2016年3月30日水曜日

[大人の歴史] 葛飾区って、なに県?えっ?

http://blog.goo.ne.jp/kaba14_11/m/201206


葛飾区って東京都でしょ?


それはもちろん。







しかし明治維新の頃には、県だったことが!


1869年(明治2年)1月13日、武蔵知県事・河瀬秀治の管轄区域をもって小菅県が設置された。県名は、県庁が葛飾郡小菅村(現東京都葛飾区小菅一丁目35番1号)の旧幕府小菅御殿(旧関東郡代小菅陣屋、現東京拘置所)に置かれたことによる。

東京府(第1次)との管轄区域の交換を経て、主に東京の北東郊外を管轄した。

河瀬知事の発議により、備荒貯蓄と窮民救済の機関として、七分積金に類する報恩社を組織している。

1871年(明治4年)7月14日の廃藩置県を経て、同年11月14日に第1次府県統合により東京府(第1次)および品川県と合併して東京府(第2次)となった。wikipedia

ここに出てくる小菅御殿は、言わずとしれた現在の東京拘置所であります。



また、綾瀬川の向かいにある小菅神社は、小菅県ができた時に伊勢神宮を勧請したものだそうです。


一度見に行かなきゃ。


2016年3月29日火曜日

[大人の一丁目一番地(2)] 葛飾区新小岩1-1を歩く。荒川がなかったころは平井の方まで、西井堀で潤う広大な田畑だったんだなぁ。


新小岩1丁目1番地です。










荒川沿いの住宅地です。


南側はすぐ江戸川区松島です。


このあたりは、新小岩の駅も近くて、静かだし、良い土地ですね。


荒川のたか~い土手があります。


これさえなかったら、日当たりも良くていいのになぁ。


荒川なかったら、平井の方まで続くひろ〜い土地でしたね。


荒川ができる前の地図を見てみると


おなじみ、明治時代の地図です。


総武線平井駅はありますが、新小岩駅は旅客駅としては昭和に入ってから営業しているので、この地図にはありません。


まさに、平井、逆井のほうまで続く田畑でしたねぇ。


この地図見て、気になるのが、総武線を斜めに横切る直線です。


なんだろ、これ。


想像がつく方も多いと思いますが、これ江戸時代から使われていた用水路ですね。


水元公園にあった小合溜から、いまの東京理科大前を通って、新宿を下り、奥戸を横切って、たつみ橋交差点を抜けて、荒川の向こう側まで用水路があったのですね。


東新小岩のあたりは「西井堀せせらぎパーク」として公園になっています。


また、西井堀というぐらいですから、仲井堀、東井堀もあり、いずれもいまは暗渠となっています。


荒川がなかったころは、この西井堀の用水を使って、いまの平井南部の田畑も潤っていたはず。


平井の農業も水元公園の水を使っていたということは、荒川で分断されてしまった今、感覚的には掴みづらいですが、新小岩1-1あたりは、中川南部の中心地だったのかもしれません。



2016年3月28日月曜日

[大人の新小岩] 「善初流そば中村」でランチ。善初流?ってなんだ?


今回は新小岩駅南口すぐ、平和橋通りにある「善初流そば中村」に行ってきました。






大きなビルの一階にあることもあって、あまり目立った外観ではありません。


のれんも目立たないこともあって、通り過ぎちゃうかもしれません。


お店に入ると「善初流」という看板が目に入ります。


ん?


善初流ってなんだ?


調べてみました。


昭和23年開店、善初流の由来は一人のお坊さんが当店へ食べに来られ「とてもおいしいそばだ。」と言ってその時に「初めから善い、おいしいそばを作り、おいしいそばを食べられたお客様に初めから善い事が起きるように祈って作りなさい。」と言われ、その言葉の意味を目標とし、「善初流そば中村」と名付け試行錯誤をくり返し現在のそばとつゆの味にたどりつきました。デイムーブ

お蕎麦屋さんでたまに「流派」が掲げられているところがありますが、この中村さんの善初流にはこんな意味があったのですね。


店内は、テーブルが10卓ほど。お座敷も1テーブルあります。


今日は天もりをお願いしました。


お蕎麦は細め。


蕎麦の香りがわさびと共に引き立つおいしいお蕎麦です。


お蕎麦だけ食べてもじゅうぶんにおいしいです。


天ぷらは、なす、さつまいも、しいたけ。


新小岩周辺では、たつみ橋の「旭庵」がおいしいですが、旭庵と互角なおいしさでした。


善初流そば中村
03-3651-4902
11時30分~15時30分、17時30分~20時00分
定休日 木曜日