今回は、高砂一丁目一番地に行ってきました。
高砂一丁目は、この地図にあるように、まさに中川と新中川の分岐部分に位置しています。
写真の高砂1-1は、スポーツセンターエイトホールの向かい側。
住所表記こそありませんでしたが、ココが1-1のようです。
「葛飾コンテナ中継所」?
ここでは葛飾区のゴミを集めて、焼却施設に持ち込む前に積み替える場所ですね。
環七も通っていて、川の分岐点で離れ小島的な要素も持ち合わせていますので、ゴミの処理には持ってこいかもしれません。
高砂一丁目は、昔は諏訪野という地名でした。
現在でも諏訪野熊野神社として地名が残っています。
高砂の地は、以前は曲金(まがりかね)と呼ばれていましたが、葛飾区が東京都に編入された頃には、謡曲からとったおめでたい高砂という地名になっています。
諏訪野の地は、この曲金と地続きであったのですが、時代とともにその位置づけが変わってきます。
中川の氾濫対策から、1964年に新中川が開通し、諏訪野は高砂とは地続きではなくなります。
どうじに、現在のエイトホール周辺が中川の洲となっており沼地であったことから、その干拓工事もはじまります。
このころの諏訪野は、ほとんど島ですね。
その後、干拓が進みスポーツセンターとして整備されるとともに、諏訪野には南北に環七が完成することとなります(1985年)。
これらにより、高砂一丁目は、他の高砂とは違った歩みをしていくわけです。