検索キーワード「葛飾の橋」に一致する投稿を関連性の高い順に表示しています。 日付順 すべての投稿を表示
検索キーワード「葛飾の橋」に一致する投稿を関連性の高い順に表示しています。 日付順 すべての投稿を表示

2015年11月14日土曜日

[大人の奥戸]葛飾ワンダーランドの入り口、本奥戸橋の向こう側


葛飾区初心者だった頃、街の位置が旨く把握できなくて、ときどき地図を覗き込んでいた。


葛飾区を左下から右上に横切って行く国道6号線、水戸街道。


まずは、葛飾の大きな街が国道6号の北にあるのか、南にあるのか、そこから把握していった。


青砥は南、亀有は北。


柴又は南、金町は道沿い。


チャリで散歩するときも、水戸街道のどっちにあるかがわかると、行きやすくなった。


葛飾にはもう一つ、中川が南北に流れている。


中川の東側か西側か。


これもまた土地勘を養うには、いい目安になった。


柴又は東、青砥は西。

金町は東、亀有は西。


しかし、中川は本奥戸橋のあたりから西に大きく流れを変えて、荒川に沿って流れていく。


本奥戸橋から下流には、南に新小岩、奥戸。


この南に住む僕にとって、本奥戸橋を超えて、立石や青砥、亀有や金町へとチャリを漕ぐ、


本奥戸橋はそんな、葛飾ワンダーランドの入り口でもある。

おいしい記事だったでしょ?


2016年2月20日土曜日

[大人のそらパン] かつしかハープ橋って吊り橋じゃないんだって!じゃぁなんだ?


とっても青空が綺麗だったので、今日は西新小岩にあるかつしかハープ橋をバックにパンの写真を撮ってみました。


略して「そらパン」(笑




パンはいつもの「ぜぺっと」さん。


営業時間 8:00~19:00          定休日   毎週日曜日   
電話番号 03-3697-1030   
住所    東京都葛飾区東新小岩6丁目2−1


今日はコッペパンじゃなくて、カレーパンんを買ってみました。


揚げパンにカレーをマッチングした人って天才ですね。


程よい辛さがおいしいカレーと柔らかくてサクサクの揚げパンに絶妙に合います。


かつしかハープ橋

wikipedia吊り橋より
この橋は吊り橋じゃないんですね。


吊り橋は図のように、カーブを描くメインケーブルからハンガーロープが降りて橋を吊る方式なんですね。


かつしかハープ橋のように柱から直接ケーブルが橋を吊る方式は「斜張橋」っていうんですって。







さて、このかつしかハープ橋。


かつまるガイド」によると、

綾瀬川にかかる橋で、首都高速中央環状線四つ木ICと平井大橋ICの間に位置する。世界初の曲線斜張橋で、S字型の曲線桁を高さの異なる親子2本の塔から張ったケーブルで吊る、という複雑な構造。ライトアップされた夜は、幻想的な風景となる。その形状から、楽器のハープのようだと名がつけられた。
かつまるガイドより

なんですって。


たしかにS字にカーブしていますね。


この曲線美が、ハーブ橋の魅力ですね。


ライトアップされた夜なんてステキですものね。


次回はそらパンじゃなくて、夜のかつしかハープ橋を撮ってみましょうか。

クリックで応援!葛飾区情報ブログランキング

2018年1月2日火曜日

2018年あけましておめでとうございます。本年もオトカツをよろしくお願いします。


かつしかのお店紹介

ここはいままでどおり、葛飾の気になるお店に行きますよ!
今年はカフェにも行きます。



かつしかの橋

2016年「一丁目一番地
2017年「区境を行く
につづく、2018年シリーズは「かつしかの橋」です。
葛飾区にある17本の橋を、エピソードとともに紹介します。

わが町葛飾かをひと回り面白くする「カツシカーン」

オトカツが主宰する「カツシカーン」では、「わが町葛飾をひと回り面白くする」をテーマに活動しています。
試行錯誤ではありますが、2018年は毎月ひとつ、なにかをしていきます。

区民の力で走らせたい「新金線のいま!」

新金線?って思った方。このビデオみてください。


いま、葛飾区の南北を結ぶ「新金線」の実現性が検討され始めています。

そして、それを後押ししよういう区民の活動も活発になってきています。

2018年は、そんな新金線のようすも追っかけていきます。

本年もどうぞよろしくお願いします。

2016年3月9日水曜日

[大人の空パン] 古代東海道(奥戸街道)にタイムスリップしながらメロンパンをほおばった。


今回はぜぺっとさんでメロンパンがおいしそうだったので、本奥戸橋で撮ってみました。


ぜぺっとのメロンパンは表面はほんのり甘くほんとにメロンの香りがするカリカリの皮。


中はしっとり、舌触りのいいパンになっています。


ぜぺっと

東京都葛飾区東新小岩6-2-1
03-3697-1030
8:00~19:00 ※パンが無くなり次第閉店 
定休日 日曜日




この本奥戸橋をわたる奥戸街道。


本奥戸橋から西の都心部分は、古代東海道の道でもありました。


古代東海道とは、関西を中心とした奈良・平安の時代、東国の律令制を確立するために作った初代東海道です。


江戸城もなかったその時代、交通の分岐点は谷中霊園のあたりにあったものと思われます。


谷中から東にまーっすぐ直線を引いてできた街道が、古代東海道。


きっとなぁんにもなかったんでしょうねぇ。


徳川の時代になって利根川の東旋や人口の増加などで初代東海道の道筋は途切れていきますが、明治初期の地図でもなんとなくあとが残っていますね。


この地図のど真ん中に南北に流れるのが中川。 その川を左右に渡っているのが古東海道です。


葛飾区民としては、四つ木の西に荒川ができてしまい、鐘淵方面への土地勘が薄いですが、きっと奈良平安の時代だったら、谷中霊園のあたりから四つ木・立石・北小岩まで一望できたのでしょうねぇ。


そんな時代へタイムスリップしながら、メロンパンをほおばったのでありました。


参考:下総国の古代東海道(その2・東京低地の古代道路痕跡)

注:古代東海道は立石あたりで中川を渡る際、渡し舟のあったのが奥戸橋あたりでした。現在の奥戸街道が整備されたのは、昭和初期であり本奥戸橋が架かったのもそのころだと思われます。

2016年7月24日日曜日

[大人の一丁目一番地(13)] 南水元1−1に行ってきました。戦前の田畑の中に住宅街?



今回の一丁目一番地は、南水元です。


ここは広いですね。


西は飯塚橋から東は水元公園。


北は星乃珈琲の通りから、南は東京理科大のあたりまで。



葛飾の他の地域にと違わず、もともと田畑だった地域ですので、道路は人工的に作られた物が多く、上記の地図でも拡大すると碁盤の目になっています。


しかしさすがに南側は、昔は三菱の工場や大東紡績の工場(モスリン工場)があったためか、道路や地形も碁盤の目にはなっていません。


1930年の地図を見ると、現在の東金町二丁目第2アパートのあたり(金町中学校の北、葛飾総合高校の南)に住居が密集して建っています。


こんな田畑しかないところに不自然だなぁ、と思って調べてみましたが、どうやらこのころ金町駅前にできた大東紡績の社宅だったようです。


上記は1947年の地図です。


この地図だと、この一角だけ宅地になっているのが一目瞭然ですね。


ちなみにこの宅地の東(右側)を流れる川は、現在の水元公園の南端、岩槻橋交差点(ラーメン天華のあたり)からまっすぐ東京理科大前に繋がる道です。


昔は用水路だったんですね。

あの「外出時間の延長」を求めたことで有名なモスリン工場のストライキは1928年ですので、この地図の頃には福利厚生改善の社宅ができてきたのでしょうか。


このモスリン工場のことについては、東金町一丁目一番地の記事に書こうと思います。






2016年5月15日日曜日

[大人の一丁目一番地(5)] 西新小岩1-1を散歩してきたよ。


葛飾区の1丁目1番地を歩くシリーズ。


今回は、西新小岩1丁目1番地です。



写真の場所は、下の地図の左上角で撮影しました。撮影している私の背中を左右に平井大橋がかかっています。



西新小岩とは、南北を中川と総武線に挟まれ、東西を平和橋通りと荒川に挟まれた、地域を指します。


地名表記のエリアが四角いところの殆どは行政の都合で地名が新しくなっている場合が多いです。


西新小岩も昔は「平井村」であり、上平井、中平井、下平井と中川の蛇行に合わせて集落ができていました。


この古地図は明治初期ですが、赤い部分が現在の新小岩公園の場所です。


現在の西新小岩、明治時代は上平井の集落以外、なぁんにもなかったようです。


ご存じのようにこの辺りは、1930年(昭和5年)に荒川放水路の開墾で大きく風景が一変しています。


次の地図は1930年の西新小岩です。


現在の地図に形はほぼ似ていますね。


荒川の掘削により、平井村は荒川の左右に分断され、中平井の集落は消滅してしまいます。


現在も荒川の江戸川区側にも「平井」の駅名や町名が残り、旧中川の川筋が残っているのはこの名残ですね。


さて、荒川開通後の西新小岩は、日本の高度成長とともに中小の工場が集積する地域となります。


代表的な西新小岩の会社といえば、やはりセキグチでしょう。


最近では、セキグチの敷地を利用した「モンチッチ公園」も話題になりました。


そしてトップ画像の撮影ポイント「新小岩公園」ではさまざまなイベントが開かれ、なかでも葛飾のお店が大集合する「かつしかフードフェスタ」は毎年すごい人出ですね。



2016年2月18日木曜日

[大人のそらパン] 今日の下町コッペはコレ!葛飾の名所をバックに写真をとってます。






雲一つない空!


こんな日は、下町コッペ撮影会(なにそれ?)にピッタリ!


今朝もチャリ散歩の前に、新小岩みのり商店街にある「ぜぺっと」さんで下町コッペを購入しました。


ぜぺっとの下町コッペは、粒あんやピーナッツクリームなど6種類以上の具をコッペパンに挟むことのできる楽しい一品。


今日は「クリスピー・クリーム」を挟んでもらいました。


そして撮影スポットは「高砂橋」。



青砥と高砂の間に流れる中川を渡る橋です。


ちょうどこの橋の下流に、中川(古利根川)と新中川(旧中川放水路)の分岐点があります。

高砂の一部は昔、「曲金」という地名でした。

この「金」という地名には「川の淵」という意味があるのですね。

中川はこの高砂橋で大きく右に曲がっています。この川の様子が地名になったみたいですね。

さて、このクリスピー・クリーム、サクサク感と甘いクリームの両方が楽しめます。

パンも軽いので、ペロッと食べちゃった。


次回はなにを食べようかな。

葛飾区情報ブログランキング

2016年7月15日金曜日

【2016年上半期TOP PV】[大人の亀有]創業90年。亀有でキラリと光る鮨屋「なかや鮨」で至福のランチを喰らう


亀有駅から歩いて5分。


創業90年。まさに宝石箱のようなキラキラとみずみずしいお寿司が食べられることで評判の「なかや寿司」さんに行ってきました。



江北橋通り沿いにある亀有の寿司の名店「なかや鮨」の外観は決して目立つものではなく、どちらかというと通りすぎてしまうほどの控えめなものだ。


その控えめな外観は、けっして地味というものではなく、どちらかというと「自信の現れ」と取れる。「なかや鮨」の評判を聞きこの店を訪れる人々の胸を高鳴らせる、そんな外観でもある。


日曜日ということもあり、カウンターはいっぱいだった。


最近予約が取りにくくなったとの声が高いだけのことはある。


予約も取らずにいったものだから、お店の人も無理をして奥の宴会席(テーブル)の部屋へ案内してくれた。




いつもなら1,500円で10貫のランチメニューを頼むのだが、日曜日の今日は通常のセットメニューをお願いした。


カウンターが混んでいたこともあり、ビールのつまみに小振りの牡蠣を頼む。値段がちょっと気になったけど「厚岸産」と書かれている。思わず頼んでしまった。


セットのお寿司は12貫からなるものだったけど、テーブル席の僕たちには6つづつ2階に分けて持ってきてくれた。


にほんブログ村 地域生活(街) 東京ブログ 葛飾区情報へ
にほんブログ村

ひとつ目のお皿は、握られたお寿司が綺麗にならんでいた。


ひとつづつ、ゆっくりと味わうように食べる。


どのねたも新鮮なのは当然、歯ごたえがあり身の締り方のよさがわかる。


固めのシャリが身の締まったねたに抜群にあう。


とくに、右から2番めの関さばは、白い身に差し込まれた赤がとてもきれい。見た目から魅了する関さばは、この6品のなかで一番美味しいものだった。












二皿目は軍艦巻など握り以外。



手前の穴子はまさにふわふわ。


右上にひとつ、見慣れない鮨がある。


細いわけぎのようなあおものは、辛めの味でそれを上に乗った鰹節がうまく収めている。


このあおものはなんだ?と思って訪ねてみると、「芽ネギ」だという。芽ネギとは葉ネギの若いうちに摘んだもの。


もちろん海のもの鮨ではないが、なかなか癖になりそうな味。



もう何度目かの訪問だけど、味はかならず満足するものだ。




葛飾には大きく知られていないものの各ジャンルで名店と呼んでいいお店があちこちにある。


なかや鮨もそんなお店の一つに数えていいだろう。


にほんブログ村 地域生活(街) 東京ブログ 葛飾区情報へ
にほんブログ村

2015年12月28日月曜日

[大人の亀有] 創業90年。亀有でキラリと光る鮨屋「なかや鮨」で至福のランチを喰らう


亀有駅から歩いて5分。


創業90年。まさに宝石箱のようなキラキラとみずみずしいお寿司が食べられることで評判の「なかや寿司」さんに行ってきました。



江北橋通り沿いにある亀有の寿司の名店「なかや鮨」の外観は決して目立つものではなく、どちらかというと通りすぎてしまうほどの控えめなものだ。


その控えめな外観は、けっして地味というものではなく、どちらかというと「自信の現れ」と取れる。「なかや鮨」の評判を聞きこの店を訪れる人々の胸を高鳴らせる、そんな外観でもある。


日曜日ということもあり、カウンターはいっぱいだった。


最近予約が取りにくくなったとの声が高いだけのことはある。


予約も取らずにいったものだから、お店の人も無理をして奥の宴会席(テーブル)の部屋へ案内してくれた。




いつもなら1,500円で10貫のランチメニューを頼むのだが、日曜日の今日は通常のセットメニューをお願いした。


カウンターが混んでいたこともあり、ビールのつまみに小振りの牡蠣を頼む。値段がちょっと気になったけど「厚岸産」と書かれている。思わず頼んでしまった。


セットのお寿司は12貫からなるものだったけど、テーブル席の僕たちには6つづつ2階に分けて持ってきてくれた。


にほんブログ村 地域生活(街) 東京ブログ 葛飾区情報へ
にほんブログ村

ひとつ目のお皿は、握られたお寿司が綺麗にならんでいた。


ひとつづつ、ゆっくりと味わうように食べる。


どのねたも新鮮なのは当然、歯ごたえがあり身の締り方のよさがわかる。


固めのシャリが身の締まったねたに抜群にあう。


とくに、右から2番めの関さばは、白い身に差し込まれた赤がとてもきれい。見た目から魅了する関さばは、この6品のなかで一番美味しいものだった。












二皿目は軍艦巻など握り以外。



手前の穴子はまさにふわふわ。


右上にひとつ、見慣れない鮨がある。


細いわけぎのようなあおものは、辛めの味でそれを上に乗った鰹節がうまく収めている。


このあおものはなんだ?と思って訪ねてみると、「芽ネギ」だという。芽ネギとは葉ネギの若いうちに摘んだもの。


もちろん海のもの鮨ではないが、なかなか癖になりそうな味。



もう何度目かの訪問だけど、味はかならず満足するものだ。




葛飾には大きく知られていないものの各ジャンルで名店と呼んでいいお店があちこちにある。


なかや鮨もそんなお店の一つに数えていいだろう。


にほんブログ村 地域生活(街) 東京ブログ 葛飾区情報へ
にほんブログ村

2018年4月20日金曜日

[大人の奥戸] スポーツセンターの中川テラス、すごいきれいになったね!



今日は、日差しも強く風もなく、夏みたいな日でしたね。



こんな日はチャリでちょっとぶらぶら。

奥戸のスポーツセンターの中川テラスがきれいになった、と聞いて見てきました。


昨年まで、本奥戸橋から下流域の中川テラスの整備が行われていましたが、今年は上流部分の工事ですね。

その奥戸スポーツセンターの川沿いのテラスがすごいきれいになっていました。


あずま屋が新設されています。

蔦状の植物が植えられていますので、これから緑の屋根ができあがりますね。

このあずま屋のテラスには、中川の歴史や資料が掲載されていました。


中川の大昔からの変遷。


城東地区の川の流れのこと。


川と葛飾の歴史のこと。


そして奥戸と中川のこと。

これは歴史好きのオトカツとしては見逃せない資料でした。


このテラスの川側に廻ってみると、すてきな花壇になっていました。


そして、テラスの一部は水面の高さまで降りていています。

これはおそらく、奥戸スポーツセンター周辺も災害対応公園になるのでしょうから、そのための船着き場ですね。

葛飾は日々変わっていっていますね。

=C M=====================================================================
スイーツ・デザート:レシピ・作り方動画
スイーツ・デザート:レシピ・作り方ブログ
スイーツ・デザート:レシピ・作り方ツイッター

2017年6月4日日曜日

[大人の堀切] “普段入れない”堀切菖蒲水門の内部をお見せします!~完成後20周年記念イベント~




トップ画像、綾瀬川に掛かる「堀切菖蒲水門」です。




場所はここです。

堀切菖蒲園から荒川方面に歩くと高速道路の脇に見えます。

見たことありませんか?荒川に沿って流れる綾瀬川にかかっている水門。

以前から「この水門なんのためにあるの?」と思っていたところ、

“普段入れない”堀切菖蒲水門の内部をお見せします! ~完成後20周年記念イベント~

なんてイベントががが!

というわけで行ってきました。

なんでここに水門が?


堀切菖蒲水門ができたのは平成9年(1997年)。

ここに水門を作るきっかけとなったのは、平成3年(1991年)の台風18号による綾瀬川氾濫でした。

この綾瀬川は四つ木で中川と合流し、また海の干満の影響を受けやすい川でもあることから、川の水が逆流しやすくなっていました。


堀切橋の上流には以前から、「綾瀬水門」「綾瀬排水機場」がありました。

綾瀬水門は荒川の水を綾瀬川に流すための水門。

綾瀬排水機場は、綾瀬川の水を荒川に流すための設備。

大雨が降ると、綾瀬水門を閉めて、綾瀬排水機場をフル稼働するわけです。

これによって増水した綾瀬川の水は排水機場から荒川に流され、水害が防げるはずでした。

しかし実際には、下流から逆流してきた水が堀切橋より上流へと流れ込んだため、排水機場の処理能力を超えてしまい、水害となってしまいました。

そこで、この逆流を防ぐ水門として建設されたのが葛飾菖蒲水門です。

つまり、大雨が降った時は「綾瀬水門」「綾瀬排水機場」「堀切菖蒲水門」の3つの設備で対応しているわけです。



なんで水門は円筒形なの?



この水門、近づいてみるとわかるのですが、この赤い部分「水門」になるのですが、円筒形なんです。

普通はこういう水門ですよね。

一枚板が上下して、門を開閉するわけです。
円筒の半分が降ろされ、残った半円筒の門

葛飾菖蒲水門は、円筒の門が上流側と下流側の二枚構造になっています。かまぼこが二枚合わさった形ですね。

なんで?

もう一度堀木菖蒲水門の全体写真を見てください。

右端の建物は高速道路の高架下

水門の上に建物が3つ並んでいますが、一番右の建物は高速道路の高架下に入っちゃってます。

このあたり広い場所がないので仕方ないのですが、建物の高さはこれが目一杯なのだそうです。

水門を1枚板にしてしまうと、高いところまで持ち上げないと水門が開かないわけです。そのためにはこの3つの構造物も高い場所に置かないといけないのですが、高速道路にひっかかる。

そこで2枚板にしてあるのだそうです。

なーるほど。でもなんで円筒形なの?

堀木菖蒲水門は、その性格上逆流する水をせき止めることもあるため、上下からの水圧を逃がすことができるよう円筒形なのだそうですよ。

「二段式ローラーゲートシェルタイプ」って言うのだそうです。

水門を上下するワイヤー巻取り
今回の見学会では、実際に水門を上下してくれて、内部ではワイヤーの巻取りを実際に見せてくれました。

巻取り計測器


そもそも、荒川と綾瀬川はなんで合流しないの?



また、後半では、パネルを使って堀切菖蒲水門の歴史や役割を丁寧に説明していただきました。

このなかには、荒川掘削当時のことや川の機能のこともパネル展示されていたのですが、以前から疑問だったことがパネルになっていました。

なぜ、荒川と中川・綾瀬川は平行に流れているのか?

荒川と中川・綾瀬川とでは革の長さが大きく異なるため、大水が出た時流出する時間差があります。中川の水位が下がったあとに荒川の水位が上がるため、荒川と中川・綾瀬川を合流させておくと、荒川を流れる大量の水が逆流し、中川・綾瀬川を溢れさせてしまうのです。こうしたこともあり、中川・綾瀬川の流れを変え、加工まで平行して流れるようつかけたのです。
ビックリ!

荒川放水路の工事着工が明治44年(1911年)ですが、そのときからこのようなことが考慮されていたのですね!

終わったあとは、ちょっと水門マニアになった気分。

またこのようなイベント行ってみたいな~