2018年2月26日月曜日

[大人の新金線] 新金線に、川のない橋はなぜあるのか?(その2 新宿)



新金線の線路が開通した昭和10年(1926年)ごろの葛飾区は、まだまだ広大な田畑が広がる土地でした。



用水路が四方に広がり、新金線もあちこちで鉄橋が必要だったことと思います。

この鉄橋も、そんな用水路の鉄橋だろう、と思っていました。



場所はこちら。

もう水戸街道の一歩手前ですね。


一段低いところの土地の両端を、りっぱな石造りで囲っています。


明治43年(1908年)の地図と見比べてみましょう。

ちょっと小さくてわかりづらいですね。


ここです。

ちょっとぼやけてしまいましたが、どうやら地図記号が読めないとダメみたいですね。



まず左右に引かれた2本点線です。

文字は右から読んで下さいね。

2本点線の記号は「間道(かんどう)」です。

間道?辞書を引いてみました。

主な道から外れた道。脇道。抜け道。「間道を抜ける」

抜け道ですね!そういえばこの点線の先は実線になっていて、ふつうの道路のようです。

つぎに上下に引かれた1本点線です。

これは小徑(こみち)だそうです。

ん?抜け道とこみち。

微妙な感じですが、こみちの方が細いのかな?


もう一度トップ画像です。

この地図記号から見ると、左右が「こみち」、線路の下を通るのが「抜け道」となります。

どちらも非公式な道だったようですね。

そこにコンクリート造りの低い段差。

人の通る道というよりは、水が流れていたと考えるほうが自然なようですが、地図を根拠にすると道だったようです。

コンクリートの段差も、一部低くなっているのを見ると、宅地だったのでしょうか。

正確にはなんだったのか、わからないままの記事となりました。

ご存じの方おしえてくださーい。

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