葛飾区にとって、京成本線は大動脈の一つ。
先日近所の図書館に寄ったら、「京成押上線物語」なる本を見つけたので、借りてき読んでみました。
作者は澤村英仁さん。
葛飾区にお住まいで、「町の文化と歴史をひもとく会、葛飾探検団等で地域活動に参加」(奥付より)とあります。
内容は京成押上線のエピソードがいっぱいでした。
- 第一期区間の開業の話
- 荒川開墾で四ツ木駅や立石駅が移動した話
- 京成が都心に乗り入れた時の苦労〜青砥駅開業
- 押上地下駅は東武の敷地の下にある
- 幻の新京成柴又線
- 押上線全線立体化
このなかでへ〜〜〜っと思ったのはスカイライナーのはなし。
Wikipediaより |
スカイライナーの初代って覚えていますか?
この写真で思い出される人も多いかもしれません。今とは形もカラーリングも変わっています。
しかしこの初代のカラーリング。
これには京成の長年の思いが詰まっていたのです。
昭和28年5月、成田山への参拝客向けに二両編成の回転式リクライニングシートを採用し、テレビ受像機までついたデラックスカーが走ります。
1600系「開運号」といいます。
昭和32年にはオープンカウンター式の売店付き車両をつなぎ3両編成となります。
1600系「開運号」 |
上野から成田を1時間15分で結んだそうです。
この「開運号」のカラーリング、スカイライナーに引き継がれていますね。
京成電鉄の鉄道マンの心意気ですね。
成田空港の開港が決定され、京成電鉄の輸送力も成田空港が中心となっていきました。
こういうエピソードは、なかなか知ることができないので面白いですね。
0 件のコメント:
コメントを投稿
コメント大歓迎!