2016年3月24日木曜日

[大人の1丁目1番地(1)] 区内30箇所の一丁目一番地を目指します!まずは地元東新小岩1-1



さて、陽気も良くなってきましたので、今年は葛飾区の1丁目1番地を巡る記事を載せていきます。


まずは、地元「東新小岩1-1」


場所はココ。




まさに新小岩北口の目の前です。


東新小岩1丁目
上の写真は、線路沿いのマンション「トラスト新小岩」さんの1階に刻まれています。


レーザー彫刻のレーザーマスターという会社の壁面なんですね。


東新小岩1丁目はけっこう広いです。


JRの線路、平和橋通り、蔵前橋通り、小松橋に囲まれた四角い土地。


半分近くを「私学事業団総合運動場」が占めています。


週末はもとより、平日夕方も多くの学生がサッカーやテニスをしています。


この運動場の土地、昔は操車場だったんですね。


新小岩機関区、という蒸気機関車の基地があったのですね。昭和40年代初頭まで、房総方面にはD51も走っていたようで、その頃の操車場だったようです。






こんな転車台もあったんですねぇ。すごい。


時代を感じさせますね。


ちなみに、葛飾区の「1丁目1番地」は、以下のとおり。


順番に巡っていきますね。
青戸 奥戸 お花茶屋 金町 金町浄水場  鎌倉  亀有 小菅 柴又  白鳥 新小岩 高砂 宝町  立石  新宿  西亀有  西新小岩  西水元 東金町  東新小岩  東立石  東堀切  東水元  東四つ木  細田 堀切 水元  水元公園  南水元 四つ木

2016年3月23日水曜日

[大人の最中] 昭和7年創業の老舗「亀むら」で「亀の子最中」を買ってみた。


なんども亀有には行くのに、一度は行っておきたかったお店「亀むら」さんです。


堀切にもお店がありますが、創業は昭和7年。東京市が35区制となって葛飾区ができるのが昭和8年ですから、りっぱな老舗ですね。


今日は手土産に、「亀の子最中」を買いました。


亀有には和菓子の「菓匠亀の子堂」さんもあってちょっとややこしいですが、こちらの最中は六角形の手のひらサイズ。


亀の子最中で調べてみると、日本中に同じ名前の最中がありますが、六角形の最中は亀むらさんだけのようですね。



袋から出してみると、こんなかんじ。


二口サイズで食べやすい。


中にはつぶあんがぎっしり!


こしあんもありますので、お好みでどうぞ。


次回は、栗どらやき、買ってみようかな。




2016年3月22日火曜日

[大人の歴史] 新小岩の駅前に、米軍機が落ちた?葛飾区下小松町719ってどこだ?

墜落したFJ2と同型機
1956年(昭和31年)2月3日、神奈川県の厚木基地を3機のFJ-2フューリー戦闘機が離陸した。この3機の戦闘機は、離陸後に神奈川県東部や東京都の都市部など、建物が密集する地域の上空において飛行訓練を始めた。

そして飛行訓練中の午前11時頃、3機のうち1機が高度3万フィートの上空で急旋回していた時に、突如エンジンが故障。旋回中で機体を傾けていたところに推力を失ったので、そのまま機首を下に向けてキリモミ状態となった。

そして急速にキリモミ状態のまま落下して行き、午前11時3分頃に葛飾区下小松町719番地の民家密集地帯に墜落し、爆発炎上した。

墜落現場は新小岩駅の北口より約100メートルほどの商店が立ち並ぶ繁華街で、商店街の目抜き通りから東へ少ししか離れていない場所だったため、もし墜落地点があと西の方へ少しずれていた場合、何十人もの死者が出るところであった。(Wikipedia抜粋)


最近はドローンが落ちたとか、オスプレイが落ちるとか、なにかと話題ですが、なんと昭和31年に新小岩には戦闘機が墜落していたのですね。


wikipediaによると、死者も出ていますし、燃料が下水に流れ込んで住民が避難したなど、大きな騒ぎになっていたようです。


昭和30年新小岩駅周辺
昭和31年の新小岩はどんなかんじだったのでしょうか?


新小岩駅南口は住宅地になっていますねぇ。


昭和31年といえば、戦後6年。まだまだ東京大空襲や戦火から逃れてきた人たちが多く住む街だったと思います。


蔵前橋通りもありません。



■ 墜落した場所はどこだったのか?

さて、戦闘機が落ちたのは葛飾区下小松町719番地、となっています。


残念ながら昭和31年の番地がわかる地図は持っていないのですが、駅周辺であることはまちがいないようです。


さてどのあたりでしょう。


「Tokyo Time Travel」より
まずは「下小松町」です。


右の画像で、上小松町は右上にあります。


下小松町は線路の南側にありますが、境界線は線路の北側にはみ出ています。


てっきり下小松町は線路の南だけだとおもっていたのですが、境界線はきっと線路が敷かれる前からできていたのでしょう。


つまり下小松町719は、線路の南側とはかぎらないわけですね。


上記のwikipediaの引用をみても、「墜落現場は新小岩駅の北口より約100メートルほど」とあります。


おそらくは、新小岩駅北口の蔵前橋通りまでのどこかに墜落したものと思われます。


さぁてどこか?


上記の昭和30年の地図、荒川から東の葛飾区には、丁目の表示がないんですよ。


図書館に行ったら調べられそうですね。