2016年7月29日金曜日

[大人の一丁目一番地(14)] 奥戸1-1に行ってきたよ。昔の奥戸は船着き場を中心とした水運の町



今回の一丁目一番地は、奥戸です。




いまでも結構広い。


「奥戸一丁目一番地」は、この地図の左のはじっこです。


奥戸1-1近景


このあたりは中川のの堤防沿いで、桜並木がきれいな静かなエリアですね。



奥戸の「戸」は「出入り口=船着場」という意味(岩波古語辞典)のようです。


万葉集にもこの奥戸を歌った歌ではありませんが、「君が船、こぎ帰り来て、戸に泊つるまで」という歌もあります。


実際に昔の地図を見てみると、いまの総合スポーツセンターのあたりがその船着場だったようですね。


総合スポーツセンターのできる前は湿地帯だったはずですので、ここが船をつけるのにはちょうどよかったのかもしれません。


まさに川の「奥」の「戸」だったのですね。


このあたりの村から湿地帯の船着き場に行こうとすると「奥戸天祖神社」があります。


川の交通の安全を、この天祖神社で祈願してから船に乗ったのかもしれませんね。


さて、もうちょっと古地図を広く見てみましょう。


じつは明治時代の奥戸村は、むちゃくちゃ広い。


wikipediaにも

1889年(明治22年)5月1日 - 町村制の施行に伴い、上小松村、下小松村、奥戸村、奥戸新田、曲金村、細田村、鎌倉新田の全域と、以下の2村の各一部が合併して奥戸村が発足
と書かれています。


地図で見ると


この赤で囲った地名はすべて「奥戸村」。


ざっくり言って、中川の南はほとんど奥戸村だったのですね。


平和橋通りも、蔵前橋通りも、新中川も、そしてもちろん京成電車も環七も無かった時代の奥戸村。


水元からの用水路が何本も通り、水の潤う町。


そのころは、スポーツセンターのあたりの船着き場を中心とした水運の町だったに違いありません。

2016年7月28日木曜日

[大人の青戸] バチバチチリチリな石鍋で丼ものが食べられる「新新飯店」で中華丼を食らう。


昨日は夕飯を食べそこねたので、新新飯店でさくっと食べてきました。


お店は青砥駅前すぐ。





改札出て右の階段を降りきったら、もう左手に煌々と輝く「新新飯店」のファザード。


赤い色がなんとも艶めかしくて、空腹に耐えられずにお店に飛び込んでしまいました。



ふうつに食べるなら、この看板のように、丼+麺で880円のセットがいいのでしょう。


この日は夜遅く、もう寝る直前でしたので、単品の中華丼を頼みました。



ここの丼ものの特徴は、石焼鍋に盛られて入ってくるんです。


運ばれてきた時には、鍋がバチバチチリチリいってます。


石鍋がいつまでも熱いので、中華丼も最後まで熱いままいただけます。


味付けも甘くなく、とってもさっぱりいただけます。


お店によっては、ご飯が多くて具が少ないこともありますが、新新飯店はご飯:具が5:5ぐらい。


良心的でしょ。

おすすめ。

新新飯店 青砥駅前店
新新飯店 青砥駅前店
ジャンル:中国東北料理
アクセス:京成本線青砥駅 徒歩1分
京成押上線青砥駅 徒歩1分
住所:〒125-0062 東京都葛飾区青戸1-10-1 あわのすビル1F(地図
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情報掲載日:2016年7月28日

2016年7月27日水曜日

[大人の葛飾有名人] なぎら健壱は金町中学、本所工業高校出身だけど、お生まれは銀座。



1952年銀座木挽町生まれ


小学校3年生の時、金町に転居。末広小学校へ転校


金町中学校卒業



本所工業高校(現葛飾総合高校)卒業


1970年中津川フォークジャンボリー参加


1972年デビュー


下町のイメージが強いですが、お生まれは銀座。


「瓶ビールの似合う人」などと言わるそうですが、たしかにどことなく下町の居酒屋にいそうな風貌ですね。


日本のフォークミュージック史に詳しいです。NHK FMで毎週戦後のフォークの歴史を語っていらっしゃいました。


日本フォーク私的大全 (ちくま文庫) なんていう本も出されています。


ギターの腕前もじつは(失礼)すごくて、カーター・ファミリーピッキングが弾ける数少ない方だそうです。