2018年7月7日土曜日

【2018上半期TOP PV】[大人の奥戸] 森永乳業東京工場が2021年に生産中止となるようです。残念。



森永乳業は、2月1日に、東京工場(葛飾区)の生産中止を発表しました。



森永乳業株式会社(代表取締役社長:宮原道夫)は、近畿工場および東京工場での生産を中止いたしますので、お知らせいたします。

1.生産中止の理由
   当社は2016年10月28日に、「利根工場の新棟建設および神戸工場の製造ライン増設」に関する設備投資を発表いたしました。このたび中期経営計画に掲げております基本方針「資産効率の改善および合理化の推進」に則り、全社的な生産拠点再編の一環として近畿工場および東京工場の生産を中止することといたします。

(2)東京工場
  ①所在地  東京都葛飾区奥戸1-29-1
  ②開設   1957年(昭和32年)4月
  ③従業員数 162名(契約社員含む)※2018年1月末現在
  ④工場規模 敷地面積 61,060㎡ 建築面積 24,123㎡
  ⑤生産量  64,300kl(2016年度)
  ⑥生産品目 牛乳、乳酸菌飲料、デザート、クリーム、ロングライフ豆腐など

ニュースリリース


この工場のあった場所は、戦前より「日本建鐵」という会社の工場でした。

日本建鐵は、三菱系の会社で、戦前は軍用機や海軍の部品を作る会社でした。

1951年 3月 日本建鉄(株)(東京都葛飾区奥戸本町1,000番地)の土地建物を買収(森永乳業社史より)

森永乳業は1951年3月、この土地を買収し、東京工場としました。

葛飾に工場を置くことは、水運にも恵まれるメリットもあり、戦前からさまざまな工場が進出してきています。
葛飾区が、現在のように工業地帯として発達を遂げた原因は、その立地条件にありました。
当時、物資の運送手段は、陸運より水運が特に重要視され、江戸川、中川、荒川、綾瀬川に囲まれた葛飾区は最もその条件に適したのです。
三菱製紙、江戸川化学(現在の三菱ガス化学東京工場)、日本紙業(現在の日本板紙)、日本建鉄(現在の森永乳業東京工場の場所)、浜野繊維、宮本染色、新理研工業、那須アルミ、東洋インキ、ミヨシ油脂等の各工場は、いずれも中川、綾瀬川の舟運を利用する関係から設立されたものであり、また、舟運のみならず、これらの川の水を利用する工業として製紙業、染色工業、布さらし工業などが発達しました。(葛飾区HP)

生産中止は2021年。

地元に根づいた工場がなくなるのはさびしいですね。

2018年7月6日金曜日

【2018上半期TOP PV集】[大人の東関部屋] 柴又に移転する東関部屋初場所打ち上げに行ってきたよ!後援会は月1,000円!みんなで応援しよう!


平成30年大相撲初場所は、平幕栃ノ心の優勝で幕を閉じました。

この初場所のあと、柴又に移転する東関部屋の初場所千秋楽打ち上げに参加して来ましたのでレポート!



東関部屋といえば、トップ画像の振分親方(元高見盛)が有名ですね。


振分親方は、大山親方(元 大飛)とともに、東関部屋の親方ですが、師匠はこの方、元潮丸の東関大五郎さん。

東関師匠と

千秋楽の打ち上げは、第一ホテル両国で行われました。


国技館から近いということもあって、いろいろな部屋が打ち上げパーティーに使っていました。

ホテルあちこちにお相撲さんがいました。


師匠や親方、各地後援会の会長さんたちによる鏡割り。


お料理も盛り沢山。


ホテルの料理だけじゃなくて、ちゃんと東関部屋のちゃんこも用意されていました。


醤油ベースのおつゆに、具だくさん!

これが一番うまかったです。


この日の司会は、月の家圓鏡さん。


途中、大山親方による、相撲のおはなし。

「まわし」「さがり」「化粧廻し」の違いのおはなしでした。

もともとは「まわし」の前の部分がだら~んとしたものでしたが、


そこに絵や文字を書くようになり、タニマチの方たちが形も大きくしていくに従って、化粧廻しに進化したとのことでした。


しかしこれでは相撲が取れないため、簡略化されて「さがり」となったようです。

大山親方の相撲講座のあとは、お待ちかねの抽選会!


なんと!


渋谷の西村フルーツパーラーさんご提供のいちご「あまおう」2パックが当たりました!!!


途中、華王錦さんと写真を撮ってもらいました。

とても気さくなお相撲さんでしたよ。


1月末には、柴又2-10-13に移転する東関部屋。

葛飾地元の相撲部屋として、応援したいですね!

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