2016年5月28日土曜日

[大人の一丁目一番地(7)] 青戸1−1に行ってきたよ。青戸と青砥のこと。青砥駅の立体化のこと。環七のこと。



今回はご近所青戸1丁目1番地に行ってきました。



電信柱に住所表記がなかったので、集合住宅の入り口の写真を撮らせていただきました。


住所表記は「青戸」ですが、京成の駅は「青砥」ですね。


青砥藤綱のこと

おそらく、青砥藤綱の話は、葛飾の小学校、中学校では習うのだと思います。


かつて夜に滑川を通って銭10文を落とし、従者に命じて銭50文で松明を買って探させたことがあった。「10文を探すのに50文を使うのでは、収支償わないのではないか」と、ある人に嘲られたところ、藤綱は「10文は少ないがこれを失えば天下の貨幣を永久に失うことになる。50文は自分にとっては損になるが、他人を益するであろう。合わせて60文の利は大であるとは言えまいか」と答えた。

誠実な藤綱の話は、きっと有名ですねよね。


しかしなんで京成電鉄は青砥駅を「青戸駅」としなかったのでしょうねぇ。


お花茶屋駅もそうですが、地名をダイレクトに駅名にするのではなく、その土地の背景となるようなことが駅名になっていますね。


駅の名前は半永久的に残るもの。


京成本線の駅名の名づけ方は、少しこだわりがありますね。


1920年の青戸周辺。駅はまだない。

青砥駅の歴史



青砥駅は、京成電鉄が押上から江戸川駅あたりまで開通した1911年、青砥駅はありませんでした。


青砥駅ができるのは、今の京成本線となる上野へ向かう線路が開通することとなった1928年です。


押上線と京成本線の分岐駅として、青砥駅は誕生しました。


今の青砥駅は、改札口に抜ける階段より、上り線と下り線の乗り換えを中心に設計されています。


青砥駅は駅前ロータリーもありません。


青砥駅の立体交差が完成したのは1986年。


ダイヤ改正のたびに増発のネックとなっていたこの青砥駅乗り換えを効率的に行うようにするため、そして環状七号線の完成が影響しています。


環七道路の最後の建設区間

1980年青戸。環七も奥戸陸橋もない
環七道路の歴史は戦前に遡ります。


戦後計画は復活しますが、工事はなかなか進まみませんでした。


しかし、1964年のオリンピックまでに羽田空港とオリンピック会場となる駒沢、戸田公園までの完成を目標とし、実際に羽田から北区までが完成しています。


そして、足立区、葛飾区、江戸川区区間がその後完成していきましたが、最後まで工事が進まず残ったがの「青戸8丁目から奥戸陸橋」間。


まさに京成電車の立体化なくして、環七の完成はなかったのですね。

2016年5月27日金曜日

[大人の四ツ木] 四ツ木に君臨する大衆割烹「ゑびす」でボールを呷る。何杯飲んだかは不明。


今回は、四ツ木のザ・大衆酒場「ゑびす」さんに行ってきました。


数年前に移転していますので外観もきれいですが、60年を越す老舗です。




スカイツリーのある押上駅から5分ほどの京成四ツ木駅。


そこから伸びる商店街のなかにあります。


きれいなマンションの一階です。


ここで飲むならボールです。


焼酎ハイボールですね。


氷も入っていないので(これはお好み)、レモンがなかったら「日本酒か?」というかんじですが、味は薄くなんてありません。


今回は5杯ぐらい飲みましたが、なんだか終盤の記憶がありません(笑。



ボール1杯目と二杯目。


刺盛りです。


タコ、えび、かんぱち、まぐろ、などなど、いずれも新鮮で量も十分。


やっぱり旨い居酒屋は、刺身がうまいです。


これ鉄則ですね。


ボール3杯目。


山菜の天麩羅です。


すでにぜんまい、だれかの口の中に入ってしまいました。

ボール4杯目。


姫アジのマリネ(だったよね) 唐揚げ。


このあたりから、すでに記憶あいまい。




ボール5杯目。


肉豆腐。


冬なら日本酒と肉豆腐があれば、もう大満足なのですが、この時期はハイボールが肉豆腐のお供です。


ん?逆か?ハイボールのお供に肉豆腐か?

どっちでもいいか。


ほかにもいろいろ頼んだみたいですが、酔っ払ってて写真とってなかったり、そもそもなに食べたかよく覚えてなかったりしたので、レポートもこのへんで。


でも「ゑびす」は、壁一面にメニューがあって、なに頼もうかという以前に、このメニュー読むだけで時間がかかっちゃう。


ぜひ常連さんと一緒に行って、ゑびすワールドに導かれてください。

2016年5月26日木曜日

[大人の一丁目一番地(6)] お花茶屋1丁目1番地に行ってきました。


今回の1丁目一番地は、お花茶屋です。


お花茶屋は、曳舟川と京成本線が交差するお花茶屋駅北西に広がる街です。


共栄学園のある街ですね。







ちなみにお花茶屋1-1は、この地図の左下角にあります。


トップ画像の写真は、背中に鳥広さんをバックにしています。


一度行ってみたいお店の一つです。




さて、お花茶屋。


住所表記としてのお花茶屋は、それほど古くはなく、1964年ごろのようです。


1930年(昭和5年)の地図にも「お花茶屋」という表記が、曳舟川に掛かる橋のところにあります。


しかし、現在の宝町となる「寶木塚」の地名はあっても、その北側に地名表記はありません。


ご多分に漏れず、ほとんどが田畑です。


朝日新聞2014年5月13日
将軍の鷹狩りがあちこちで行われていたとか。


曳舟川の白鳥を鷹が捉える絵馬が、四つ木白鬚神社に奉納されています。


ちなみに、このお花茶屋で曳舟川を横切る道は、右側(東側)に行くと現在の四ツ木斎場に通じる道、左側(西側)に行くと寶木塚小学校のの裏にに抜ける道です。



さて、お花茶屋に京成電車が通るのが1931年(昭和6年)。


この駅名を「寶木塚」とせず「お花茶屋」としたのは、やっぱりお花茶屋という地名が広く知れ渡っていたからかもしれませんね。


お花茶屋という地名の由来は、「将軍家光(吉宗説もあり)が鷹狩りの際に腹痛をおこして、茶屋の娘お花に開放してもらって~」ということになっています。


この茶屋の末裔という方が現在もお花茶屋にお住まいのようですが、以前はその証拠となる家光からの由緒書なるものがあったようです。


家光といえば、じつは「命名好き」で有名です。


新宿駅周辺の「淀橋」、「目白」、向島の「長命寺」なども家光による命名です。


家光は徳川三代目将軍ですから、江戸がいろいろ整備された時期でもあり、「将軍が名付けた」場所があちこちにあるのかもしれませんね。

参考:地名の由来としての史実と現実朝日新聞