2016年9月8日木曜日

[大人の堀切] 駅の近くなのに隠れ家のような「手打ちそば人と木」



今回は、堀切菖蒲園駅近くの「人と木」です。

堀切菖蒲園駅改札前にある平和橋通りの雑踏に背を向けるように歩くとほどなく「手打ち蕎麦人と木」が見えてきます。




見えてくる、のですが、住宅街に入ったところのお店で、店構えも控えめなことから、初回にはわかりづらいかもしれません。


しかしその「隠れ家感」がなんともいえず、お店の雰囲気を作っています。


中はけっして広くありません。


全部でテーブルが5,6卓。一度に座れる人数は20人に満たないぐらい。


女将さん、一人でフロアを切り盛りしています。


ここの女将さんはステキです。


けっしてしょっちゅう訪れる客ではないのですが、私の名前や注文したものをきちんと覚えてくれています。


こういうお店には自然と足がむいちゃいますよね。


いつも頼む日本酒まで覚えてくれています。



ここに来たら、いつも天せいろです。


きれいな油で上品に揚がった天ぷらと、丁寧に打たれたお蕎麦が絶品。



天ぷらは、海老やナスなどの野菜、キス。


ひとつづつほんとうに綺麗に揚がっています。


これがまた日本酒にあう。


おいしいお蕎麦は味わうためにあるお蕎麦。


ほんの二三本だけを箸でつまみ上げて、口の中で味わうと、蕎麦の味が広がります。


これがまた日本酒にあう。


残暑が厳しい今だからこそ、お蕎麦に冷たい日本酒がおいしいですね。

手打ち蕎麦 人と木
ジャンル:そば
アクセス:京成本線堀切菖蒲園駅 徒歩1分
住所:〒124-0006 東京都葛飾区堀切5-2-8(地図


周辺のお店のネット予約:
Italian Dining Vittoria 北千住店のコース一覧
居酒屋 あじさいのコース一覧
美豚 本店のコース一覧
周辺のお店:ぐるなびぐるなび 亀有・青砥×そば
情報掲載日:2016年9月8日

2016年9月7日水曜日

[大人の中川] 中川っていいな〜。いつ見ても飽きない川。



この夏に撮影してきた中川の風景をスライドにまとめてみました。


スタートすると音が出ますので気をつけてください。



今年はゴールデンウィーク明けぐらいから、青砥駅までチャリで通勤しています。


途中、森永の工場裏から、中川奥戸展望デッキを通り、本奥戸橋を渡って行きます。


この中川奥戸展望デッキは、中川テラスが設置されたときに「スカイツリーも富士山もハープ橋も東京タワーも見える」絶好の位置に作られたデッキです。



残念ながら、平和橋のほとりにマンションができてしまい、いまは富士山は見えません。


しかしながら、朝に夕に晩に、このデッキから見渡せる景色は、滔々と流れる中川、広い空と相まって、なんだかホッとした気持ちになります。


是非皆さんも一度訪れてみてください。

2016年9月5日月曜日

[大人の一丁目一番地(19)] 小菅1-1に行ってきたよ。日本で最初の小学校は小菅にある。


今回の一丁目一番地は、小菅1-1です。


小菅といえば東京拘置所ですね。

Wikipediaより


東京拘置所も確かに「小菅1丁目」なのですが、住所は小菅1-35でした。



さて、小菅1-1は、トップ画像にあるように「国土交通省綾瀬排水機場」です。


綾瀬川と荒川土手の間にあります。


チャリで行くのに、ちょっと苦労しました。




ちょうど荒川が千住の方からカーブしてきて、綾瀬の方から降りてくる「綾瀬川」と並行し始めるところです。


ところで、綾瀬排水機場ってなにするところでしょうか。

排水機場は台風などの大雨のとき、中小河川の洪水をポンプにより江戸川などの大河川へ強制的に排水する目的を持っています。江戸川河川事務所では、7つの排水機場を運営管理していますが、なかでも首都圏外郭放水路、三郷放水路、綾瀬川放水路、坂川放水路に設置された排水機場は国内最大級の規模を誇ります。(江戸川河川事務所HP)
国内最大級ですって!

台風などの時は、この排水機を使って、綾瀬川が溢れないように中川へ押し出しているのですね。

この排水機場については、「[大人の堀切] “普段入れない”堀切菖蒲水門の内部をお見せします!~完成後20周年記念イベント~」にくわしいです。


日本最初の小学校


川に挟まれたこのエリアには、お寺が一つあります。

正覚寺といいます。




荒川の開墾、綾瀬川の整備にも耐えて、この地に残っています。



じつはこのお寺には小学校がありました。


日本で最初の小学校です。


時代は遡ること明治維新。


以前このブログでも記事にしたように、明治初頭にこの地に「小菅県」という県が置かれました。


県庁は今の東京拘置所のところです。


そして小菅県は、新政府の方針に従って、小学校を作りました。


それがこの正覚寺にあったわけです。


しかし明治4年には廃藩置県で小菅県はなくなり、明治6年には学制発布があったことから、この正覚寺の小学校は廃止となりました。



ちなみに、明治6年の新しい学制発布でできた小学校は「亀青小学校」や今の「新宿小学校」だったそうですよ。


こういう史跡は、区としてももっとアピールして欲しいですね。