2016年12月21日水曜日

[大人のお花茶屋] 企画展「セルロイドの町 かつしか」を見てきたよ。



今回は、葛飾区郷土と天文の博物館で開催されている、「セルロイドの町 かつしか」展を見てきましたよ。







葛飾区郷土と天文の博物館は、京成お花茶屋駅から歩いて10分弱。




駅から少し離れていますが、曳舟川親水公園沿いのとても静かなところにある博物館です。


建物の屋根にこんもり乗っているドームはプラネタリウムです。


いろいろなプラグラムで天文の世界を垣間見ることができます。




さて今日は、葛飾の20世紀前半を支えてきたセルロイド工業が展示されている「セルロイドの町 かつしか」を見に来ました。


まずは、展示の趣旨をみてみましょう。

わが国では大正初期から昭和40年代にかけて、セルロイド素材の生活雑貨や玩具などが生産されていました。特に葛飾区では、セルロイド玩具の生産が盛んで、四つ木、立石などに多くの工場が存在していました。 この特別展では、葛飾区のセルロイド産業の状況や技術について、当時携わった人々の視点を通じて紹介していきます。日本の近代化を支えたセルロイド産業の歴史や文化を再検討する機会となればと思います。 特別展示として、「世界で初めて作られたビスク製キューピー人形」が展示されます。ぜひご高覧ください。(ホームページより)

展示されているのは、セルロイド製品の作り方や、代表的セルロイド人形のキューピーコレクション、生活用品の中に溶け込んでいるセルロイドなどをみることができます。


会場は撮影禁止でしたので、ここでは日本のセルロイドの歴史から紐解いてみましょう。

  • 1913年 永峰セルロイド工場(亀有)創業
  • 1914年 亀戸ローヤル創業
  • 1920年代、セルロイド生産世界一に
  • 1954年 米国で可燃物質規制法可決。セルロイドの米国輸出ができなくなる。

実際には1955年にはセルロイド工業はまったくの下火になってしまったようです。


セルロイドは加工しやすいというメリットがある一方、燃えやすいという欠点がありました。

白木屋大火災

1932年の日本橋白木屋の火災も、製品のセルロイドに引火したことから大火災となりました。


葛飾区内でも、セルロイド工業が盛んだった40年間は火災が多かったようです。


キューピー人形

さて、セルロイドというとキューピー人形ではないでしょうか?


今回の展示では、このような人形の製造工程も見ることができます。


キューピー人形などは、セルロイドの間に空気を入れて胴体の膨らみを内側から作るのですね。


セルロイド製品って人形だけじゃないみたいです。

アコーディオンの胴体

メガネのフレーム

万年筆の胴体

いろいろ使われてきたんですね。


セルロイドならではの手触り、色合いなどが魅力なのですが、1960年代以降はプラスチックなどの新素材にとって代わられているようです。


この展覧会は2017年1月9日まで。


ぜひ葛飾の20世紀前半を支えた産業を振り返ってみてください。



葛飾区郷土と天文の博物館
休館日
  • 月曜日(祝日の場合は開館)
  • 第2・4火曜日(祝日の場合は開館し、その直後の平日は休館)
  • 年末年始(12月28日~1月4日、1月2日・3日は正午~午後5時のみ開館。)


2016年12月18日日曜日

[大人の葛飾有名人] 平野ノラの葛飾時代はバレーボール漬けの日々



今回の葛飾区の有名人は、平野ノラさんです。


先日テレビで葛飾区の人だと知ったところです。


2016年下半期ブレイクした、バブル芸人さんですね。


この芸人さんのネタでは、「バブリー50音」が好きです。



平野ノラさんは1978年10月生まれ。


1980年代終わりのバブル時代はまだ10代だったんですね。


いろいろ研究してこのネタを手に入れたんでしょう。


小学校の時、お母様のきっかけで「東金町ビーバーズ」に入部。


東金町ビーバーズは、全国大会で優勝するほどの強豪チーム。


ここでバレーボールに明け暮れたのち、金町中学へ。


金町中学もバレーボールの強豪校ですね。


そして、高校は修徳高校


修徳高校もバレーボール推薦だったようです。


出身やお住まいは違ったようですが、コテコテの葛飾の人です。


女性芸人は体を張ることも多くてタイヘンだと思いますが、がんばって活躍し続けて欲しいですね。



[大人の新小岩] 新小岩最強のコスパランチならここ!「肉屋食堂たけうち」



今回は平日ランチに新小岩南口をぶらぶら。


味よし、値段よしのお店探していたらありました「肉屋食堂たけうち」


今日はここでランチです。


場所は新小岩駅南口の繁華街の中。


駅を出て正面のルミエール商店街の右側徒歩5分ほどの場所です。





外装もきれいなこのお店。


それもそのはず、この場所での営業は今年の夏からです。



もともとは、新小岩駅北口にあった「牛や」。


牛や時代はカウンター席8つぐらいで厨房も狭い小さなお店でしたが、マスコミの取材もよく入る人気店でした。


この牛やさんがこの夏満を持して、南口の繁華街どまんなかに移転して店名も装いも新たに営業しています。



さてランチ。


お店の外看板はこんなかんじ。


ヒレカツ+豚汁で650円!


豚丼で500円!


テンションあがってきました。




店内に入ると、カツ丼800円の張り紙も!



悩んだ挙句、今日は「ヒレカツ+豚汁」にしました。


豚汁があたたまります。



ヒレカツも分厚いこと!


3センチぐらいの厚みがあるでしょうか。


サクッと挙がっていて飽きが来ない味。


ご飯の大盛りも無料です!


お店は新しくなっちゃったけど、お店の人の笑顔や気配りは「牛や」時代のままなのが、また魅力ですね。



関連ランキング:牛丼 | 新小岩駅


肉屋食堂 たけうち牛丼 / 新小岩駅
昼総合点★★★★ 4.5

2016年12月13日火曜日

[大人の新小岩] やっとこれた!新小岩ハンバーグの名店「ウッチーズ」




今回は、以前から行きたかったお店。


新小岩「ウッチーズ」です。


お店は新小岩駅南口の繁華街のなかにあります。


ルミエール商店街の西側です。


駅から歩いて5,6分とアクセスもとてもいい。



お店は決して広くありません。


カウンターのみ10席程度。はじっこに座って撮影してみると、こんなかんじ。



今回はランチでしたので、このランチメニューから。


やっぱりハンバーグだなぁと思っていたのだけど、メニューを見たら「ダブル」とあります。


お店の方に聞いてみると、ひとつ150グラムのハンバーグが2つ乗ってくる!とのこと。



悩んだ挙句、今回は煮込みハンバーグ150グラムシングル。



ランチには、ご飯と具だくさんお味噌汁、お漬物がついてきます。



ハンバーグは、丁寧に手捏ねされた生地のハンバーグ。


口に入れると、とっても優しい味。


ゴツゴツ系のワイルとハンバーグもいいのですが、こういう優しいハンバーグもいいですね。



店内にはハンバーグメニューがたくさん。


夜の営業では、グラムでハンバーグが頼めるようですよ。



次回は夜に来てみたいですね。


ごちそうさまでした。


ウッチーズ
関連ランキング:ハンバーグ | 新小岩駅

ウッチーズハンバーグ / 新小岩駅
昼総合点★★★☆☆ 3.5

ウッチーズハンバーグ / 新小岩駅
夜総合点-

2016年11月25日金曜日

[大人の一丁目一番地(29)] 柴又1-1に行ってきたよ。京成金町線は京成電鉄創業の路線だった。



今回は、柴又一丁目一番地に行ってきました。



柴又1-1はもっと金町寄りか帝釈天のそばにあるのかな?と思っていましたが、意外にも京成高砂の車両検査区のそばでした。


柴又については帝釈天を中心に話題は尽きないのですが、今日は京成金町線のおはなし。


京成金町線は「都内唯一の『途中駅を持つ』単線路線」だそうです。


途中駅とは柴又駅ですね。


都内に単線路線は、足立区の東武大師線などもありますが、途中に駅を持つのは京成金町線だけだそうです。


さてこの京成金町線。


支線のような扱いですが、実は京成電鉄創業の路線でもあります。


京成電気軌道(現在の京成電鉄)は1909年に創立し、1912年11月に「押上‐市川(江戸川からは渡し船)」と「曲金(高砂)‐柴又」(京成金町線)を開業します。


しかしそれに先立ち、同じ年1912年の4月には「金町‐柴又」で営業していた帝釈天人馬鉄道を買収しており、現在の京成電鉄で初めて営業した路線は京成金町線ということになります。


帝釈天人馬鉄道ってなに?っていう方はこちらを参考にしてくださいね。ちょっとびっくりな路線です。


日本の私鉄は、神社仏閣への参拝客を運ぶ路線となっているものが多いですね。


京成電鉄も成田山への路線を申請しましたが、成田まで延伸されるのは1920年代。


都内では有数の人気観光スポットでもあった帝釈天への路線が大きな収入源となっていたようです。

2016年11月23日水曜日

[大人の一丁目一番地(28)] 亀有1丁目1番地に行ってきたよ。大工業地帯から大変貌の街



今回の一丁目一番地は、亀有です。


亀有は、金町と並んで葛飾北部の中心地的存在ですね。


亀有1-1は、意外にも駅から遠いところにありました。


なんでここなんでしょうねぇ。


閑話休題


亀有駅の乗降客数も長い間(30年間以上)一日の乗降客数3万人台後半で推移していましたが、3年前はじめて4万人台となり、昨年は41,000人を突破しています。


まだまだ大きくなる街のようです。


ちょっと歴史を遡れは、亀有は1970年台までは葛飾最大の工業地帯でありました。


中川からの用水が使え、また水運を活用でき、鉄道でも都心までつながっている地の利に優れた土地だったからでしょう。


亀有周辺には、「三共製薬亀有工場」「日本紙業」「日立製作所」(大谷田)「三菱製紙」(金町)などの大工場がありました。

1960年代の亀有周辺
この地図は、1960年代の亀有駅周辺の大工場を表しています。


左上の大きな円から時計回りに


日立製作所(大谷田)


三菱製紙(金町)


日本紙業


三共製薬


です。


これだけの工場があれば、亀有駅周辺が栄えないわけありませんね。


おそらく数万人の工場で働く人たちが亀有駅を利用していたに違いありません。


しかし、これらの工場も70年代後半以降、時代の流れとともに撤退していきます。


日立製作所→中川下水処理場→中川公園


三菱製紙→東京理科大学その他


日本紙業→アリオ亀有


三共製薬→東部地域病院


日本紙業については、以前ブログで書いたことがありましたので、ご参考になさってください。ブログはこちら

はじめにも触れましたが、亀有駅の不思議なところは、工場がなくなって労働者が減っていったにも関わらず、駅の利用者が減少していない点です。


70年代までの工業地帯から21世紀には、住宅地、ショッピングゾーンへとうまく移行できた街なのかもしれません。


そう言えば、亀有駅から日立製作所まで、貨物支線が出ていた時代があります。


この地図の赤い線が、貨物引き込み線です。


金町から三菱製紙にも支線が延びていたように、大きな工場には製品や原材料を貨物で運ぶ需要が大きかったのですね。


地図で見ると、戦前からこの引込線はあったようですので、はじめは軍事用に引かれたのかもしれませんね。


この引込線の跡地を一度たどってみたいと思っていますが、もうあまり残っていないようでちょっと残念です。(この話題はこちらのブログが詳しいです)


さて、この一丁目一番地シリーズもあと2箇所を残すのみとなりました。


今年中に30箇所を踏破できたらいいですね。

2016年11月22日火曜日

[大人の立石] コスパ最高!味も特上!立石で焼肉ランチならココ!




今回は立石です。


午前中からスポーツクラブ行っちゃったこともあって、早い時間から「今日は焼肉ランチだな」と思っていました。




立石に来たなら焼肉ランチはココ「牛坊」ですね。


京成立石駅から市役所方面に歩くこと3分ぐらい。


お店に入ったのはまだ12時前でしたのですぐに座れましたが、お店を出た12時過ぎには行列ができるほどの人気店です。




お店の前にランチメニューが出ていました。


マキという字が目立ちますね。


マキとは
牛のリブロース芯に巻き付くように位置する部位。 リブロース芯と比べると大味でサシが多い。肉の旨味があり、一噛みで肉汁が溢れ出す。焼肉店ではなかなかお目に出来ない希少部位。

だそうです。


ランチメニューの2,3,4にマキが使われていますね。推し部位のようです。


午前中からカルビ!カルビ!と思っていたので、今日のランチは4番「上カルビ+上マキの定食」に決まり!


店員さんは番号でオーダーして欲しいようでしたので、番号を覚えておいたほうがいいですよ。




注文すると程なく運ばれてきました。


これで1000円です。いいボリュームですね。



この肉厚、このボリューム。


一枚一枚、大切に焼かせていただきます(笑





カルビもマキも、ともにジューシーで味がしっかりしているので、タレをつけずにいただきます。


サラダ、ナムルなど野菜系もついているのがうれしいですね。


牛坊はいつも外れることなく満足感いっぱいでお店を出ることができます。


きっとまた来ちゃいますね。

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