新金線の線路が開通した昭和10年(1926年)ごろの葛飾区は、まだまだ広大な田畑が広がる土地でした。
用水路が四方に広がり、新金線もあちこちで鉄橋が必要だったことと思います。
この鉄橋も、そんな用水路の鉄橋だろう、と思っていました。
場所はこちら。
もう水戸街道の一歩手前ですね。
一段低いところの土地の両端を、りっぱな石造りで囲っています。
明治43年(1908年)の地図と見比べてみましょう。
ちょっと小さくてわかりづらいですね。
ここです。
ちょっとぼやけてしまいましたが、どうやら地図記号が読めないとダメみたいですね。
まず左右に引かれた2本点線です。
文字は右から読んで下さいね。
2本点線の記号は「間道(かんどう)」です。
間道?辞書を引いてみました。
主な道から外れた道。脇道。抜け道。「間道を抜ける」
抜け道ですね!そういえばこの点線の先は実線になっていて、ふつうの道路のようです。
つぎに上下に引かれた1本点線です。
これは小徑(こみち)だそうです。
ん?抜け道とこみち。
微妙な感じですが、こみちの方が細いのかな?
もう一度トップ画像です。
この地図記号から見ると、左右が「こみち」、線路の下を通るのが「抜け道」となります。
どちらも非公式な道だったようですね。
そこにコンクリート造りの低い段差。
人の通る道というよりは、水が流れていたと考えるほうが自然なようですが、地図を根拠にすると道だったようです。
コンクリートの段差も、一部低くなっているのを見ると、宅地だったのでしょうか。
正確にはなんだったのか、わからないままの記事となりました。
ご存じの方おしえてくださーい。