ラベル 神社&グルメ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 神社&グルメ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年6月21日日曜日

【大人の神社&グルメ22】地元の神社を巡って地元のお店にも行っちゃうツアー【水元神社】




毎月、満月と新月の日に、葛飾の地元神社を巡って、美味しいお店にも行っちゃおうツア~



22回目は『水元神社』

今回は、水元神社です。

 

水元神社の創建年代は不詳ですが、古くから水元猿町の鎮守として香取社が祀られていたといい、明治6年には郷社に列格していたといいます。水元公園建設のため、町内の浅間(葛三橋南詰麓、水元猿町2613)・熊野神社・吾妻神社・天祖神社の四社を合祀して水元神社と改称したといいます。(HP「猫の足あと」より)

水元神社の説明に「水元猿町」の鎮守とありますね。水元猿町とは?

水元猿町 

水元猿町とは、1981年まであった地名です。
1981(昭和56)年までは「水元猿町」という「猿」がつく地名がありました。現在の水元・東水元・西水元・水元公園の一部にあたります。「猿俣」は、約770年前の鎌倉時代の文書に書かれている古い地名で、その後、江戸時代までに「猿ヶ俣」に変化しました。
 なぜ「猿俣」という地名になったか詳しくはわかっていませんが、「俣」は川が合流したり分かれたりする場所のことで、川からつけられたとする説があります。(葛飾区史)
この赤字とした「鎌倉時代の文書」とは「神鳳鈔」というもので、
葛西御厨は、『神鳳鈔』に「葛西猿俣御厨」と記されていることから、初めは葛西地域の北部に位置する猿俣(葛飾区水元)周辺が御厨として開発され、その後、葛西地域の開発が進行するにしたがって御厨が拡大されたものと考えられる。(葛飾区史)

今では葛飾区の北限(しつれい)に位置する水元エリアですが、この猿俣という呼び名は中世に伊勢神宮へ寄進していた荘園、葛西御厨の発祥の地でもあるのですね。葛西御厨は時代を経て拡大していき、明治初期の金町村、上木下川村、下木下川村、上篠崎村、下篠崎村ぐらいまでの広大な土地となります。水元猿町は、その発端となった土地なのですね。

今回のグルメは

今回は、雨が降ってしまい、また午後2時スタートということもあり、近くのコメダ珈琲で一休みして、散会となりました。

このイベントは

毎月、新月と満月の日に、地元の神社をランダムに参拝しています。

これからの予定は、フェイスブックイベントで確認してくださいね。

2020年6月7日日曜日

【大人の満月】 満月の日は神社に行こう[神社&グルメ21]王子白髭神社と浄光寺(木根川薬師)




満月・新月は、神社に行こう

昨日6月6日は満月でした。

もう2年ぐらい前から、葛飾を中心とした東東京エリアの神社に参拝に行こう、というイベントをやっています。

天皇崇拝とか宗教傾倒とか、そういうのではないんです。

あっという間に過ぎ去っていく毎日に流されていきそうになるなかで、どっか立ち止まって振り返ってみたり、自分と向き合う時間をちょっと作りたいなと思ってはじめました。



今回は東四つ木に行きました

イベントも今回で21回目。

訪問したのは、二箇所です。

王子白髭神社


綾瀬川と中川が合流するすぐそばにある王子白髭神社。

大正8年(1919年)の荒川開墾で、現在地に移動させられています。


小学校の裏手に位置しているのですが、神社に向かう道はこの細い道しかなく、ちょっと迷います。


大きな道が近くにないこともあり、ひっそりと佇んでいます。


白髭神社という額が、りっぱでした。


こちらは平成30年の例大祭のようすです。荒川は名前の通り荒い川であり、氾濫の危険と隣合わせの流域の町は、他のエリアより団結が強いようです。

浄光寺(木根川薬師)

もうひとつ、王子白髭神社のそばにある浄光寺(木根川薬師)にも行ってきました。

薬師如来とは
薬師如来は東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土とも称される)の教主で、菩薩の時に12の大願を発し、この世門における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成ったと説かれる。(wikipedia)
ですので、今回のコロナ退散を願って、訪問をしました。


 これは1919年に荒川に放水される直前の地図です。



荒川開墾で移転する前、赤丸にあるのが、浄光寺。まさに荒川予定地のど真ん中です。

東西に薬師道が伸び、西には千住と浅草へ別々の薬師道があったといいます。


さすが浅草寺の筆頭格の末寺。敷地も広く、東東京の宗教の中心地のひとつだったのですね。


次回は6月21日新月の日、水元神社です。

イベントはこちら