2016年3月31日木曜日
[大人の宿題] 4月になったら行きたいお店をピックアップ!
4月に訪れておきたいお店をピックアップしてみたよ。
手打ちそば賀登利庵
葛飾の橋ウォッチ
一丁目一番地
堀切三河屋:昭和5年創業の中華料理屋さん。特別定食かシュウマイか!
区役所食堂:一度は行っておきたい
立石マルシェ
金町マルシェ
堀切北京:カツ丼が食べたい
TRATTORIA AVERE(トラットリア アヴェーレ) キャプテン翼の似顔絵が壁いっぱい
のっけ盛り(金町):昼間っからいけるかな?
ぜん(立石):夕方行列!
簾(立石)
立ち飲み わか(新小岩)
ナルバル:落ち着いたいい雰囲気
葛飾の美術展(5月)
HHH Gallery (堀切)
2016年3月30日水曜日
[大人の歴史] 葛飾区って、なに県?えっ?
http://blog.goo.ne.jp/kaba14_11/m/201206 |
葛飾区って東京都でしょ?
それはもちろん。
しかし明治維新の頃には、県だったことが!
1869年(明治2年)1月13日、武蔵知県事・河瀬秀治の管轄区域をもって小菅県が設置された。県名は、県庁が葛飾郡小菅村(現東京都葛飾区小菅一丁目35番1号)の旧幕府小菅御殿(旧関東郡代小菅陣屋、現東京拘置所)に置かれたことによる。
東京府(第1次)との管轄区域の交換を経て、主に東京の北東郊外を管轄した。
河瀬知事の発議により、備荒貯蓄と窮民救済の機関として、七分積金に類する報恩社を組織している。
1871年(明治4年)7月14日の廃藩置県を経て、同年11月14日に第1次府県統合により東京府(第1次)および品川県と合併して東京府(第2次)となった。wikipedia
ここに出てくる小菅御殿は、言わずとしれた現在の東京拘置所であります。
また、綾瀬川の向かいにある小菅神社は、小菅県ができた時に伊勢神宮を勧請したものだそうです。
一度見に行かなきゃ。
2016年3月29日火曜日
[大人の一丁目一番地(2)] 葛飾区新小岩1-1を歩く。荒川がなかったころは平井の方まで、西井堀で潤う広大な田畑だったんだなぁ。
新小岩1丁目1番地です。
荒川沿いの住宅地です。
南側はすぐ江戸川区松島です。
このあたりは、新小岩の駅も近くて、静かだし、良い土地ですね。
荒川のたか~い土手があります。
これさえなかったら、日当たりも良くていいのになぁ。
荒川なかったら、平井の方まで続くひろ〜い土地でしたね。
荒川ができる前の地図を見てみると
おなじみ、明治時代の地図です。
総武線平井駅はありますが、新小岩駅は旅客駅としては昭和に入ってから営業しているので、この地図にはありません。
まさに、平井、逆井のほうまで続く田畑でしたねぇ。
この地図見て、気になるのが、総武線を斜めに横切る直線です。
なんだろ、これ。
想像がつく方も多いと思いますが、これ江戸時代から使われていた用水路ですね。
水元公園にあった小合溜から、いまの東京理科大前を通って、新宿を下り、奥戸を横切って、たつみ橋交差点を抜けて、荒川の向こう側まで用水路があったのですね。
東新小岩のあたりは「西井堀せせらぎパーク」として公園になっています。
また、西井堀というぐらいですから、仲井堀、東井堀もあり、いずれもいまは暗渠となっています。
荒川がなかったころは、この西井堀の用水を使って、いまの平井南部の田畑も潤っていたはず。
平井の農業も水元公園の水を使っていたということは、荒川で分断されてしまった今、感覚的には掴みづらいですが、新小岩1-1あたりは、中川南部の中心地だったのかもしれません。
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