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今日は3月10日。東京大空襲から71年目の日です。
東京大空襲は日本家屋が密集し、工場が集まる下町を中心に攻撃されたとされています。
上の地図にあるように隅田川と荒川に挟まれたエリアそして蒲田方面が狙われていますね。
さて葛飾はどうだったのでしょうか。
上の地図からみるとほとんど被害がないようです。
「葛飾」の「飾」の字の左エリアが被害にあっていますが、ここは現在の青戸公団の紙器日あった軍需工場「大日本機械工業」のあたりでしょうか?大日本機械工業は戦争中弾丸、対戦車砲、電池、機関銃などを制作していたようです。
もしそうだとしたら、かなりピンポイントに狙っていますね。
葛飾には、空襲という被害が少なった反面、敵機を迎え撃つ高射砲陣地がありました。
wikipedia |
日本本土への空襲に備えて、地上から米軍機を撃ち落とすものですね。
おそらく終戦間近の日本にああった高射砲はこの三式12cm高射砲だったと思われます。
これは地面に固定して設置されるものなのですが、この設置されたのが葛飾区白鳥でありました。
その痕跡が1947年の地図にも残っています。
矢印のあたりに、丸い台座が6台づつ、3組置いてあります。
今の地図に照らし合わせるとここになります。
水戸街道白鳥交差点の西側ですね。
この辺りにお住まいの方、心当たりありませんか?
この高射砲の湾曲具合から見て、高射砲は南西を向いていますね。
まさに、東京大空襲で一晩で10万人以上の命が失われた荒川と隅田川に挟まれたあのエリアです。
日本軍は、東京の下町が空襲の的になることがわかっていたのでしょうか。
この高射砲18機でどこまで対応できると考えていたのでしょうか。
考えるほどに第2次大戦のナンセンスが見えてきますねぇ。
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