2016年7月31日日曜日

[大人の宿題] 8月になったら行きたいお店


さて、8月に入ったら行ってみたいお店のリストアップです。7月はあまり活動できず、宿題貯まる一方です(汗





長門
ジャンル:ラーメン
アクセス:京成本線堀切菖蒲園駅 徒歩2分
住所:〒124-0006 東京都葛飾区堀切3-9-9(地図
周辺のお店のプラン予約:
炭火串焼き・串揚げ 笑小屋 のプラン一覧
嵯峨野 東口店 のプラン一覧
串焼き 焼きとん けむり のプラン一覧
周辺のお店:ぐるなびぐるなび 亀有・青砥×ラーメン
情報掲載日:2016年8月3日

堀切菖蒲園に限らず、ラーメン屋さんは増えているものの、中華料理屋さんが無くなってきているような気がします。この長門さんもラーメン、餃子で売っていますがいつまでも続いて欲しいですね。



加津良
ジャンル:割烹
アクセス:JR常磐線亀有駅北口 徒歩3分
住所:〒125-0061 東京都葛飾区亀有5-28-2(地図


亀有おはしフレンチビストロミュー
お店の雰囲気も良さそうですねぇ。行ってみたいです。


炙り屋台 喜多屋
ジャンル:居酒屋
アクセス:京成押上線京成立石駅 徒歩1分
住所:〒124-0012 東京都葛飾区立石4-25-10(地図


大門
大門
ジャンル:焼肉・ホルモン
アクセス:千代田線綾瀬東口 徒歩15かバス分
住所:〒124-0006 東京都葛飾区堀切7-8-14(地図


寿々喜そば
ジャンル:そば
アクセス:京成成田空港線・北総鉄道線京成高砂駅 徒歩15分
住所:〒124-0021 東京都葛飾区細田4-7-15(地図


蕎麦 泉匠
ジャンル:そば
アクセス:京成本線京成小岩駅南口 徒歩12分
住所:〒124-0021 東京都葛飾区細田5-10-11(地図


吟庵(高砂)

お蕎麦には目がないのでぜひ行きたいのだけど、食べログみると「店舗の運営状況が確認できない」なんて出ていますね。Facebookでも2016年03月までの書き込みしかなく、ちょっと不安。


オステリア ルーチェ
オステリア ルーチェ
ジャンル:イタリア料理
住所:〒125-0042 東京都葛飾区金町5-36-8(地図


トラットリア た喜ち 高砂店
ジャンル:イタリアン
アクセス:京成成田空港線・北総鉄道線京成高砂駅北口 徒歩3分
住所:〒125-0054 東京都葛飾区高砂5-46-3 スカイコート高砂第3 1F(地図


吉田うどん 五葵

「吉田うどんが食べれるんだ!」
という素直な気持ちで行ってみます!

2016年7月30日土曜日

[大人の葛飾有名人] 『グイン・サーガ』の栗本薫(中島梓)は青戸出身。


『グイン・サーガ』で有名な作家の栗本薫さんは、1953年青戸生まれ。



早稲田大学卒業後、1978年『ぼくらの時代』で江戸川乱歩賞。


1979年から『グイン・サーガ』刊行開始。


1981年吉川英治文学賞新人賞。


長唄、小唄、清元、津軽三味線の名取でもあります。

2016年7月29日金曜日

[大人の一丁目一番地(14)] 奥戸1-1に行ってきたよ。昔の奥戸は船着き場を中心とした水運の町



今回の一丁目一番地は、奥戸です。




いまでも結構広い。


「奥戸一丁目一番地」は、この地図の左のはじっこです。


奥戸1-1近景


このあたりは中川のの堤防沿いで、桜並木がきれいな静かなエリアですね。



奥戸の「戸」は「出入り口=船着場」という意味(岩波古語辞典)のようです。


万葉集にもこの奥戸を歌った歌ではありませんが、「君が船、こぎ帰り来て、戸に泊つるまで」という歌もあります。


実際に昔の地図を見てみると、いまの総合スポーツセンターのあたりがその船着場だったようですね。


総合スポーツセンターのできる前は湿地帯だったはずですので、ここが船をつけるのにはちょうどよかったのかもしれません。


まさに川の「奥」の「戸」だったのですね。


このあたりの村から湿地帯の船着き場に行こうとすると「奥戸天祖神社」があります。


川の交通の安全を、この天祖神社で祈願してから船に乗ったのかもしれませんね。


さて、もうちょっと古地図を広く見てみましょう。


じつは明治時代の奥戸村は、むちゃくちゃ広い。


wikipediaにも

1889年(明治22年)5月1日 - 町村制の施行に伴い、上小松村、下小松村、奥戸村、奥戸新田、曲金村、細田村、鎌倉新田の全域と、以下の2村の各一部が合併して奥戸村が発足
と書かれています。


地図で見ると


この赤で囲った地名はすべて「奥戸村」。


ざっくり言って、中川の南はほとんど奥戸村だったのですね。


平和橋通りも、蔵前橋通りも、新中川も、そしてもちろん京成電車も環七も無かった時代の奥戸村。


水元からの用水路が何本も通り、水の潤う町。


そのころは、スポーツセンターのあたりの船着き場を中心とした水運の町だったに違いありません。