2016年5月5日木曜日

[大人の立石] 暑くなってきたから、さっぱりと十割そば食べたい! 「玄庵」



2日連続夏日の今日は、さっぱりとしたランチをめざして、立石十割そばのお店「玄庵」に行ってきました。



京成立石駅を降りて、区役所と逆側、仲見世商店街を抜けて奥戸街道を四ツ木方面に進むと、立て看板と紫色ののれんが目につきます。


お店はこの2階にあります。階段とエレベータで上がれます。


玄庵のご主人は「江戸東京蕎麦の会」を主宰されており、日本中あちこちに卒業生がお店を開いています。


なにしろ今日は暑いので、「せいろにしようかなぁ」と思ってお店に入ったのですが、おとなりのテーブルの方の「おろしそば」がとてもうまそうでしたので、真似をして「おろしそば」を注文。


と、その前にまずはビール。


お酒を頼むと、おつまみに「揚げ蕎麦」がついてきます。


お蕎麦を揚げたものですが、塩気もあまり強くなく、お酒との相性ばつぐんです。


ポリポリつまみながら、グビグビとビールをやっつけていると、おろしそばがやって来ました。

十割蕎麦が隠れるくらい、いろんなものが載っています。


揚げ玉、浅葱、鰹節、海苔。


そして中央に辛味大根。


蕎麦つゆが別の器で来ていますので、つけ麺にしても食べられます。


しかしこれだけいろいろ載っていますので、蕎麦つゆはぶっかけて、いただきました。


大根おろしの辛味、鰹節の香り、どれもがしっかりした十割そばの食感にうまく乗っかっています。


十割そばは他に混ぜるものがないので、うまいそば粉でなければ勝負できません。玄庵のそば粉は歯ごたえでうまさがわかる蕎麦だと思います。


是非一度おためしあれ。


玄庵

電話 03-3694-1241
営業時間 11:30~15:00(14:30LO)、17:00~21:00(20:00LO)
定休日:HPで確認

2016年5月4日水曜日

[大人の株式会社] かつしかの大きな会社シリーズ。堀切にある年商450億円の「ミヨシ油脂」。なんでミヨシなの?

今日取り上げるかつしかの大きな会社は「ミヨシ油脂」です。


堀切に大きな敷地がありますね。



この工場は綾瀬川沿いでもあり、便利な場所ですね。


なんで「ミヨシ」っていうの?

会社の所在地は堀切、現在の社長さんのお名前も堀部さんなのに、なんでミヨシって名前なんでしょう。

これはなぜか、後述するミヨシ石鹸のホームページに出てましたよ。
ミヨシの名の成り立ちは三木と吉村という二人の人間のジョイントからきています。「よいせっけんをつくりたい」と願う二人が出会い、私たちはスタートしました。以来、技術と志が連綿と伝えられ、その営みを担ってきた人々の歴史の先端にミヨシ石鹸の今があります。
たしかに、ミヨシ油脂の取締役にも三木という姓の方が残っていますね。


事業内容

事業内容は、「油化事業」と「食品事業」が大きな柱です。


油化事業とは

その歴史は1921年(大正10年)の繊維工業用石鹸の製造に端を発し、以来90年にわたり天然油脂原料や石油化学原料を応用したさまざまな製品を、さまざまな産業分野に提供してまいりました。
 主だった用途を上げるだけでも、シャンプー・リンス、石鹸・洗剤の原料、繊維の柔軟仕上剤、医薬用の湿布剤、タイヤなどのゴム製品、香粧品、紙・パルプ、塗料、飼料…などなど、数え上げればキリがありません。(ミヨシ油脂HP



食品事業とは

食品事業の歴史は、1941年(昭和16年)のマーガリン製造にはじまります。
それぞれの時代が求める美味しさを演出するため、今日までマーガリンをはじめ、ショートニング、ラード、粉末油脂、ホイップクリームなど、数多くの油脂素材を食品業界に提供してまいりました。

かげさまで食用加工油脂の生産量では、現在国内トップクラスの座を占めるにいたっています。(ミヨシ油脂HP










会社の歴史

この会社の歴史は1921年の「繊維工業用石鹸の製造を目的としてミヨシ石鹸工業合資会社を設立」にはじまります。


そうですよね。ミヨシといえば身近なところでは石鹸ですね。


でも現在では、石鹸事業は1996年から別会社。


ミヨシ石鹸株式会社」があります。


ミヨシ石鹸の本社は、葛飾にはなく、墨田区緑にありますね。

2016年5月3日火曜日

[大人の株式会社] 今日はリカちゃんの誕生日!というわけで、葛飾区に本社のある一部上場企業「タカラトミー」を調べてみた。



葛飾区には一部上場5社の本社があります。


5社とは

株式会社タカラトミー (1790.42億円)
株式会社東京デリカ (457.11億円)
ミヨシ油脂株式会社 (440.80億円)
森尾電機株式会社 (60.85億円)
株式会社大盛工業 (26.13億円)

です。



今回は、大人の社会科見学っぽく、この一部上場の一つ「タカラトミー」をみてみましょう。


タカラトミーは、「タカラ」と「トミー」が合併してできた会社です。


そこでまずは、それぞれの会社をみてみましょう。

タカラ


ご存じの方も多いと思いますが、タカラの社名は創業の地「葛飾区本田宝木塚町」から来ています。

1955年 - 東京都葛飾区本田宝木塚町(現・宝町)にて、佐藤安太が有限会社佐藤ビニール工業所を設立。




宝町は地図にもあるように京成電鉄お花茶屋駅の南に広がります。お花茶屋の由来となったお花ちゃんは、地元では「宝小町」と呼ばれていたとか。


タカラの商品といえば、私の世代では、ダッコちゃん人形ですね。


と言っても物心ついたころですから、50年近く前。調べてみると製造開始は昭和35年(1960年)とのこと。


偽物も多くあったのですが、本物の目は角度によってウィンクしたりパッチリ開いたりしたんですよね。


タカラは旧社名が「佐藤ビニール」というだけあって、ビニール製品には強かったんですね。


女の子の間ではリカちゃん人形ですね。


これもビニール製品の応用編で作られたようです。


リカちゃんの発売は1967年。


ダッコちゃんとリカちゃんをみても、1960年代のタカラはものすごい勢いの会社だったんでしょう。


会社の晩年は、チョロQがヒットでしょうか。


ゼンマイ動力ですが、よく走りましたよね。私もいくつかコレクションしました。


いまどこ行っちゃったんだろ。


チョロQはいまだにシリーズが発売されているようですが、タカラの経営悪化はこのチョロQ実車化にありました。





2002年チョロQモータースという会社を作り自動車業界に乗り出しましたが、月に1,2台しか売れなかったようです。


この失敗からタカラは経営が傾いていきます。


トミー


トミーと言っても、国広富之ではありません(笑。


トミーは、1924年(大正13年)に巣鴨で誕生した会社です。


戦前は墨田区にありましたが、ご多分に漏れず、空襲で荒川のこちらがわ葛飾区に移転しました。

1941年 太陽木工場を葛飾区本田立石町(現・立石)に設立。

1945年 寺島町の工場を処分、機械を立石の工場に集約。

トミーといえば、プラレール、ですよね?それともトミカ?でしょうか。



プラレールは1961年に電動化する前1958年から製造されています。


6畳の部屋いっぱいに線路を敷き詰めちゃって、寝るところがなくなった思い出があります。


いまではJRなどで、事故対応時のシミュレーションなどでも使われているんですって。もうただの玩具じゃないですね。


いっぽうのトミカは、いろんな働く車があって楽しいですよね。


いまだに毎月第3土曜日に新車を発売しているんですって。


トミカの車や建物だけで、街が一つ作れちゃいますね。