毎月、満月と新月の日に、葛飾の地元神社を巡って、美味しいお店にも行っちゃおうツア~
22回目は『水元神社』
今回は、水元神社です。水元神社の創建年代は不詳ですが、古くから水元猿町の鎮守として香取社が祀られていたといい、明治6年には郷社に列格していたといいます。水元公園建設のため、町内の浅間(葛三橋南詰麓、水元猿町2613)・熊野神社・吾妻神社・天祖神社の四社を合祀して水元神社と改称したといいます。(HP「猫の足あと」より)
水元神社の説明に「水元猿町」の鎮守とありますね。水元猿町とは?
水元猿町
水元猿町とは、1981年まであった地名です。
1981(昭和56)年までは「水元猿町」という「猿」がつく地名がありました。現在の水元・東水元・西水元・水元公園の一部にあたります。「猿俣」は、約770年前の鎌倉時代の文書に書かれている古い地名で、その後、江戸時代までに「猿ヶ俣」に変化しました。なぜ「猿俣」という地名になったか詳しくはわかっていませんが、「俣」は川が合流したり分かれたりする場所のことで、川からつけられたとする説があります。(葛飾区史)
この赤字とした「鎌倉時代の文書」とは「神鳳鈔」というもので、
葛西御厨は、『神鳳鈔』に「葛西猿俣御厨」と記されていることから、初めは葛西地域の北部に位置する猿俣(葛飾区水元)周辺が御厨として開発され、その後、葛西地域の開発が進行するにしたがって御厨が拡大されたものと考えられる。(葛飾区史)
今では葛飾区の北限(しつれい)に位置する水元エリアですが、この猿俣という呼び名は中世に伊勢神宮へ寄進していた荘園、葛西御厨の発祥の地でもあるのですね。葛西御厨は時代を経て拡大していき、明治初期の金町村、上木下川村、下木下川村、上篠崎村、下篠崎村ぐらいまでの広大な土地となります。水元猿町は、その発端となった土地なのですね。
今回のグルメは
今回は、雨が降ってしまい、また午後2時スタートということもあり、近くのコメダ珈琲で一休みして、散会となりました。
このイベントは
毎月、新月と満月の日に、地元の神社をランダムに参拝しています。
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