2018年2月21日水曜日

[大人の西水元] この土地で50年近くの中華料理屋さんで、一番人気の焼肉ライスを食らう【中華料理一番】


焼肉ライス、焼肉ライス。

今日はもう、これを目指して西水元までやってきました。



そう、チャリです!

大好きな中川を遡っていくうちに、すぐ着いちゃいました。

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西水元は今や工場や住宅地が広がる街になっています。

昭和40年西水元

しかしこのお店ができた50年ほど前、水元はまだ宅地開発されておらず、川沿いの集落意外は、田んぼと畑です。

ここに「よし!中華料理をやろう!」と決めたんですから、すごいですよね。


実はもう4年ほど前から知っているお店なのですが、ファザードがどんどん改良されていて、お店の前にあった階段がスロープになったりしています。


水元は、駅から遠く、車社会ということもあって、お店も駐車場完備しています。

冒頭に書いたように、今日はもう「焼肉ライス」なんです。

なにしろ、このお店の一番人気ですから。


じゃーん

やってきました。ご飯やまもり、そして焼肉どーん。


やわらかい豚肉に、秘伝(ですよね汗)のタレ。

このタレが絶妙で、さっきの大盛りご飯、ぺろりと食べれます。

お店をオープンさせたお父さんとよりステキなお店にしようとしている息子さん。

うまく二人三脚で支えられたらいいね〜

中華料理 一番中華料理 / 亀有駅金町駅
昼総合点★★★★ 4.8

2018年2月18日日曜日

[大人の西水元] 茶そばの天せいろでテンションあがる〜〜!【そば処水元やぶ】


寒い日が続く合間に、ちょっとだけ暖かい日がありました。



チャリ散歩もちょっと遠出して、水元まで行ってみました。

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水元清掃工場の北に広がる西水元の住宅街の中に、【そば処水元やぶ】があります。

端正な外観ですね。

南向きで明るいお店でした。

店内はテーブルと靴が脱げるお座敷もあります。


お品書きには、メニューがたくさん!でした。

まよう〜〜

なににしようかなぁ。

お蕎麦屋さんで迷ったときは、天せいろです。


じゃ~ん!

そば処やぶさんのおそばは、茶そばですよ!!

事前に知らなかったので、ちょっとうれしいですね。


歯ごたえも喉ごしも、おいしくいただきました!

あとから聞いたら、カツ丼もうまいんだって?

水元公園散歩のときは、また寄りますね!

そば処水元やぶそば(蕎麦) / 北綾瀬駅亀有駅金町駅
昼総合点★★★★ 4.5

2018年2月16日金曜日

[大人の葛飾の橋(2 細田橋)] 京成タウンバス小54に乗って稲荷神社バス停からエイトホール方面へ抜ける栄光の架橋だぁ!【細田橋】


葛飾区にかかる橋を一つづつ探訪する、大人の葛飾の橋。



2回めの今回は、「細田橋」です。



細田橋は、車道橋と人道橋が別れています。

1961年(昭和36年)の建設ですので、ちょっと古い感じがしますね。

実は、中川に架かる橋は現在架替計画が進んでいます。

区議会資料より
これをみると細田橋の架替は、2017年(平成29年)から工事が始まることになっていますが、まだ始まっていませんね。

前回の「大人の葛飾の橋(1)三和橋」でも紹介しましたとおり、高砂、細田、奥戸の皆さんの結束は強かったようですね。

おなじ農業を営み、おなじ東井堀の水を分け合ってきた仲だったのだと思います。

この地区に、中川放水路(新中川)が開墾されたのは1963年(昭和38年)のことでした。


1965年の細田橋です。

中川放水路が開通して2年しか経っていません。

その左に見える水たまりのような場所は、現在の奥戸総合スポーツセンターのある場所です。


現在の地図を見てみましょう。

実はこのエイトホール、野球場、テニスコートのある場所は、環七が近いもののとっても交通の便が悪いところです。

右端にある「稲荷神社バス停」は、小岩から亀有に抜ける京成タウンバスのバス停ですが、遠方から来る人達はここから、細田橋を渡って、スポーツセンターにいくことが多いようです。

まさに、細田橋は、スポーツセンターに訓練にいく人たちにとって、栄光の架け橋!なわけですね。


2018年2月13日火曜日

[大人の青戸] 青砥駅前【龍門】で、味が深くて評判のサンラータンメンを食べる。酸辣湯麺同好会活動報告(6)。


酸辣湯麺同好会です。



青砥駅前の龍門、酸辣湯麺がうまい、と以前から聞いていたんです。

酸辣湯麺同好会をはじめてから、あちこち行くようになってきましたが、いつも通る駅前の龍門にまだ行ってませんでしたので、今回行ってきました。

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地図からわかるように、お店は駅の目の前。


お店の外に、大量の写真メニューが貼ってあります。

お店は昨年改修して、内装もとってもきれいになりました。

カウンターは10席はある長いカウンター、奥にテーブルもあります。


オーダーは迷うことなく、酸辣湯麺。

お店によって名前が微妙に違うのですが、龍門ではサンラータンメン。


サンラータンメンの具は豆腐の他に、たけのこ、きくらげ、人参などが細切りになっています。

汁にとろみもしっかりついています。


麺は細すぎず、かといって太麺ではありません。

とろみのある汁が、麺にしっかりまとわりついて、うまし!

もうちっと酸味があってもいいなぁ、と思ってお酢をかけてみたら、とっても好みのサンラータンメンになりました。

駅前だし、きっとまた来ちゃうな〜

ごちそうさまー

あ、そうそう。酸辣湯麺同好会、会員募集中です!

龍門中華料理 / 青砥駅京成立石駅
夜総合点★★★★ 4.6

2018年2月11日日曜日

[大人の立石] お蕎麦はこうじゃないと!ちょっとだけ春を感じた日はこのお蕎麦【さくらうち】


今日は寒さが和らぎましたね。

絶好のチャリ散歩日和です。




今日は、中川の土手沿いを気持ちよく走って、立石まで行ってきました。

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お店は立石と青戸の間の、大通りに面していない住宅街にあります。


今日はちょっと探しちゃいました。


夜は「完全予約制」なんですね。

店内は6人がけテーブルひとつ。カウンター5席?程度。

大将が接客から厨房まで一人でこなしています。じゅうぶんな広さですね。

今日は奥さんとランチ。

私は「鴨汁せいろ」、奥さんは「せいろ+野菜五点盛り」をお願いしました。

鴨汁せいろ
せいろと天ぷら五点盛り
私は鴨汁せいろだったのですが、鴨汁の鴨つくねがうまし!


つくねは、柔らかいけど弾力もあり、つけ汁の味がしっかりしみています。

ネギも焼き色がついており、それがまたつけ汁にあいます。

これだけでも絶品。


お蕎麦は、福井の蕎麦なのでしょう。

細切りですが、端切れもあります。

歯ごたえもあり、とてもうまい。

大将、今回の北陸の大雪をとても心配なさっていました。

はやく物流や生産が安定するといいですね。

うちの奥さん、お蕎麦にはうるさくて。

「葛飾になかなか美味しいお店がない」なんて言うんですが、ここ「さくらうち」はべた褒めでした。

またきまーす。

さくらうちそば(蕎麦) / 京成立石駅青砥駅
昼総合点★★★★ 4.8

2018年2月8日木曜日

[大人の葛飾の橋(1 三和橋)] CMにも登場した三和橋の物語。橋の名前の由来を知っていますか?



年末にお話しました、2018年のブログ企画「葛飾の橋」第1回目です。

今回は、新中川を細田で渡る「三和橋」です。

新中川は、戦前より放水路として計画されていましたが、戦後カスリーン台風の被害から再度開墾が再開され、1963年に開通した川です。

江戸川区地域の工事が遅れたため、三和橋が掛けられたのは川の開通より早く1961年(昭和36年)のことでした。


これは1947年(昭和22年)の地図に、現在の地図を重ねたものです。

右下に流れる青い線が、現在の新中川です。

新中川の建設

昭和13年の大水害、昭和22年のカスリーン台風、昭和24年のキティ台風。

水をうまく下流に逃がすことができなかったことから防げなかった足立区、葛飾区、江戸川区の大水害を受け、14年の歳月をかけて突貫工事でできた新中川。

おかげで、中川や荒川に掛かる負担は減り、大きな水害はほとんど発生しなくなっています。

しかし新中川の建設により犠牲になったものも少なくありませんでした。

地域の犠牲

新中川は、田畑が広がる足立、葛飾地域はもとより、人口密度の高い小岩周辺から下流域では、大規模な補償と転居を余儀なくされています。

田畑が広がっていた葛飾東部でも、地域住民への負担と不安は広がっていたことと思います。

いままで、水元小合溜から流れ出る東井堀という細い用水路しかなかったところに、最大幅143メートルの巨大放水路ができる。

田畑を売らなければならなかった人、住んでいた場所を移転しなければならなかった人などがいました。

この地域で農業を営む住民の間には、昔からある東井堀の水で共存してきたという気持ちが強かったのでしょう。


橋の名前

巨大放水路の建設が必要なことはわかる。

しかしそれでは地域が分断されてしまう。

奥戸、高砂、細田の、放水路流域の住民は、コミュニティーが分断されることを危惧したのでしょう。

この流域住民は、放水路ができたあとに掛かる橋に、三つの地域が融和するコミュニティが形成されるようにとの願いを込めて「三和橋」と名付けたといいます。

もしかして、思いのほかこのエリアの住民は仲が良かったのかもしれませんね。


橋の掛け替え


1961年(昭和36年)に掛けられた橋の写真が、橋のたもとの碑にありました。

人道橋と車道橋の二本がありますね。

人道橋は1972年(昭和47年)に増設されて、車道橋と分けられたようです。

旧三和橋が掛けられてから40年近くたった2000年(平成12年)には「三和橋橋づくり協議会」が発足し、橋の掛け替えプロジェクトに住民の意見を反映させています。

具体的に工事は、平成15年(2003年)から平成24年(2012年)まで工事が行われました。

100メートルを超える長大橋と呼ばれる橋は、河川区域の工事が大変で、梅雨や台風の時期には工事ができないそうです。


また、交通量が多く、旧三和橋を通行止にせず、横に新三和橋を建設したことも時間の掛かった理由かもしれません。(参考:東京23区jp)


新三和橋


平成24年(2012年)に完成した三和橋は、歩道部分も広く気持ちのいい橋ですね。


歩いてみると途中にベンチがあります。

はじめはこんなところ、座る人いるのかな?とおもっていたのですが、

三和橋の橋の由来を聞くと、ここで新中川が開墾される前の奥戸、細田、高砂に思いを巡らせることができるのじゃないかなぁ、と思うようになりました。


人工の川は、このあたりまっすぐですね。

次回この橋をわたる時は、ちょっと立ち止まってベンチで休んでみようかな。


そうそう、この三和橋、CMに使われていました。

どのあたりで出てくるか、探してみてくださいね。