2017年5月2日火曜日

[大人の高砂] 東関部屋、五月場所の番付発表!十両の番付って何枚目まであるの?





これを見ると、「札野:三段目95枚目」とか「和田:西序二段101枚目」とかあるわけです。

前頭は15枚目まで、っていうのは知ってたのですが、幕下って何枚目まであるんでしょう?

相撲の階級おさらいと東関部屋力士

下から行きます!

序ノ口

序ノ口(じょのくち)は、大相撲の番付の最下位の階級。番付表では最も小さい文字で書かれるため、「虫眼鏡」とも呼ばれる。
元々は、番付の上り口という意味で「上ノ口」と表記したが、「上」は上位と紛らわしくなるため、「序ノ口」が用いられるようになった。
上から数えると五段目であるため、かつては「五段目」とも呼ばれた。(wikipedia)

松 岡 東序ノ口31


序二段(定員なし100~150人)

序二段(じょにだん)は、大相撲の番付上の地位のうちの1つであり、序ノ口の上、三段目の下の地位である。
(中略)三段目以上とは異なり定員は決まっておらず、近年では概ね東西各約100枚から150枚程度が在籍することが多い。
(中略) 番付表の下から2段目に書かれることに由来する。近年の番付編成の傾向をみると、以下の成績を上げれば翌場所の三段目昇進は確実とされる。
7戦全勝(優勝の有無を問わず)で無条件。
70枚目以内で6勝1敗。
40枚目以内で5勝2敗。
20枚目以内で4勝3敗。 (wikipedia)

富士寿 東序二段28
和 田 西序二段101


三段目(定員200人)

三段目(さんだんめ)は、大相撲の番付における階級のひとつ。
幕内、十両、幕下に次ぐ地位で、番付表の上から「三段目」にその位の力士の四股名が書かれることに由来している。
現在の定員は東西100人ずつの計200人である。
ただし三段目最下位格付出の力士はこれに含めない。
近年の番付編成の傾向をみると、以下の成績を上げれば翌場所の幕下昇進は確実とされる。
7戦全勝で(優勝の有無を問わず)無条件。
50枚目以内で6勝1敗。
25枚目以内で5勝2敗。
10枚目以内で4勝3敗。 (wikipedia)

白 虎 東三段目3
華王錦 東三段目20
高見劉 西三段目58
美登桜 西三段目69
駿河富士 西三段目91
札 野 東三段目95


幕下(定員120人)

幕下(まくした)は、大相撲の番付における階級のひとつ。
十両の下で三段目の上。
十両のなかった時代には幕内のすぐ下の階級であったためにこの名がある。
番付では上から二段目に記載されるため、正式名称は「幕下二段目」。
現行の制度では東西60人ずつ、合計120人が定員。

高三郷 西幕下45
早く十両以上の上位力士が出るといいですね~~~

期待していますよ。

2017年4月29日土曜日

[大人の立石] 気になって仕方ない!「邦麺」ってなんだ?【邦右衛門】




立石「邦右衛門」です。


どの料理もはずさないステキなお店ですが、今回のお目当ては「邦麺」!

この写真の左下に、書いてあるでしょ。

くにめん?

ラーメンじゃないし、なんだ?というわけで食べてきました。

今日のお料理

クリームチーズ味噌漬け
鯖の燻製
ふきのとうと豆腐のチャンプルー
邦麺


クリームチーズ味噌漬け


いきなりうまいです。

邦右衛門にはチーズの燻製もあって悩むところですが、今日はクリームチーズの味噌漬けを頼んでみました。
ひとかけをちょっとづつ齧っていただきます。
酒が進む!

鯖の燻製


邦右衛門に来るとかならず頼んじゃうコレ。
燻製の香ばしい香りと鯖のあぶら感が絶妙にあっています。
おすすめ。

ふきのとうと豆腐のチャンプルー


チャンプルーといえばごうやが定番ですが、邦右衛門には「ふきのとうと豆腐のチャンプルー」があります。
ふきのとうの苦味が豆腐に合いますね。
これもうまし。

2017年4月28日金曜日

[大人の区境を行く(5)] 新中川を超えて、細田・鎌倉~京成小岩へ。区境を超えるとそこは...

柴又街道京成小岩踏切


目次



前回の境川親水公園~新中川では、川に沿って区境があったことから、あまり苦労せずたどれたのですが、今回はなかなかたどることができませんでした。

赤いところが葛飾区です。

区境がギザギザ。

どんな示し合わせがあって、この区境になったんでしょうねぇ。

というわけで、今回は区境をたどることは、なかばあきらめ。

でも、歴史をたどると、なかなか面白い土地でしたので、紹介しますね。



江戸川区の土地整理事業(昭和14年)

1920年代
1920年(昭和10年)ごろの、細田・鎌倉地区です。

総武線も開通しており、小岩の駅もあるものの、駅の周りは見渡す限りの田畑です。

おそらく平らな土地でしたから、北の方を見渡せば、きっと帝釈天のほうまで見えたのではないでしょうか。

1939年
そんな小岩周辺も、1939年(昭和14年)になると、区画が一変します。

総武線、京成線の沿線を中心に、区画が整理されていますね。

JR小岩駅周辺の変遷

更新日:2014年10月28日
  • 明治32年
駅開業 
  • 昭和2年から昭和5年
駅周辺商店会結成 
  • 昭和10年から昭和14年
駅周辺耕地整理事業 


 江戸川区のホームページをみると、「昭和10年から昭和14年:駅周辺耕地整理事業」とありますね。

この時期にきれいになっているのですね。

いっぽうの葛飾区は

1939年の地図をもう一度見てみましょう。


境界線を描いてみました。

都市計画がされているのが江戸川区、まだ計画がされていないのが葛飾区です。

昔の地図を見る限り、葛飾区に都市計画が導入されたのは戦後のようです。

というのも、明治時代の葛飾区は、鎌倉、奥戸、細田、曲金(高砂)など集落が点在しており、都市計画がしづらかったのに対し、江戸川区は小岩村以外に街道沿いの大きな集落が少なく、区割りがしやすかったのではないかと思っています。