2018年3月21日水曜日

[大人の東四つ木] また寒くなっちゃったね。こんな日はやっぱりうどん「ぶっかけ豚元気玉トッピング」だ!【賞讃】


桜の開花宣言もあったのに、また寒くなっちゃいましたね。


こんな日はやっぱり、あったかいうどんですよね。

というわけで、東四つ木の賞讃ですよね。

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交通の便は悪いのですが、それが逆に隠れ家的でいいかんじのお店でもあります。


お店は平和橋通り沿い、新小岩方面から行けば平和橋を渡って左手にあります。


今日のオーダーは「ぶっかけ豚元気玉トッピング」

なんですが、勢い余って「かきあげ」もトッピングしてみました。


かき揚げって、立ち食いそば屋さんのように、大きいのがドーンって乗っているのではなくて、


二口サイズ(ひとくちでも行けるか?)が4つついてきました。


うどんはコシがあってのどごしのいい、ほんとにおいしいうどんですね。

こんな場所なのにいつも行列ができている、賞讃さんでした。

賞讃うどん / 京成立石駅四ツ木駅
昼総合点★★★★ 4.7

2018年3月18日日曜日

[大人の東四つ木] たかまつななの『笑える!政治教育ショー』に行ってきた!これ、みんなに見てほしいぞ!


先日、ちょっと変わったイベントに参加してきました。



笑える!政治教育ショー

というものです。

たかまつななさん、知ってますか?


こんなかんじで売り出していたお笑いのピン芸人さんでしたが、いまでは『笑下村塾』という会社を設立して、「政治をもっと身近に感じる」活動をなさっています。

そんなたかまつななさんの「笑える!政治教育ショー」が、先日四つ木でありました。

場所は、毎日のようにイベントを行っている「イベントシェアハウス縁」。


ちょっと交通の便は悪いのだけど、それがまたこのイベントハウスのいいところかも。

行ってみると、入り口に看板がありました。


まだ売れてない(失礼)芸人さん好きとしては、この手のライブには行かざるを得ませんww

司会は、サンミュージックのエルシャラカーニのお二人と、

吉本興業の田端藤原の藤原さん。

ちなみに右の方。

田畑藤本のヒダリ田端さんは、高学歴芸人としてテレビに出てますが、今回は右の藤原さん。


会場は10名ほど。

政治ショーも興味津々ですが、売れない(何度も言うなw)芸人さんが間近に見れるいいチャンスでしたよ。

内容はこんなかんじ。

  • 三分で分る民主主義
    • パワーポイントを使って、民主主義ってなんだっけ?という説明を、お笑い芸人らしく、おもしろく解説。
    • 多数決だからといって、メジャーなことだけが決まっていくわけではないという話をアメリカのオバマさんを例に出して説明したり、

    • ヒットラーだって、はじめは選挙で選ばれたという話

  • 選挙に行かないと損する仕組み
    • 知ってました?他の世代と比べて投票率が1%下がると、その世代は年間一人135,000円損しているんですよ。
    • っていうお話しはとくに印象的。

  • 逆転投票シミュレーション
    • 藤本さんは「お笑い芸人も客層を見て話すことを決める」と言いました。
    • 政治家も同じ。期待される世代層に見合った政策を実現しようとするのは当然のこと。
    • 投票に行かないほど、政治家の相手にもされていないということですね。

  • 悪い政治家を見抜く人狼ゲーム
    • いま高校生の間ではやっている人狼ゲームを取り入れて、世論に左右されず正しい選択をすることを学びます。

投票は行かなきゃいけないとわかっていても、億劫になっちゃう。

でもやっぱり行かなきゃいけないんだなぁ、と感じる2時間でした。



2018年3月8日木曜日

[大人の西新小岩] 日本で唯一?他の店にはない◯◯をルノアール新小岩店で食べてみた


今回は、新小岩駅北口です。



住所的には西新小岩ですね。

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北口改札目の前にあるルノアールでしか食べれないのでは?と言われているアレを食べてきました。


ルノアールは階段またはエレベーターで2階に上がります。かなり広いです。


入り口には、今日のランチメニューがありました。

「しまほっけ焼き」なんてあるところを見ると、まさに昭和の喫茶店健在というかんじですね。

なんとなくホッとします。

中に入ると、喫煙禁煙を聞かれ、禁煙席に案内されました。とはいうものの、一段高いところが禁煙、手前が喫煙というラフな分煙です。


いちおうメニューを開けますが、今日は食べるものは決まっています。

当店特製カツDON

です。

どうやら、ルノアールではここにしかないメニューとのこと。


まずはセットのサラダ。

サウザンアイランドドレッシングです。

発音、あってる?


ほどなくして、やってきましたカツDON

大きめの丼です。

直径25センチぐらい。

期待が持てますね。

じゃーん

ざ、カツ丼!

と言ったかんじですね。


溶き卵の広がり具合も絶妙。


これ、じつはスプーンがついてきたんですよ。

ん?箸じゃないの?

箸はさっきのサラダでついてきたので、そちらでいただきました。


カツもまずまずの厚さ。

口に入れると、そのやわらからさ、煮汁のほどよい甘さが口に広がります。

うまいです。

飽きない味、ですね。

さすが年齢層の高いルノアール。最後にお茶が出てきました。

ところで、なんで新小岩店だけカツ丼があるんでしょうね。

帰りのレジで聞いてみたら、「直営店じゃなくてフランチャイズなので自由にできる」とのことでした。

なぁるほど!


新小岩駅は現在、南北自由通路の工事中です。その進捗を確かめるには、このルノアールがもってこいですよ。

ルノアール 新小岩店喫茶店 / 新小岩駅
昼総合点★★★★ 4.6

2018年2月28日水曜日

[大人の葛飾の橋(4 奥戸新橋)] 新金線のルートには、変更された歴史が!奥戸新橋は旧新金線の線路上にあった


今回は奥戸新橋です。



新中川の上流に、新宿と書いて「にいじゅく」がありますが、この新橋はそのまま「しんばし」です。


奥戸は、面積が広いわりには、橋が多くありません。

本奥戸橋
奥戸橋
奥戸新橋
そして八劔橋

東新小岩のオトカツとしては、本奥戸橋と平和橋の間に橋がひとつ欲しいところですね。

さて、奥戸新橋です。

奥戸新橋は、奥戸街道に掛かる橋です。

この端を東に抜けると、江戸川区に入り、蔵前橋通りと合流します。

この橋も、他の新中川に掛かる橋と同様、昭和36年(1961年)に完成しています。

スパイラルマリーナ

この橋の下流側には、ヨットを停泊できる「スパイラルマリーナ」があります。

新金線旅客化の際には、駅ができる計画があります。

ここからなら、東京湾もすぐそこですね。


振り返って、橋の上流川を見てみましょう。


この地図の青い線の道路ですね。

やけにきれいな曲線を描いてますね〜。

こういう道路は、アヤシイ(笑

調べてみましょう。


左は昭和5年の地図にある新金線の線路です。

まだ新中川がありませんね。

右は現在の新金線。

大きく膨らんでいますね。

新中川を開墾する際、鉄橋部分の距離が長かったことから、新金線のルートから変更したようですね。


そして、もともとあった線路の土地は、道路として現在残っています。

ということは!

奥戸新橋は、新金線旧ルート上にあるというわけですね。

2018年2月27日火曜日

[大人の葛飾の橋(3 中川大橋)] 中川大橋も昭和初期までは、渡し船だったみたいだよ。


葛飾区にかかる橋を一つづつ探訪する、大人の葛飾の橋

今回は、中川大橋です。



国道6号(水戸街道)が中川を渡る橋です。


水戸街道とは、水戸徳川家はもとより、江戸時代に混雑する奥州街道を避けて江戸に入る東北からのルートとして栄えていました。

明治期には陸前浜街道と名前を変えます。


大正時代になって、自動車需要が増え、道路が直線化されていきます。

それにともない、旧街道の並木が切られるなど面影が失われていったようです。


ちょうど夕方に通ったのですが、橋の上は車でぎっしりでした。

葛飾区新宿は、江戸時代は水戸街道、佐倉道へと抜ける交通の要所(記事参照)でしたが、残念ながら今ではその面影もありません。



中川大橋は昭和8年(1933年)に掛けられた橋です。

この地図の赤い部分です。
国道6号には平地部を流れる河川が多いが、架橋されたのは大正時代から昭和初期までかかっており、川幅の短い河川を除けば、旧道路法が1919年(大正8年)に成立する以前は大部分が渡し船によって川を渡った。

架橋年は茨城県だけでも、鮎川橋(日立市・鮎川)は1927年(昭和2年)、榊橋(久慈川)は1930年(昭和5年)、銭亀橋(土浦市・桜川)は1934年(昭和9年)、大利根橋(利根川)が1930年(昭和5年)に架設されており、昭和初期が多い(wikipedia)
江戸名所百景より


旧道路法が誕生する大正8年(1919年)までは、国道に橋を架けるのが難しかったらしく、昭和8年までは中川も渡し船だったようですね。

江戸時代には、歌川広重も中川の景色を描いています。

新宿の宿場町をかすめるように国道6号線が通っていますね。


都心から金町に向かって橋を渡ったすぐのところに、日枝神社があります。


この地図の黄色いところです。

新宿の宿場町の鎮守様であり、山王大権現と呼ばれた神社です。

さすがに国道6号のルートも日枝神社を避けて通るしかなかったようですね。

橋から亀有方面を望む

現在の橋は、1988年に掛け替えられた二代目の橋です。

2018年2月26日月曜日

[大人の新金線] 新金線に、川のない橋はなぜあるのか?(その2 新宿)



新金線の線路が開通した昭和10年(1926年)ごろの葛飾区は、まだまだ広大な田畑が広がる土地でした。



用水路が四方に広がり、新金線もあちこちで鉄橋が必要だったことと思います。

この鉄橋も、そんな用水路の鉄橋だろう、と思っていました。



場所はこちら。

もう水戸街道の一歩手前ですね。


一段低いところの土地の両端を、りっぱな石造りで囲っています。


明治43年(1908年)の地図と見比べてみましょう。

ちょっと小さくてわかりづらいですね。


ここです。

ちょっとぼやけてしまいましたが、どうやら地図記号が読めないとダメみたいですね。



まず左右に引かれた2本点線です。

文字は右から読んで下さいね。

2本点線の記号は「間道(かんどう)」です。

間道?辞書を引いてみました。

主な道から外れた道。脇道。抜け道。「間道を抜ける」

抜け道ですね!そういえばこの点線の先は実線になっていて、ふつうの道路のようです。

つぎに上下に引かれた1本点線です。

これは小徑(こみち)だそうです。

ん?抜け道とこみち。

微妙な感じですが、こみちの方が細いのかな?


もう一度トップ画像です。

この地図記号から見ると、左右が「こみち」、線路の下を通るのが「抜け道」となります。

どちらも非公式な道だったようですね。

そこにコンクリート造りの低い段差。

人の通る道というよりは、水が流れていたと考えるほうが自然なようですが、地図を根拠にすると道だったようです。

コンクリートの段差も、一部低くなっているのを見ると、宅地だったのでしょうか。

正確にはなんだったのか、わからないままの記事となりました。

ご存じの方おしえてくださーい。

[大人の新金線] 新金線に、川のない橋はなぜあるのか?(その1)東京街道踏切


新金線は、2018年度も旅客化実現のための「調査費」が3,100万円つくことになり、また一歩現実味を帯びてきましたね。



新金線の旅客化実現を推す市民の会にも所属しているオトカツは、先日、新金線の線路沿いを新小岩から金町方面に散歩したんです。


ちょうどこのブログの2018年通年テーマの「葛飾の橋」の取材も兼ねていたのですが、東京街道踏切の脇に、鉄橋がありました。


こんな鉄橋。

左奥が東京街道踏切。

川の部分、干上がってますな。

不法投棄的なものもありあすな。

これなんでしょ?



これは、明治42年(1908年:左)と現在(右)の東京街道踏切付近の地図です。

赤い丸じるしをつけたところが、東京街道踏切です。

左の明治42年の地図には、新金線の代わりに一本の線が通っていますね。

これは仲井堀と呼ばれるものです。

葛飾区は、関東大震災、東京大空襲より以前は、広大な田畑の広がる土地でした。

その用水を水元小合溜から引くための用水路が江戸時代の中期に完成しました。

葛飾の土地を東から西に3本の用水路。

東井堀、仲井堀、西井堀です。

1963年に新中川ができるまで、この3本の用水路は形を留めていたようですが、その後の宅地化により暗渠となっています。

東井堀、西井堀は、その暗渠の上を「親水公園」として跡をとどめていますが、仲井堀はおそらく新中川とルートが重なる部分が多く、まったく原型を留めなくなっています。


おそらく唯一、鉄橋というかたちで、堀の跡が残っているのが、東京街道踏切の横なんですね。