観光立国としての施策を推進していますので、この波に自治体として乗っかってもよいのではないでしょうか?


2020年6月12日金曜日

【大人の一丁目一番地】ブログが本になりました。『葛飾の一丁目一番地を歩く』


このブログから本(DTP)が出ました!

葛飾に30箇所ある一丁目一番地をめぐり、その土地のエピソードをまとめた『葛飾の一丁目一番地を歩く』。
Amazonの電子書籍Kindleで299円です。



葛飾の魅力再発見!

30箇所は少ないように見えますが、仕事の合間に全部を回るにはほぼ一年かかりました。行ったら住所表示板の写真を撮っていたのですが、再開発されると電信柱がなくなっていて、住所表示が見つけにくくなっていました。それでも各地の一丁目一番地を調べていくと、葛飾の知らないことが次々にわかり、やりながらも楽しい企画でした。

「葛飾ってなにがあるの?寅さん?」と聞かれることも多いですが、この本で葛飾の魅力を発見してもらえたら、と思っています。

目次紹介

はじめに
【①東新小岩】区内30箇所の一丁目一番地を目指します!
【②新小岩】荒川がなかったころは西井堀で潤う広大な田畑
【③東立石一丁目】本田村を引き継ぐ街
【④東四つ木】東四つ木の話からセルロイド?
【⑤西新小岩】荒川開墾以前は広大な農業用地
【⑥お花茶屋】京成電鉄の駅名にセンスを感じる
【⑦青戸】青戸?青砥?
【⑧西水元】メトロセブン、通らないかなぁ〜
【⑨鎌倉】愛国学園周辺は交通の要所だったかも!
【⑩金町浄水場】浄水場から伸びる水道道の先はどこ?
【⑪水元公園】水元公園の池って、葛飾区?三郷市?
【⑫金町】京成金町線はなぜ線路がまっすぐなのか?
【⑬南水元】穀倉地帯の一角にあった住宅街とは
【⑭奥戸】船着き場を中心とした水運の町
【⑮細田】旅客化が期待される新金線って、なんの線路?
【⑯新宿】道中奉行が支配した新宿に栄華を見る。
【⑰東金町】江戸時代には、金町に関所があったんだね。
【⑱堀切】大正初期まで、ちょっとしたピクニックの目的地
【⑲小菅】日本で最初の小学校は小菅だったかも
【⑳西亀有】陸前浜街道に賑わった街
【㉑高砂】ここはかつて諏訪野と呼ばれた土地。
【㉒白鳥】手打ちそばの「賀登利庵」さんがまさにソコ!
【㉓四ツ木】一ツ木、二ツ木、三ツ木、そして四つ木!
【㉔東堀切】明治時代の南綾瀬村は陸前浜街道とともにあった。
【㉕水元】葛飾区指定有形文化財「水元尋常小学校旧校舎」
【㉖宝町】宝町といえば、タカラですよね
【㉗東水元】戦後しばらくまでは水元地域最大の住宅密集地
【㉘亀有】大工業地帯から大変貌の街
【㉙柴又】京成金町線は京成電鉄創業の路線
【㉚立石】一丁目一番地は最終回。再開発に揺れる街


ご購入はこちらからどうぞ

2017年9月11日月曜日

[大人の東四つ木] 残暑厳しい折、ここはツルツルっとうどんでしょう【賞讃】




8月はほとんど晴れない、夏らしくない夏でしたね。

9月も気候が乱れちゃって、これでは体調まで乱れそう。

これじゃいかん!

というわけで、さぬきうどんの人気店【賞讃】に行ってきました。

2016年7月3日日曜日

【2016年上半期TOP PV】[大人の京成電車] ん?このカーブなんだ?90年前の四ツ木駅も立石駅もいまの場所になかった!そして青砥駅は!





いつもチャリでぶらぶら散歩しています。


四ツ木あたりをぶらぶらしていると、四ツ木駅の北側に気持ちのいい放物線を描く道路があるんですね。上の地図の赤い線の部分。


酒場好きな皆さんには、「四ツ木のゑびすの前の二又を右に抜けて奥戸街道に出るまでの道」と言ったほうがわかりやすいかもしれません。


四ツ木のあたりは曳舟川のあったところが太い道路になっているのですが、この曲線がどうも不自然。


というわけで調べてみました。


 京成電車は大正元年11月、押上-市川を開業しています。実際の駅は今の江戸川駅までで、江戸川は渡し船だったんですって!びっくり!


その際に四ツ木駅も立石駅も営業を開始しているのですが、じつは両方の駅ともに現在の場所ではありません。
http://rekisanpota.blogspot.jp/2013/12/blog-post_22.html


この地図は、大正時代のものですが、左下から右上に京成電車が走っています。


そして赤い部分で大きく右にカーブして、奥戸街道を走っていますね。


開業当時は、京成電車は奥戸街道の上を走っていたのですね。


開業当時の四ツ木駅は、この赤いカーブの真ん中あたりにありました。


現在の地図ではこの☆のあたりでしょうか。


パチンコ屋さんの横辺りかな。


四ツ木駅が今の場所に移転することとなったのは、荒川放水路の工事が関係しています。


荒川放水路は明治後半から計画され、大正2年に工事が始まります。


京成電車が開通するのが大正元年ですから、ほぼいっしょですね。


荒川放水路の工事が一段落し、荒川に水が通されたのが大正13年。


これにあわせてルートが変えられ、四ツ木駅も移転しています。

四ツ木駅年表

1912年(大正元年)11月3日 - 開業。

1923年(大正12年) - 荒川放水路開削に伴い現在地に移転。

ちなみに、立石駅もこの影響で移転しています。

立石駅年表
1912年(大正元年)11月3日 - 立石駅として開業(葛飾区史などの記述に基づく)。

1923年(大正12年) - 荒川放水路開削に伴う路線変更の際、運行上問題のあった四つ木 - 立石間の併用軌道部分を専用軌道に変更するのに伴い、現位置に移動。

1931年(昭和6年)11月18日 - 京成立石駅に改称。


ついでに青砥駅も調べてみると

青砥駅年表

1928年(昭和3年)11月1日 - 日暮里 - 青砥間開通のための分岐駅として開業。それまで立石 - 高砂間には駅は設置されていなかった。

1931年(昭和6年)12月19日 - 日暮里 - 青砥間開業。

昭和3年まで駅がなかった!!!これまたびっくり。


葛飾まだまだ、奥が深いぞ。

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2018年3月18日日曜日

[大人の東四つ木] たかまつななの『笑える!政治教育ショー』に行ってきた!これ、みんなに見てほしいぞ!


先日、ちょっと変わったイベントに参加してきました。



笑える!政治教育ショー

というものです。

たかまつななさん、知ってますか?


こんなかんじで売り出していたお笑いのピン芸人さんでしたが、いまでは『笑下村塾』という会社を設立して、「政治をもっと身近に感じる」活動をなさっています。

そんなたかまつななさんの「笑える!政治教育ショー」が、先日四つ木でありました。

場所は、毎日のようにイベントを行っている「イベントシェアハウス縁」。


ちょっと交通の便は悪いのだけど、それがまたこのイベントハウスのいいところかも。

行ってみると、入り口に看板がありました。


まだ売れてない(失礼)芸人さん好きとしては、この手のライブには行かざるを得ませんww

司会は、サンミュージックのエルシャラカーニのお二人と、

吉本興業の田端藤原の藤原さん。

ちなみに右の方。

田畑藤本のヒダリ田端さんは、高学歴芸人としてテレビに出てますが、今回は右の藤原さん。


会場は10名ほど。

政治ショーも興味津々ですが、売れない(何度も言うなw)芸人さんが間近に見れるいいチャンスでしたよ。

内容はこんなかんじ。

  • 三分で分る民主主義
    • パワーポイントを使って、民主主義ってなんだっけ?という説明を、お笑い芸人らしく、おもしろく解説。
    • 多数決だからといって、メジャーなことだけが決まっていくわけではないという話をアメリカのオバマさんを例に出して説明したり、

    • ヒットラーだって、はじめは選挙で選ばれたという話

  • 選挙に行かないと損する仕組み
    • 知ってました?他の世代と比べて投票率が1%下がると、その世代は年間一人135,000円損しているんですよ。
    • っていうお話しはとくに印象的。

  • 逆転投票シミュレーション
    • 藤本さんは「お笑い芸人も客層を見て話すことを決める」と言いました。
    • 政治家も同じ。期待される世代層に見合った政策を実現しようとするのは当然のこと。
    • 投票に行かないほど、政治家の相手にもされていないということですね。

  • 悪い政治家を見抜く人狼ゲーム
    • いま高校生の間ではやっている人狼ゲームを取り入れて、世論に左右されず正しい選択をすることを学びます。

投票は行かなきゃいけないとわかっていても、億劫になっちゃう。

でもやっぱり行かなきゃいけないんだなぁ、と感じる2時間でした。



2016年5月26日木曜日

[大人の一丁目一番地(6)] お花茶屋1丁目1番地に行ってきました。


今回の1丁目一番地は、お花茶屋です。


お花茶屋は、曳舟川と京成本線が交差するお花茶屋駅北西に広がる街です。


共栄学園のある街ですね。







ちなみにお花茶屋1-1は、この地図の左下角にあります。


トップ画像の写真は、背中に鳥広さんをバックにしています。


一度行ってみたいお店の一つです。




さて、お花茶屋。


住所表記としてのお花茶屋は、それほど古くはなく、1964年ごろのようです。


1930年(昭和5年)の地図にも「お花茶屋」という表記が、曳舟川に掛かる橋のところにあります。


しかし、現在の宝町となる「寶木塚」の地名はあっても、その北側に地名表記はありません。


ご多分に漏れず、ほとんどが田畑です。


朝日新聞2014年5月13日
将軍の鷹狩りがあちこちで行われていたとか。


曳舟川の白鳥を鷹が捉える絵馬が、四つ木白鬚神社に奉納されています。


ちなみに、このお花茶屋で曳舟川を横切る道は、右側(東側)に行くと現在の四ツ木斎場に通じる道、左側(西側)に行くと寶木塚小学校のの裏にに抜ける道です。



さて、お花茶屋に京成電車が通るのが1931年(昭和6年)。


この駅名を「寶木塚」とせず「お花茶屋」としたのは、やっぱりお花茶屋という地名が広く知れ渡っていたからかもしれませんね。


お花茶屋という地名の由来は、「将軍家光(吉宗説もあり)が鷹狩りの際に腹痛をおこして、茶屋の娘お花に開放してもらって~」ということになっています。


この茶屋の末裔という方が現在もお花茶屋にお住まいのようですが、以前はその証拠となる家光からの由緒書なるものがあったようです。


家光といえば、じつは「命名好き」で有名です。


新宿駅周辺の「淀橋」、「目白」、向島の「長命寺」なども家光による命名です。


家光は徳川三代目将軍ですから、江戸がいろいろ整備された時期でもあり、「将軍が名付けた」場所があちこちにあるのかもしれませんね。

参考:地名の由来としての史実と現実朝日新聞

2016年5月24日火曜日

[大人の四ツ木] 魚介だけじゃないスープが太麺にからみつく「中華麺家まんまる四つ木店」


昨日の記事に続いて、今日はラーメンのお話です。


ランチメニューの中から、ラーメンを選びます。


醤油、味噌、塩。


何気なく三択になっていますが、単品で頼むとラーメンに味玉がついたりチャーシューがついたりとトッピングが選べます。


ラーメンが来る前に昨日の記事に書いた餃子と半ライスが来るのですが、この餃子が旨くて半ライス、ラーメンが来る前に完食してしまいました。


さて、ラーメン。


今回は醤油ラーメンを頼みました。


お店全体に魚介系のだしのにおいがいっぱいでしたので、ラーメンは魚介系だろうと思いました。


しかし、出てきたラーメンは魚介だけではなさそうだった。


写真ではわかりづらいのだけど、やや白濁色。


スープをひと口飲んでみると、どうやら鶏のスープも入っているようです。


うまし。


麺は太め。


これもランチメニューじゃなかったら太さを選べるみたい。


でもこのややとろみがかったスープが太麺にうまく絡みついて、うまい。


ちなみに麺の量はランチでも選べます。


写真は基本の200グラム。


食後にも胃に重さを感じない、なんだか癖になる麺です。


このこだわりスープだったら、つけ麺で食べてみてもいいかな。


辛めのラーメンもあるみたいだから、こりゃあれこれ選べて悩んじゃうね。


さっきの餃子も旨すぎて、おかわりしちゃったのは昨日の記事のとおりです(笑


このお店はまた来ちゃうな〜



中華麺家まんまる四ツ木店 

TEL 03-5670-7680
11:30~15:00/18:00~23:00
年中無休(年末年始は除く) ※スープが無くなり次第終了

2017年6月4日日曜日

[大人の堀切] “普段入れない”堀切菖蒲水門の内部をお見せします!~完成後20周年記念イベント~




トップ画像、綾瀬川に掛かる「堀切菖蒲水門」です。




場所はここです。

堀切菖蒲園から荒川方面に歩くと高速道路の脇に見えます。

見たことありませんか?荒川に沿って流れる綾瀬川にかかっている水門。

以前から「この水門なんのためにあるの?」と思っていたところ、

“普段入れない”堀切菖蒲水門の内部をお見せします! ~完成後20周年記念イベント~

なんてイベントががが!

というわけで行ってきました。

なんでここに水門が?


堀切菖蒲水門ができたのは平成9年(1997年)。

ここに水門を作るきっかけとなったのは、平成3年(1991年)の台風18号による綾瀬川氾濫でした。

この綾瀬川は四つ木で中川と合流し、また海の干満の影響を受けやすい川でもあることから、川の水が逆流しやすくなっていました。


堀切橋の上流には以前から、「綾瀬水門」「綾瀬排水機場」がありました。

綾瀬水門は荒川の水を綾瀬川に流すための水門。

綾瀬排水機場は、綾瀬川の水を荒川に流すための設備。

大雨が降ると、綾瀬水門を閉めて、綾瀬排水機場をフル稼働するわけです。

これによって増水した綾瀬川の水は排水機場から荒川に流され、水害が防げるはずでした。

しかし実際には、下流から逆流してきた水が堀切橋より上流へと流れ込んだため、排水機場の処理能力を超えてしまい、水害となってしまいました。

そこで、この逆流を防ぐ水門として建設されたのが葛飾菖蒲水門です。

つまり、大雨が降った時は「綾瀬水門」「綾瀬排水機場」「堀切菖蒲水門」の3つの設備で対応しているわけです。



なんで水門は円筒形なの?



この水門、近づいてみるとわかるのですが、この赤い部分「水門」になるのですが、円筒形なんです。

普通はこういう水門ですよね。

一枚板が上下して、門を開閉するわけです。
円筒の半分が降ろされ、残った半円筒の門

葛飾菖蒲水門は、円筒の門が上流側と下流側の二枚構造になっています。かまぼこが二枚合わさった形ですね。

なんで?

もう一度堀木菖蒲水門の全体写真を見てください。

右端の建物は高速道路の高架下

水門の上に建物が3つ並んでいますが、一番右の建物は高速道路の高架下に入っちゃってます。

このあたり広い場所がないので仕方ないのですが、建物の高さはこれが目一杯なのだそうです。

水門を1枚板にしてしまうと、高いところまで持ち上げないと水門が開かないわけです。そのためにはこの3つの構造物も高い場所に置かないといけないのですが、高速道路にひっかかる。

そこで2枚板にしてあるのだそうです。

なーるほど。でもなんで円筒形なの?

堀木菖蒲水門は、その性格上逆流する水をせき止めることもあるため、上下からの水圧を逃がすことができるよう円筒形なのだそうですよ。

「二段式ローラーゲートシェルタイプ」って言うのだそうです。

水門を上下するワイヤー巻取り
今回の見学会では、実際に水門を上下してくれて、内部ではワイヤーの巻取りを実際に見せてくれました。

巻取り計測器


そもそも、荒川と綾瀬川はなんで合流しないの?



また、後半では、パネルを使って堀切菖蒲水門の歴史や役割を丁寧に説明していただきました。

このなかには、荒川掘削当時のことや川の機能のこともパネル展示されていたのですが、以前から疑問だったことがパネルになっていました。

なぜ、荒川と中川・綾瀬川は平行に流れているのか?

荒川と中川・綾瀬川とでは革の長さが大きく異なるため、大水が出た時流出する時間差があります。中川の水位が下がったあとに荒川の水位が上がるため、荒川と中川・綾瀬川を合流させておくと、荒川を流れる大量の水が逆流し、中川・綾瀬川を溢れさせてしまうのです。こうしたこともあり、中川・綾瀬川の流れを変え、加工まで平行して流れるようつかけたのです。
ビックリ!

荒川放水路の工事着工が明治44年(1911年)ですが、そのときからこのようなことが考慮されていたのですね!

終わったあとは、ちょっと水門マニアになった気分。

またこのようなイベント行ってみたいな~


2018年8月28日火曜日

[大人のお花茶屋] やっぱり群を抜いて美味い酸辣湯麺はここかも!


暑いときには熱いもの、ですよね。

お酢で疲れも取れるし、酸辣湯麺は万能な料理ですね。



8月も終わりになってきて疲れも残ってきましたので、今日は酸辣湯麺です。

今年に入って、Facebook上で「葛飾区のうまい酸辣湯麺を探す」企画を続けています。

中華料理屋さんはもちろんたくさんあるのですが、なかなか「美味っ」と唸る酸辣湯麺には出会えません。

いまのところ、群を抜いて美味い!と思わせる酸辣湯麺はこちら。

関連ランキング:ラーメン | お花茶屋駅

お花茶屋駅から四つ木方面、南側に歩いていくと5分とかからずお店に着きます。


角にありますし、赤いファザードが目立ちますね。

店内は、カウンター6,7席とテーブル一つ、奥に靴を脱いで上がれる部屋もあります。

今日はもちろん酸辣湯麺。


じゃーん

えびす亭の酸辣湯麺のすごいところは、

  1. 野菜の多彩な色合い
  2. 豚肉たっぷり
  3. スープのうまみ
  4. 細麺がぴったり
というところでしょうか。


まぁ大絶賛なわけですよ。

酸辣湯麺のようなスープ勝負のラーメンは細麺を避けるイメージがあるのですが、ここの酸辣湯麺は細麺じゃなければなりません。

スープはもちろん熱いのですが、汗をカキカキ飲んじゃうわけです。


ここのレンゲはかならず二種類ついてきます。

下の黒い方はふつうのレンゲ。

上のレンゲは網目になっています。

どう使い分けるかなぁと思いながら食べるのですが、いまだ結論は出ていません。

みなさんも食べて試してみてくださいね。

関連ランキング:ラーメン | お花茶屋駅

2015年12月19日土曜日

[大人の検定]何問できた?「葛飾検定」やってみた(6問目〜10問目)。



前回の「葛飾検定」つづきです。



ちょっと難しくなってきたような。

第6問:次の写真はどこの公園のものか?次からえらべ。

  • 水元公園
  • 曳船川親水公園
  • 上千葉砂原公園

これはカルガモですね。


そこまではわかるんだけど、正解は「曳船川親水公園」なんだって。


水元公園にもいそうな気がするけど。


この曳船川は、今でこそ整備された公園だけど、昔本当に「船を引く」交通機関があった。そのころの写真がないかなぁと探しているのだけど、みつかりません。


せいぜいこの、歌川広重の絵があるくらいですねぇ。



wikipediaにも
江戸期の後期から明治の初めごろにかけて行われた曳舟は、一種の水上交通機関ではあったが、舟を曳く動力が陸からの人力であるため、とかなどの陸上交通機関の要素も含まれたものであり、当時曳舟は異色の交通機関として人気があり、江戸市中から下総、水戸方面へ行く、多くの旅人に利用されている。他の都市河川と同様に、1964年東京オリンピックが開催された昭和39年ころまでは、小魚などの生物が生息している川であった
とあり、つい50年ぐらい前まではもしかしたら人が引いていたのかな?





第7問:毎年1月に行われる堀切大凧揚げ大会。もっとも大きな凧は、畳にして約何枚?

正解は畳24枚分だそうです。


24畳の部屋と同じ!1畳で約1.6平米ですから、24畳っていうことは38平米。

来年は1月16日ですね。見に行ってみたいです。場所は駅から行くと、堀切菖蒲園の向こう側荒川の岸辺ですね。



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葛飾大好き

第8問:亀有香取神社。鳥居の脇に鎮座するのは○○である。

http://www.d-laboweb.jp/special/sp304/
これは狛犬ならぬ狛亀ですね。


気がつかなかったなぁ。今度みてこよっと。







第9問:柴又で出土した寅さん埴輪。この日は渥美清さんの何の日?

http://www.katsushika-kanko.com/tora/

これね。


発見されたのは8月4日だそうですが、これは渥美清の命日だそうで。


この埴輪は、柴又八幡神社古墳から出土したようですね。

「寅さん」「帝釈天」で有名な東京屈指の観光地である葛飾区柴又に鎮座する八幡神社は、伝世されていた埴輪等からかねてより古墳ではないかと言われてきました。
昭和40年の社殿改築に伴う調査で房州石を用いた横穴式石室と副葬品の馬具、埴輪片が検出され、古墳であることが確認されました。>

以後永らく円墳であると考えられてきましたが、近年の調査で周堀が完全に円形には巡らず、墳丘が北西方向に伸び、「少なくとも円墳ではない」ことが確認されました。具体的な墳形については近々刊行される調査報告書で結論を出すようですが、前方後円墳である可能性も考えられそうです。
2002年の調査で、周堀内から鍔付の帽子を被った首長像と思われる人物埴輪が見つかり、帽子の形状や風貌が「寅さん」を彷彿させることから、「寅さん埴輪」として親しまれております。(引用

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第10問:四つ木の鉛筆製造メーカー北星鉛筆で一日に製造される本数は何本?

 

答えは、10万本だそうです!


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見てみると、北星鉛筆はいろいろがんばってますね。文房具フェチな私としては、とっても気になる。


一番気になったのは、「大人の鉛筆」。


大人の芯削り器もついて680円。


これは欲しいかも。


工場見学も行ってみたーい!