2017年8月21日月曜日

[大人の区境を行く(8)] 西亀有から綾瀬駅方面。この入り組んだ区境の謎を歩く(1)




今回は、皆さんご存知綾瀬駅周辺の入り組んだ区境を歩きました。




前回の終点、一之台中学校の常磐線の高架側です。

区境はこの常磐線を綾瀬方面に進んでいきます。


なだらかなカーブが、川の流れを想像させますね。

区境をたどると、ふたたび常磐線の高架が出てきます。


葛飾ろう学校の脇を抜けていきます。

この先、まさに古隅田川の真骨頂な流れとなります。


暗渠から開渠となり、川の流れが再現されています。


河添公園には、親水公園型になっていますね。

ただ、水の流れはそれほどきれいではありません。


場所によっては、昔を彷彿とさせる川のスタイルになっていますね。


もう一度、区境地図です。

しかしなんでこんなに入り組んでいるんでしょうね。


川沿いの区の教育委員会の掲示板には、古隅田川の歴史が書かれていました。

これによると(一部、私の推察あり)
  • もともとは、水元方面を流れる中川。これは昔は利根川でした。その下流域の一つを隅田川と呼んでいました。したがって、古利根川=古隅田川でもあります。
  • この中川、亀有から南下して青戸方面に流れる現在の流れはは本流ではありませんでした。
  • その代わり、亀有から西進し、現在の常磐線沿いを荒川、千住方面に抜けていました。
  • 古隅田川が亀有から西進せず、青戸方面に南下したのは亨保年間(18世紀半ば)の開墾のためのようです。
  • 古隅田川の南下によって、常磐線沿いに流れていた古隅田川は支流となり干上がっていきました。
  • 干上がった後の川は、川底の形に従って蛇行します。これが現在の区境となっている古隅田川です。
  • 干上がった川沿いは、肥沃な土地となりますので、18世紀後半以降、田畑が広がり「○○新田」があちこちにできていきます。
  • もともと常磐線沿いには陸前浜街道が通っており、人の行き来がありました。肥沃な土地でできた農作物はこの街道を通じて売り買いされ、葛飾北部はこれ以降農業地として発展していきました。
ということのようです。

間違っていたら指摘してください。

では再び歩きましょう。



このあたりは、川の流れが生活に溶け込んでいます。

歩道の脇に、川の流れる音がする。

駅に向かう時、道を越える時、橋を渡って物理的に川を越える。

暗渠って誰のためのものでしょうねぇ。

生活の中に川の流れがある街こそ、東京の下町下流域だと思います。

次回は、綾瀬駅周辺へ進みます。

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