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2020年6月7日日曜日

【大人の満月】 満月の日は神社に行こう[神社&グルメ21]王子白髭神社と浄光寺(木根川薬師)




満月・新月は、神社に行こう

昨日6月6日は満月でした。

もう2年ぐらい前から、葛飾を中心とした東東京エリアの神社に参拝に行こう、というイベントをやっています。

天皇崇拝とか宗教傾倒とか、そういうのではないんです。

あっという間に過ぎ去っていく毎日に流されていきそうになるなかで、どっか立ち止まって振り返ってみたり、自分と向き合う時間をちょっと作りたいなと思ってはじめました。



今回は東四つ木に行きました

イベントも今回で21回目。

訪問したのは、二箇所です。

王子白髭神社


綾瀬川と中川が合流するすぐそばにある王子白髭神社。

大正8年(1919年)の荒川開墾で、現在地に移動させられています。


小学校の裏手に位置しているのですが、神社に向かう道はこの細い道しかなく、ちょっと迷います。


大きな道が近くにないこともあり、ひっそりと佇んでいます。


白髭神社という額が、りっぱでした。


こちらは平成30年の例大祭のようすです。荒川は名前の通り荒い川であり、氾濫の危険と隣合わせの流域の町は、他のエリアより団結が強いようです。

浄光寺(木根川薬師)

もうひとつ、王子白髭神社のそばにある浄光寺(木根川薬師)にも行ってきました。

薬師如来とは
薬師如来は東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土とも称される)の教主で、菩薩の時に12の大願を発し、この世門における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成ったと説かれる。(wikipedia)
ですので、今回のコロナ退散を願って、訪問をしました。


 これは1919年に荒川に放水される直前の地図です。



荒川開墾で移転する前、赤丸にあるのが、浄光寺。まさに荒川予定地のど真ん中です。

東西に薬師道が伸び、西には千住と浅草へ別々の薬師道があったといいます。


さすが浅草寺の筆頭格の末寺。敷地も広く、東東京の宗教の中心地のひとつだったのですね。


次回は6月21日新月の日、水元神社です。

イベントはこちら


2018年5月14日月曜日

[大人の東新小岩] 平和橋通り「たつみばし交差点」の「たつみ(南東)」の方角は、どこを起点にしているのか?【教えて詳しい人!】

葛飾区に住んでいる方は、新小岩駅を利用しようと思ったら、かならずと言っていいほど渡る「たつみ橋」。

「たつみ」とは、「辰巳」「巽」とも書きます。

方位を十二支に当てはめた、南東の方角です。



辰巳と聞いて連想するのは「辰巳芸者」という言葉ですね(ですよね?)。

辰巳芸者とは、深川エリアで羽振りのいい材木問屋さんなどの集まりに呼ばれた芸者さんのことです。

江戸城から見た時深川が南東の方向にありましたので、「辰巳」と呼ばれたのですね。

では、新小岩の「たつみ橋」。

深川と違って、新小岩は江戸城より北東にありますので、起点は江戸城ではないようです。

では、たつみ橋の「たつみ」は、どこからみた南東なのでしょうか?


明治40年の地図でみるたつみ橋の位置はこの地図の右端の赤丸です。

平井村の田んぼのど真ん中ですね。

この交差点は道路ができる以前、西井堀という用水路が流れていました。

水元小合溜から葛飾を南西に下る用水路(西井堀)は、新小岩駅の西側をかすめ、荒川開削以前には東大島の方まで田畑を潤していました。

その西井堀に掛かる橋がたつみ橋だったのです。

その西側は、いまは荒川で東西に分断されていますが、それ以前は隅田川まで陸続きでした。

この地図にも荒川はありませんね。

たつみ橋を南西に臨むエリアに線を引いてみましょう。


左右の直線が東西の線。

そこから45度上がった緑の斜線が北東‐南西の線です。

たつみ橋を南西に臨む起点はどこだったのか?

緑の斜線を北東に上がっていくと、まずぶつかるのは上平井村です。


明治40年の上平井村です。

アイコンとなるような建物には、新小岩天祖神社、上品寺、圓成寺などがありますが、「決め手」となるような起点は見当たりません。

もう少し北東の方向を見てみても、実は「コレだ!」という起点は見当たらないのです。

オトカツが見た範囲でもっとも起点っぽいのは、これです。


木根川薬師です!

ちなみにこの地図は、1919年(大正8年)の地図です。

太く川のようになっているのは、開墾中の荒川。大正13年の通水なので、まだ水はありません。

木根川薬師が川のど真ん中にありますね。

1919年、この年に木根川薬師は現在の場所に移動しています。

たつみ橋とは、この木根川薬師を起点として南西方向なのではないでしょうか?

なぜ木根川薬師?

えっと、理由はないんです。

直感。。。。。


ちなみに、葛飾区史編さんだより新小岩地区では、「起点は小菅県の小菅御殿ではないか」としていますが、これもまた理由は不明ですね。

詳しい人教えて下さーい!