1956年(昭和31年)2月3日、神奈川県の厚木基地を3機のFJ-2フューリー戦闘機が離陸した。この3機の戦闘機は、離陸後に神奈川県東部や東京都の都市部など、建物が密集する地域の上空において飛行訓練を始めた。
そして飛行訓練中の午前11時頃、3機のうち1機が高度3万フィートの上空で急旋回していた時に、突如エンジンが故障。旋回中で機体を傾けていたところに推力を失ったので、そのまま機首を下に向けてキリモミ状態となった。
そして急速にキリモミ状態のまま落下して行き、午前11時3分頃に葛飾区下小松町719番地の民家密集地帯に墜落し、爆発炎上した。
墜落現場は新小岩駅の北口より約100メートルほどの商店が立ち並ぶ繁華街で、商店街の目抜き通りから東へ少ししか離れていない場所だったため、もし墜落地点があと西の方へ少しずれていた場合、何十人もの死者が出るところであった。(Wikipedia抜粋)
最近はドローンが落ちたとか、オスプレイが落ちるとか、なにかと話題ですが、なんと昭和31年に新小岩には戦闘機が墜落していたのですね。
wikipediaによると、死者も出ていますし、燃料が下水に流れ込んで住民が避難したなど、大きな騒ぎになっていたようです。
昭和30年新小岩駅周辺 |
新小岩駅南口は住宅地になっていますねぇ。
昭和31年といえば、戦後6年。まだまだ東京大空襲や戦火から逃れてきた人たちが多く住む街だったと思います。
蔵前橋通りもありません。
■ 墜落した場所はどこだったのか?
さて、戦闘機が落ちたのは葛飾区下小松町719番地、となっています。残念ながら昭和31年の番地がわかる地図は持っていないのですが、駅周辺であることはまちがいないようです。
さてどのあたりでしょう。
「Tokyo Time Travel」より |
右の画像で、上小松町は右上にあります。
下小松町は線路の南側にありますが、境界線は線路の北側にはみ出ています。
てっきり下小松町は線路の南だけだとおもっていたのですが、境界線はきっと線路が敷かれる前からできていたのでしょう。
つまり下小松町719は、線路の南側とはかぎらないわけですね。
上記のwikipediaの引用をみても、「墜落現場は新小岩駅の北口より約100メートルほど」とあります。
おそらくは、新小岩駅北口の蔵前橋通りまでのどこかに墜落したものと思われます。
さぁてどこか?
上記の昭和30年の地図、荒川から東の葛飾区には、丁目の表示がないんですよ。
図書館に行ったら調べられそうですね。