2017年4月28日金曜日

[大人の区境を行く(5)] 新中川を超えて、細田・鎌倉~京成小岩へ。区境を超えるとそこは...

柴又街道京成小岩踏切


目次



前回の境川親水公園~新中川では、川に沿って区境があったことから、あまり苦労せずたどれたのですが、今回はなかなかたどることができませんでした。

赤いところが葛飾区です。

区境がギザギザ。

どんな示し合わせがあって、この区境になったんでしょうねぇ。

というわけで、今回は区境をたどることは、なかばあきらめ。

でも、歴史をたどると、なかなか面白い土地でしたので、紹介しますね。



江戸川区の土地整理事業(昭和14年)

1920年代
1920年(昭和10年)ごろの、細田・鎌倉地区です。

総武線も開通しており、小岩の駅もあるものの、駅の周りは見渡す限りの田畑です。

おそらく平らな土地でしたから、北の方を見渡せば、きっと帝釈天のほうまで見えたのではないでしょうか。

1939年
そんな小岩周辺も、1939年(昭和14年)になると、区画が一変します。

総武線、京成線の沿線を中心に、区画が整理されていますね。

JR小岩駅周辺の変遷

更新日:2014年10月28日
  • 明治32年
駅開業 
  • 昭和2年から昭和5年
駅周辺商店会結成 
  • 昭和10年から昭和14年
駅周辺耕地整理事業 


 江戸川区のホームページをみると、「昭和10年から昭和14年:駅周辺耕地整理事業」とありますね。

この時期にきれいになっているのですね。

いっぽうの葛飾区は

1939年の地図をもう一度見てみましょう。


境界線を描いてみました。

都市計画がされているのが江戸川区、まだ計画がされていないのが葛飾区です。

昔の地図を見る限り、葛飾区に都市計画が導入されたのは戦後のようです。

というのも、明治時代の葛飾区は、鎌倉、奥戸、細田、曲金(高砂)など集落が点在しており、都市計画がしづらかったのに対し、江戸川区は小岩村以外に街道沿いの大きな集落が少なく、区割りがしやすかったのではないかと思っています。

区境を実際に歩いてみた


さて、この都市計画の時期の違いは、街並みにもちょっとした温度差が生まれています。


江戸川区の道路をたどっていくと、葛飾区の区境で行き止まりになっていたり、


曲がり角から葛飾区に入ると、車線が一つになっているとか。

顕著なのは、千代田商店街です。


この商店街は一本道ですが、両端(入り口と出口)が江戸川区、中央部分が葛飾区という商店街です。



区境を超えると車線が一つ。

生活道路としては、区の境は大きく関係ないですから、統一感がある行政であってほしいですね。


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