柴又街道京成小岩踏切 |
目次
前回の境川親水公園~新中川では、川に沿って区境があったことから、あまり苦労せずたどれたのですが、今回はなかなかたどることができませんでした。
赤いところが葛飾区です。
区境がギザギザ。
どんな示し合わせがあって、この区境になったんでしょうねぇ。
というわけで、今回は区境をたどることは、なかばあきらめ。
でも、歴史をたどると、なかなか面白い土地でしたので、紹介しますね。
江戸川区の土地整理事業(昭和14年)
1920年代 |
総武線も開通しており、小岩の駅もあるものの、駅の周りは見渡す限りの田畑です。
おそらく平らな土地でしたから、北の方を見渡せば、きっと帝釈天のほうまで見えたのではないでしょうか。
1939年 |
総武線、京成線の沿線を中心に、区画が整理されていますね。
JR小岩駅周辺の変遷
更新日:2014年10月28日
- 明治32年
駅開業
- 昭和2年から昭和5年
駅周辺商店会結成
- 昭和10年から昭和14年
駅周辺耕地整理事業
江戸川区のホームページをみると、「昭和10年から昭和14年:駅周辺耕地整理事業」とありますね。
この時期にきれいになっているのですね。
いっぽうの葛飾区は
1939年の地図をもう一度見てみましょう。
境界線を描いてみました。
都市計画がされているのが江戸川区、まだ計画がされていないのが葛飾区です。
昔の地図を見る限り、葛飾区に都市計画が導入されたのは戦後のようです。
というのも、明治時代の葛飾区は、鎌倉、奥戸、細田、曲金(高砂)など集落が点在しており、都市計画がしづらかったのに対し、江戸川区は小岩村以外に街道沿いの大きな集落が少なく、区割りがしやすかったのではないかと思っています。
区境を実際に歩いてみた
さて、この都市計画の時期の違いは、街並みにもちょっとした温度差が生まれています。
江戸川区の道路をたどっていくと、葛飾区の区境で行き止まりになっていたり、
曲がり角から葛飾区に入ると、車線が一つになっているとか。
顕著なのは、千代田商店街です。
この商店街は一本道ですが、両端(入り口と出口)が江戸川区、中央部分が葛飾区という商店街です。
区境を超えると車線が一つ。
生活道路としては、区の境は大きく関係ないですから、統一感がある行政であってほしいですね。
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