チャリで散歩していたら、こんな看板を見つけました。
川端水神社?
この先、中川の土手だけど、神社なんてあったかな?
矢印の道なりに行くと、曲がりくねった道なりに後援が整備されていました。
道の先には、こんなスイッチバックな坂道が!
チャリでヨイショヨイショと登った先には
そこには川端南児童公園がありましたよ。
こーんな感じの公園。
その奥に見えるのは
じゃーん
川端水神社がありました。
当神社の創立は、「新編武蔵風土記稿」川端村の条に諏訪社 村の鎮守なり天正元年勧請」とあり、すなわち、旧本田川川端町一帯を氏子とし天正元年(1573)に村の鎮守として創立されたものです。
社伝によれば、その昔、村内で社地が幾度か移動するごとに悪疫が流行したので、氏子から離れた飛地(旧本田川端町793番地)現在の東四つ木4丁目36-18のと向かい合う形で遷され産土神として篤く崇敬されておりました。
古来から幾多の変遷を経て、大正9年12月木造による社殿が再建されましたが、老朽化がいちじるしく荒廃したので、有志が現境内地を寄進し氏子一堂の発意と協賛により昭和48年5月この地に社殿を造営、御遷座いたしましたものであります。
なお、末社として境内に八幡(祭祀出羽三山、三峯)、社地外に稲荷、水神の三社が祭祀されています。(境内掲示より)
水神社、というからには、やはり水難厄除が祈願されていたのでしょう。
有名な水神社には築地の水神社がありますね。
たしかここには昔海軍の施設が集まっていたとか。
もう一つ、目白の椿山荘のそばにも水神社があります。
これは江戸開城の際に、神田川を整備した際に作られたものだそうです。
そして、中川沿いにある川端水神社。
まさに静かな水の流れは、川とともに水害とともに暮らしてきてた葛飾の人たちの彼岸でもあったのでしょう。
中川綾瀬川ハザードマップ |
カスリーン台風を持ち出すまでもなく、葛飾の歴史に水害はいつもついてきます。
そろそろ台風シーズン。
水害を含めて危機対応のことは考えておきたいですね。
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