今回の「大人の区境を行く」は、葛飾区の北限(笑 大場川沿いです。
地図を見てみましょう。
左の地図は1900年頃の大場川と中川の合流地点あたり。右の地図は現在です。
左の地図では中川が大きくU字になって大場川を合流させていますが、1950年代には右の地図のように中川は直線となり、大場川はより西側で中川で合流することとなります。
今回の話題はこのU字型だったころの中川と大場川の合流地点にあった「弐郷半領猿又閘門」。
上の地図では青い丸印のところにあります。
「にごうはんりょう-さるまた-こうもん」
と読みます。
弐郷半領とは、大場川の北側の地名。
猿又は、少し前まで水元猿町と呼ばれた大場川の南側の地名。
その間にある「閘門」ということですね。
閘門(こうもん)あるいはロック(英語: Lock)は、水位の異なる河川や運河、水路の間で船を上下させるための装置である。閘門の特徴は、固定された閘室(前後を仕切った空間)内の水位を変えられることで、これに対して同じく船を上下させるための装置であるケーソンロック(Caisson lock)、ボートリフト、運河用のインクライン(Canal inclined plane)などでは閘室自体を上下させる。
本来は水の量を調節することで、船の航行などに利用するものです。
しかしこの古利根川(中川)は水量が一定せず氾濫も多かったことから、大場川や小合溜(現在の水元公園)に増水時に水を引き込み、水量を安定させるために作った閘門でした。
橋に設置された説明を読むと、江戸時代は木の橋だったようですが、明治時代金町に煉瓦工場ができたこともあり、この閘門をレンガ造りにしたとのことです。
金町の煉瓦工場については、以前ブログで書きましたので
こちらを参考にしてください。
金町では銀座路地のレンガを作っていたのですから、この閘門のレンガと銀座のレンガは同じということですね!
小合溜(大場川)側からみた閘門です。
寄ってみると重厚なレンガです。
3つのアーチからなっています。
下流側のアーチは数が多いですね。
真ん中のアーチを中心に、左に2つ、右に2つ、全部で5つアーチがあります。
上の写真(大場川側)は3つでしたから、複雑な作りをしていますね。
下流側には、ふたりの作業する人の小さな銅像があるのですが、この人達はなにをしているのだろう。
もしかするとこの堰の開け閉めをしているところかもしれませんね。
もう一度先ほどと同じ地図です。
閘門から右に赤く伸びた線は、葛飾区と埼玉県八潮市の区境。
八潮市の名前の由来は「八幡村」と「潮止村」などが一緒になったので「八潮」とのこと。
こんな内陸の地名まで「潮」という字がつくのは、江戸の昔でも中川を遡って東京湾の潮が逆流してくるぐらい、葛飾の土地は平坦で低地だったということですね。