2016年9月20日火曜日

[大人の一丁目一番地(21)] 高砂1-1に行ってきたよ。ここはかつて諏訪野と呼ばれた土地。


今回は、高砂一丁目一番地に行ってきました。



高砂一丁目は、この地図にあるように、まさに中川と新中川の分岐部分に位置しています。



写真の高砂1-1は、スポーツセンターエイトホールの向かい側。


住所表記こそありませんでしたが、ココが1-1のようです。




「葛飾コンテナ中継所」?


ここでは葛飾区のゴミを集めて、焼却施設に持ち込む前に積み替える場所ですね。


環七も通っていて、川の分岐点で離れ小島的な要素も持ち合わせていますので、ゴミの処理には持ってこいかもしれません。


高砂一丁目は、昔は諏訪野という地名でした。


現在でも諏訪野熊野神社として地名が残っています。


高砂の地は、以前は曲金(まがりかね)と呼ばれていましたが、葛飾区が東京都に編入された頃には、謡曲からとったおめでたい高砂という地名になっています。


諏訪野の地は、この曲金と地続きであったのですが、時代とともにその位置づけが変わってきます。


中川の氾濫対策から、1964年に新中川が開通し、諏訪野は高砂とは地続きではなくなります。


どうじに、現在のエイトホール周辺が中川の洲となっており沼地であったことから、その干拓工事もはじまります。


このころの諏訪野は、ほとんど島ですね。


その後、干拓が進みスポーツセンターとして整備されるとともに、諏訪野には南北に環七が完成することとなります(1985年)。


これらにより、高砂一丁目は、他の高砂とは違った歩みをしていくわけです。

2016年9月18日日曜日

[大人の葛飾有名人] 女優小林聡美さんは高砂中学、篠崎高校

LAUGHLYより
1965年生まれ。


高砂中学出身なんですね〜



1979年〜80年に『三年B組金八先生第1シリーズ』に出演


ということは、実際の中学生時代に出演していたのですね。

同じ第1シリーズに出演した、杉田かおる、鶴見辰吾、三原じゅん子、近藤真彦などがいずれも1964年生まれなのですが、小林聡美は1年後輩ですね。

余談ですが、金八先生のシリーズでは、葛飾小学や葛飾野高校が使われています。


1982年『転校生』


大林宣彦監督の「尾道三部作」のひとつ。神社の石段を転げ落ちると、男女が入れ替わってたなんて斬新なシチュエーションでしたね。この映画で小林聡美は日本アカデミー賞を受賞しています。


1988年『やっぱり猫が好き』


もたいまさこ、室井滋との三姉妹+猫しか出てこないシチュエーション・コメディ。


1995年脚本家三谷幸喜と結婚、2011年離婚

三谷幸喜は言うまでもなく「真田丸」脚本のみならず、「古畑任三郎」や「王様のレストラン」などのヒット作を手掛ける脚本家ですが、売れる前はサザエさんの脚本を書いていたこともあったとか。


これからも活躍を期待しています。

2016年9月14日水曜日

[大人の一丁目一番地(20)] 西亀有1-1を歩いてきたよ。陸前浜街道に賑わった街


今回は西亀有1-1に行ってきました。


西亀有は、裕福なエリアだったと思います。


大きな家が多く、区画も広い。


もちろん農家が多かったはずですが、このエリアはほかの葛飾とちょっと違います。


理由は、おそらく、陸前浜街道にあったと思います。



陸前浜街道とは、現在の水戸街道。


千住の宿場を起点として、現在の常磐線沿いを水戸に抜け、そのまま海沿いを仙台まで続いていく陸前浜街道。

スカイツリーから一直線に金町駅前に通じる今の水戸街道と違い、人が歩く水戸街道はもっと北寄りにクネクネしていました。



左の地図が明治末期の陸前浜街道です。


千住の宿から新宿の宿まで約5キロ。


その中間地点にある西亀有近辺は、そのころ砂原、千葉という地名でしたが、宿場こそないものの、人通りのおおい街道筋として、物販や休憩所などで栄えていたものと思われます。


折しも江戸時代の新宿の宿場は、水戸徳川家に通じる街道だったこともあり、交通量は少なくありません。


茨城や房総半島の海産物が江戸に運ばれる主要ルートでもあり、途中西亀有で農産物と交換されたことも容易に考えられます。


葛飾のほとんどがかつては農地でしたが、この陸前浜街道沿いの街では商業的要素も加わって、他のエリアより裕福に過ごしていたのかもしれません。