[大人の一丁目一番地(14)] 奥戸1-1に行ってきたよ。昔の奥戸は船着き場を中心とした水運の町



今回の一丁目一番地は、奥戸です。




いまでも結構広い。


「奥戸一丁目一番地」は、この地図の左のはじっこです。


奥戸1-1近景


このあたりは中川のの堤防沿いで、桜並木がきれいな静かなエリアですね。



奥戸の「戸」は「出入り口=船着場」という意味(岩波古語辞典)のようです。


万葉集にもこの奥戸を歌った歌ではありませんが、「君が船、こぎ帰り来て、戸に泊つるまで」という歌もあります。


実際に昔の地図を見てみると、いまの総合スポーツセンターのあたりがその船着場だったようですね。


総合スポーツセンターのできる前は湿地帯だったはずですので、ここが船をつけるのにはちょうどよかったのかもしれません。


まさに川の「奥」の「戸」だったのですね。


このあたりの村から湿地帯の船着き場に行こうとすると「奥戸天祖神社」があります。


川の交通の安全を、この天祖神社で祈願してから船に乗ったのかもしれませんね。


さて、もうちょっと古地図を広く見てみましょう。


じつは明治時代の奥戸村は、むちゃくちゃ広い。


wikipediaにも

1889年(明治22年)5月1日 - 町村制の施行に伴い、上小松村、下小松村、奥戸村、奥戸新田、曲金村、細田村、鎌倉新田の全域と、以下の2村の各一部が合併して奥戸村が発足
と書かれています。


地図で見ると


この赤で囲った地名はすべて「奥戸村」。


ざっくり言って、中川の南はほとんど奥戸村だったのですね。


平和橋通りも、蔵前橋通りも、新中川も、そしてもちろん京成電車も環七も無かった時代の奥戸村。


水元からの用水路が何本も通り、水の潤う町。


そのころは、スポーツセンターのあたりの船着き場を中心とした水運の町だったに違いありません。

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