先日、立石の焼肉屋さん「牛坊」へランチをしに、ぶらぶら散歩した。
カンパニュラのかりかりシューを食べて、牛坊に向かう途中、少し遠くにカンカンカンという踏切の警報音がなっていた。
目をやると、京成電車が通り過ぎていき、踏切が開いたところだった。
道なりに踏切の方に歩いて行くと、その踏切はまた警報音を発しながら遮断機を閉めていった。
そんな都内ではあまり見なくなった踏切の光景を、この立石は何年続けてきたのだろう。
wikipediaで見ると
1911年11月9日に第一期工事として押上 - 市川(仮・現江戸川駅西方)・曲金(現・京成高砂) - 柴又間を着工し、翌1912年11月3日に開業した(なお、この時市川へは渡船で連絡していた)。とある。
「1912年に開業している」とあるので、今年で103年か。
100年以上もの間毎日、立石の周りの踏切はカンカン鳴りながら、電車を通し人々を通してきた。
カンカン鳴る踏切の音は、街の生活音となり、人々の記憶に刻まれてきた。
その音がまもなくなくなろうとしている。
来年から、京成押上線の荒川までの全線高架化工事が始まるのだ。
ノスタルジーに浸るつもりはない。
日本の大都市の交通事情から考えたら、しかたのないことだろう。
しかし、僕達生活者にとって大切なのは、日々の生活が変わっていくということだ。
人間の目線で追える高さに走っていた電車が、はるか高い高さを街とは他人の顔をして走っていくようになる。踏切がなくなるということは、京成電車が生活に密着しなくなるっていうことだろう。
そして高架になることで、今以上に街は分断されてしまうことだろう。
葛飾区の広報には「線路が高架化されると」と題してメリットの一つに
鉄道で分断されていた市街地が一体化されることにより生活環境が改善されますと書かれている。
ほんとうだろうか。
私の育った横浜はもう40年ほど前、みなとみらい21地区の整備とともに、川の上を高架に走っていた首都高速神奈川1号線を半地下に埋めて街の景色を一変させた。
見通しが良くなりスッキリした関内地区などは馬車道が整備され、街がすっかり一体化し、活性化されたものだ。
そんなことを考えると、立石地区もきっと、高架化することで街の一体化がより損なわれるだろう。
それでも街は変わっていく。
街を実感できるのはいつの時代も「いま」であり、今の立石を愛でるることができるのは今しかない。
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