1900年ごろの古隅田川 |
前回までに、新小岩の南口から時計と逆回りに新中川までやってきました。
前回までの「区境を行く」はこちら
今回は、新中川を上流に向かった中川に架かる中川橋から古隅田川を辿ります。
古隅田川?
古隅田川を辿ったわけは、すでに暗渠となってしまった古隅田川が今も区境となっているためです。
古隅田川とは
東京都足立区・葛飾区の境を流れる流路延長5.45kmの河川。です。
葛飾区亀有3丁目で中川と分かれ葛飾区小菅3丁目で綾瀬川左岸に合流する。
現在は下流部の一部を除き暗渠となっている。
また、東京拘置所付近に延長1.1㎞に亘り、綾瀬川の開削で分断された旧流路跡(裏門堰親水水路)が残る。(wikipedia)
『ドブ川雑記帳』 |
江戸時代より前のには、中川は奥戸方面に流れおらず、古隅田川をメインのルートとしていました。
紫色は、綾瀬川です。
緑色は、荒川です。
黄土色は中川から古隅田川を経て現在の隅田川に流れ込んでいます。これが、江戸時代以前の中川・古隅田川=利根川でした。
江戸時代から昭和にかけて、これらの川は首都中枢に流れ込まないよう、荒川放水路を新設したり、既存の川の流れを変えてきました。
今回の歩いたルート(亀有→西亀有)は、まさにこの、古隅田川の流れる方向でありました。
中川沿いの遊歩道、葛飾区と足立区の区境のあたりにはこんな表示がありました。今回はここからスタートです。
区境を辿っていくとマンションにぶつかります。「ザ・レジデンス東京」です。
このマンション、建物が2つに別れています。レジデンス1とレジデンス2です。
区境はこの2つの建物の間を通っています。
マンションを抜けると、アリオの裏側に出ます。
そのまま北上し、常磐線を超えると、コンクリートではなくタイルで化粧された道が現れます。
これが古隅田川です。
ここから整備された古隅田川を辿ります。
ゆるやかなカーブが、川の流れを連想させますね。
左側が葛飾区、右側が足立区中川です。
しばらく行くと、環七にぶつかります。道路の向こう側にまだ道がありますね。
道の向こう側にはバス停がありました。この左奥にある路地を入ります。
道の曲がりくねり具合が、水の流れを連想させませんか?
道は3メートル道路ですが、昔から川幅はこれくらいあったのかなぁ。
暗渠にしないで、昔のままの川だったら風情があっただろうに。
途中には、川にかかっていた橋のあとが、残っていました。
河道の暗渠化の際、欄干が撤去され親柱のみとなった橋も多数存在する。
境四橋
南新橋
境三橋
旭橋
境一橋
元隅田橋
(wikipedia)
住宅地の中に、小川が流れ、路地から橋がかかる。
暗渠でなかったら、街の景色は一変していたにちがいありません。
常磐線にぶつかる川沿いには、水の流れないオブジェがありました。
今回は、古隅田川が常磐線に再びぶつかるまでを歩きました。
次回は、綾瀬駅周辺から荒川までを歩きます。
前回までの「区境を行く」はこちら
0 件のコメント:
コメントを投稿
コメント大歓迎!