2017年1月3日火曜日

[大人の区境を行く(2)] 葛飾区と江戸川区の区境「小松川境川親水公園」を歩く。葛飾区にはもう相撲部屋があったんだね。



2017年のテーマとしました「葛飾区の区境を行く」。


第1回は「小松川境川親水公園」です。


小松川境川親水公園は、葛飾区の南端にあり、江戸川区との区境となっています。


江戸川区のホームページでは、

古川親水公園に続く区内で2番目にできた親水公園。菅原橋から中川までの全長3,930メートル。全体は五つのゾーンに分かれ、滝に始まり、せせらぎ、水しぶき、飛び石、釣り橋に冒険船など変化に富んでいる。水遊びができない季節でも、ウオーキングをしたりアスレチックで遊んだり四季を通じて楽しめる。また、桜の名所でもある。
となっており、公園の起点は菅原橋にあるようです。

スタート地点

しかし菅原橋は江戸川区でもあり、今回は区境を歩くのがテーマですので、今回は小松橋を総武線線路の南に渡ったあたりからスタートです。


葛飾区の区界には、いまはない川をそのまま使っているケースが多いようです。

今回のルート
まだ葛飾区や江戸川区のあちこちが田園風景だったころ、小松川境川は農業用水としても役割はもとより、肥料や農作物を運ぶ川として重要な役割を持っていました。


小松菜などは小松川境川、中川を抜けて江戸に出荷されていたわけです。


しかし農業地域の川も、農地が工場や住宅地となるにつれ汚れていき、ドブ川となってしまいます。


そんな川も1993年には親水公園として蘇っています。


公園を歩いてみましょう。



この日は天気も穏やかで、日差しもよく、川面がきれいに光っていました。


公園の幅は10メートル程度ですがその両側には一方通行の道路も併設されています。


カモもつがいでお休み

川の水は新中川から採っているようですが、浄水ポンプもあちこちに設置されており、流れる水はきれいです。


カモも羽を休めていました。



滝もあります。



吊橋もあります。

水の流れを中心とした公園で、まさに「水に親しむ」親水公園ですね。


途中、公園沿いに相撲部屋を発見しました。

住所は新小岩3丁目。

葛飾区にはすでに相撲部屋があったのですね。

By ベースボール・マガジン社 (Baseball Magazine Co., Ltd.) - 『相撲』1961年6月号(夏場所総決算号)、ベースボール・マガジン社、1961年、p.112"SUMO" June 1961 Issue, Baseball Magazine Co.,Ltd, 1961, p.112,

鏡山部屋といえば、1969年に大横綱柏戸が引退し創設した相撲部屋。

多賀竜

関脇多賀竜が引退後部屋を継ぎ、現在では年寄鏡山として運営しています。



今日歩いたのは区境を形成している平和橋通りまででしたが、小松川境川親水公園はそのまま南西に下り、千葉街道を超えて中川にまで至ります。


全長は約4キロ。実に長い公園ですね。


桜並木もとてもきれいなようです。

次回は春に訪れてみたいですね。

2017年1月2日月曜日

[大人の区境を行く(1)] 2017年は「区境を行く」がテーマです。




さて2017年。


昨年の「一丁目一番地」に代わり、2017年の通年テーマは「区境を行く」です。


葛飾区は、北から時計回りに、

三郷市、松戸市、江戸川区、墨田区、足立区 、八潮市

に囲まれています。


全長40.2キロ。


全部を踏破することはできませんが、面白そうなところを歩いてみたいと思います。


よろしくお願いします。


2017年1月1日日曜日

[大人の新小岩] 新年あけましておめでとうございます。初詣に下小松天祖神社に行ってきました。



新年あけましておめでとうございます。


2017年もブログ「大人のかつしか探訪」をよろしくお願いします。


上小松天祖神社


さて、新しい年の初詣は例年通り、紅白歌合戦の終了とともに地元の上小松天祖神社にお参りに行きました。


2017年のおせち


1日は朝、おせち料理を食べたあと、腹ごなしも兼ねて下小松天祖神社を訪れてみました。



上小松天祖神社と下小松天祖神社は、蔵前橋通りやJR総武線を挟んで南北にあります。

小松橋から新小岩駅を臨む

そこで今日は天気もよかったので、JRを超える小松橋をわたってみました。小松橋の上から新小岩駅方面を撮影してみました。


この写真に写っているグランドは私学実業団グランドです。


新小岩駅は昔は貨物駅としても機能していましたので、グランドのあったあたりは貨物機地でした。



小松橋を渡ると下小松天祖神社まではすぐでした。


りっぱな鳥居ですね。


上小松天祖神社より一回り大きな神社です。


今年も無病息災、家族安全と健康をお祈りしてきましたよ。


今年も葛飾のあちこちを探っていきますね。


どうぞよろしくお願いします。

2016年12月30日金曜日

[大人の一丁目一番地(30)] 一丁目一番地は最終回。立石1-1に行ってきたよ。



さて、大人の一丁目一番地は最終回です。


最近は駅周辺の再開発やセンベロブームで有名になっている立石ですが、歴史が深くまた歴史に流されてきた町でもあります。


立石駅の南側には奥戸街道が東西に通っていますが、この道は古墳時代の頃より古東海道と呼ばれ、浅草あたりから房総方面へ伸びる主要街道でした。


この時代の主要都市であった関西方面からの情報や物資は、陸路ではなく海路で房総半島から関東地方に運ばれてきていたため、この古東海道沿いのある立石は古くから街があったようです。

立石様:かつまるガイドより

立石の名前の由来ともなっている立石様。


もとはこの周辺にあった古墳に使用する石で房総半島から切りだされてきた物のようです。



現在の立石の「呑んべ横丁」周辺は、戦後の闇市で人が賑わったあたりから出来上がった飲み屋街という印象ですが、どうやらもう一つ大きな理由があったようです。


日本では献血制度が主流となる1960年台後半まで「売血」という制度がありました。


1回血液を売ることで3,4日暮らせる程度のお金がもらえたことから、やみつきになる人もいたようです。


立石には日本製薬葛飾工場がありここで血液製剤を造っていたことから、売血者が跡を絶たなかったようです。

五木寛之さん


作家の五木寛之さんも、貧乏だった時代には売血に訪れていたようでした。
立石の製薬会社に、しばしば血を売りに行ってピンチをしのいだ。 この売血というやつは、肉体よりも、精神に悪い影響を及ばすものらしい。出かけて、二百CC抜いて、手取り四百円ほどもらってくると、二、三日は働かないで済む。つい習慣性におちいりやすい危険があった。....四百円を握りしめてたんぼ道を帰ると、遠くの景色が傾斜して見えた。もう二度と血を売るのはやめよう、とそのときに考える。だが、またどうにもならなくなると、京成電車に乗るのだった(『わが人生の歌がたり 昭和の青春』より)

そんな立石もいよいよ2017年から再開発が本格化しそうです。


また変わっていく立石を記事にしていきたいと思います。

2016年12月21日水曜日

[大人のお花茶屋] 企画展「セルロイドの町 かつしか」を見てきたよ。



今回は、葛飾区郷土と天文の博物館で開催されている、「セルロイドの町 かつしか」展を見てきましたよ。







葛飾区郷土と天文の博物館は、京成お花茶屋駅から歩いて10分弱。




駅から少し離れていますが、曳舟川親水公園沿いのとても静かなところにある博物館です。


建物の屋根にこんもり乗っているドームはプラネタリウムです。


いろいろなプラグラムで天文の世界を垣間見ることができます。




さて今日は、葛飾の20世紀前半を支えてきたセルロイド工業が展示されている「セルロイドの町 かつしか」を見に来ました。


まずは、展示の趣旨をみてみましょう。

わが国では大正初期から昭和40年代にかけて、セルロイド素材の生活雑貨や玩具などが生産されていました。特に葛飾区では、セルロイド玩具の生産が盛んで、四つ木、立石などに多くの工場が存在していました。 この特別展では、葛飾区のセルロイド産業の状況や技術について、当時携わった人々の視点を通じて紹介していきます。日本の近代化を支えたセルロイド産業の歴史や文化を再検討する機会となればと思います。 特別展示として、「世界で初めて作られたビスク製キューピー人形」が展示されます。ぜひご高覧ください。(ホームページより)

展示されているのは、セルロイド製品の作り方や、代表的セルロイド人形のキューピーコレクション、生活用品の中に溶け込んでいるセルロイドなどをみることができます。


会場は撮影禁止でしたので、ここでは日本のセルロイドの歴史から紐解いてみましょう。

  • 1913年 永峰セルロイド工場(亀有)創業
  • 1914年 亀戸ローヤル創業
  • 1920年代、セルロイド生産世界一に
  • 1954年 米国で可燃物質規制法可決。セルロイドの米国輸出ができなくなる。

実際には1955年にはセルロイド工業はまったくの下火になってしまったようです。


セルロイドは加工しやすいというメリットがある一方、燃えやすいという欠点がありました。

白木屋大火災

1932年の日本橋白木屋の火災も、製品のセルロイドに引火したことから大火災となりました。


葛飾区内でも、セルロイド工業が盛んだった40年間は火災が多かったようです。


キューピー人形

さて、セルロイドというとキューピー人形ではないでしょうか?


今回の展示では、このような人形の製造工程も見ることができます。


キューピー人形などは、セルロイドの間に空気を入れて胴体の膨らみを内側から作るのですね。


セルロイド製品って人形だけじゃないみたいです。

アコーディオンの胴体

メガネのフレーム

万年筆の胴体

いろいろ使われてきたんですね。


セルロイドならではの手触り、色合いなどが魅力なのですが、1960年代以降はプラスチックなどの新素材にとって代わられているようです。


この展覧会は2017年1月9日まで。


ぜひ葛飾の20世紀前半を支えた産業を振り返ってみてください。



葛飾区郷土と天文の博物館
休館日
  • 月曜日(祝日の場合は開館)
  • 第2・4火曜日(祝日の場合は開館し、その直後の平日は休館)
  • 年末年始(12月28日~1月4日、1月2日・3日は正午~午後5時のみ開館。)


2016年12月18日日曜日

[大人の葛飾有名人] 平野ノラの葛飾時代はバレーボール漬けの日々



今回の葛飾区の有名人は、平野ノラさんです。


先日テレビで葛飾区の人だと知ったところです。


2016年下半期ブレイクした、バブル芸人さんですね。


この芸人さんのネタでは、「バブリー50音」が好きです。



平野ノラさんは1978年10月生まれ。


1980年代終わりのバブル時代はまだ10代だったんですね。


いろいろ研究してこのネタを手に入れたんでしょう。


小学校の時、お母様のきっかけで「東金町ビーバーズ」に入部。


東金町ビーバーズは、全国大会で優勝するほどの強豪チーム。


ここでバレーボールに明け暮れたのち、金町中学へ。


金町中学もバレーボールの強豪校ですね。


そして、高校は修徳高校


修徳高校もバレーボール推薦だったようです。


出身やお住まいは違ったようですが、コテコテの葛飾の人です。


女性芸人は体を張ることも多くてタイヘンだと思いますが、がんばって活躍し続けて欲しいですね。



[大人の新小岩] 新小岩最強のコスパランチならここ!「肉屋食堂たけうち」



今回は平日ランチに新小岩南口をぶらぶら。


味よし、値段よしのお店探していたらありました「肉屋食堂たけうち」


今日はここでランチです。


場所は新小岩駅南口の繁華街の中。


駅を出て正面のルミエール商店街の右側徒歩5分ほどの場所です。





外装もきれいなこのお店。


それもそのはず、この場所での営業は今年の夏からです。



もともとは、新小岩駅北口にあった「牛や」。


牛や時代はカウンター席8つぐらいで厨房も狭い小さなお店でしたが、マスコミの取材もよく入る人気店でした。


この牛やさんがこの夏満を持して、南口の繁華街どまんなかに移転して店名も装いも新たに営業しています。



さてランチ。


お店の外看板はこんなかんじ。


ヒレカツ+豚汁で650円!


豚丼で500円!


テンションあがってきました。




店内に入ると、カツ丼800円の張り紙も!



悩んだ挙句、今日は「ヒレカツ+豚汁」にしました。


豚汁があたたまります。



ヒレカツも分厚いこと!


3センチぐらいの厚みがあるでしょうか。


サクッと挙がっていて飽きが来ない味。


ご飯の大盛りも無料です!


お店は新しくなっちゃったけど、お店の人の笑顔や気配りは「牛や」時代のままなのが、また魅力ですね。



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肉屋食堂 たけうち牛丼 / 新小岩駅
昼総合点★★★★ 4.5

2016年12月13日火曜日

[大人の新小岩] やっとこれた!新小岩ハンバーグの名店「ウッチーズ」




今回は、以前から行きたかったお店。


新小岩「ウッチーズ」です。


お店は新小岩駅南口の繁華街のなかにあります。


ルミエール商店街の西側です。


駅から歩いて5,6分とアクセスもとてもいい。



お店は決して広くありません。


カウンターのみ10席程度。はじっこに座って撮影してみると、こんなかんじ。



今回はランチでしたので、このランチメニューから。


やっぱりハンバーグだなぁと思っていたのだけど、メニューを見たら「ダブル」とあります。


お店の方に聞いてみると、ひとつ150グラムのハンバーグが2つ乗ってくる!とのこと。



悩んだ挙句、今回は煮込みハンバーグ150グラムシングル。



ランチには、ご飯と具だくさんお味噌汁、お漬物がついてきます。



ハンバーグは、丁寧に手捏ねされた生地のハンバーグ。


口に入れると、とっても優しい味。


ゴツゴツ系のワイルとハンバーグもいいのですが、こういう優しいハンバーグもいいですね。



店内にはハンバーグメニューがたくさん。


夜の営業では、グラムでハンバーグが頼めるようですよ。



次回は夜に来てみたいですね。


ごちそうさまでした。


ウッチーズ
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ウッチーズハンバーグ / 新小岩駅
昼総合点★★★☆☆ 3.5

ウッチーズハンバーグ / 新小岩駅
夜総合点-

2016年11月25日金曜日

[大人の一丁目一番地(29)] 柴又1-1に行ってきたよ。京成金町線は京成電鉄創業の路線だった。



今回は、柴又一丁目一番地に行ってきました。



柴又1-1はもっと金町寄りか帝釈天のそばにあるのかな?と思っていましたが、意外にも京成高砂の車両検査区のそばでした。


柴又については帝釈天を中心に話題は尽きないのですが、今日は京成金町線のおはなし。


京成金町線は「都内唯一の『途中駅を持つ』単線路線」だそうです。


途中駅とは柴又駅ですね。


都内に単線路線は、足立区の東武大師線などもありますが、途中に駅を持つのは京成金町線だけだそうです。


さてこの京成金町線。


支線のような扱いですが、実は京成電鉄創業の路線でもあります。


京成電気軌道(現在の京成電鉄)は1909年に創立し、1912年11月に「押上‐市川(江戸川からは渡し船)」と「曲金(高砂)‐柴又」(京成金町線)を開業します。


しかしそれに先立ち、同じ年1912年の4月には「金町‐柴又」で営業していた帝釈天人馬鉄道を買収しており、現在の京成電鉄で初めて営業した路線は京成金町線ということになります。


帝釈天人馬鉄道ってなに?っていう方はこちらを参考にしてくださいね。ちょっとびっくりな路線です。


日本の私鉄は、神社仏閣への参拝客を運ぶ路線となっているものが多いですね。


京成電鉄も成田山への路線を申請しましたが、成田まで延伸されるのは1920年代。


都内では有数の人気観光スポットでもあった帝釈天への路線が大きな収入源となっていたようです。

2016年11月23日水曜日

[大人の一丁目一番地(28)] 亀有1丁目1番地に行ってきたよ。大工業地帯から大変貌の街



今回の一丁目一番地は、亀有です。


亀有は、金町と並んで葛飾北部の中心地的存在ですね。


亀有1-1は、意外にも駅から遠いところにありました。


なんでここなんでしょうねぇ。


閑話休題


亀有駅の乗降客数も長い間(30年間以上)一日の乗降客数3万人台後半で推移していましたが、3年前はじめて4万人台となり、昨年は41,000人を突破しています。


まだまだ大きくなる街のようです。


ちょっと歴史を遡れは、亀有は1970年台までは葛飾最大の工業地帯でありました。


中川からの用水が使え、また水運を活用でき、鉄道でも都心までつながっている地の利に優れた土地だったからでしょう。


亀有周辺には、「三共製薬亀有工場」「日本紙業」「日立製作所」(大谷田)「三菱製紙」(金町)などの大工場がありました。

1960年代の亀有周辺
この地図は、1960年代の亀有駅周辺の大工場を表しています。


左上の大きな円から時計回りに


日立製作所(大谷田)


三菱製紙(金町)


日本紙業


三共製薬


です。


これだけの工場があれば、亀有駅周辺が栄えないわけありませんね。


おそらく数万人の工場で働く人たちが亀有駅を利用していたに違いありません。


しかし、これらの工場も70年代後半以降、時代の流れとともに撤退していきます。


日立製作所→中川下水処理場→中川公園


三菱製紙→東京理科大学その他


日本紙業→アリオ亀有


三共製薬→東部地域病院


日本紙業については、以前ブログで書いたことがありましたので、ご参考になさってください。ブログはこちら

はじめにも触れましたが、亀有駅の不思議なところは、工場がなくなって労働者が減っていったにも関わらず、駅の利用者が減少していない点です。


70年代までの工業地帯から21世紀には、住宅地、ショッピングゾーンへとうまく移行できた街なのかもしれません。


そう言えば、亀有駅から日立製作所まで、貨物支線が出ていた時代があります。


この地図の赤い線が、貨物引き込み線です。


金町から三菱製紙にも支線が延びていたように、大きな工場には製品や原材料を貨物で運ぶ需要が大きかったのですね。


地図で見ると、戦前からこの引込線はあったようですので、はじめは軍事用に引かれたのかもしれませんね。


この引込線の跡地を一度たどってみたいと思っていますが、もうあまり残っていないようでちょっと残念です。(この話題はこちらのブログが詳しいです)


さて、この一丁目一番地シリーズもあと2箇所を残すのみとなりました。


今年中に30箇所を踏破できたらいいですね。