2018年3月8日木曜日

[大人の西新小岩] 日本で唯一?他の店にはない◯◯をルノアール新小岩店で食べてみた


今回は、新小岩駅北口です。



住所的には西新小岩ですね。

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北口改札目の前にあるルノアールでしか食べれないのでは?と言われているアレを食べてきました。


ルノアールは階段またはエレベーターで2階に上がります。かなり広いです。


入り口には、今日のランチメニューがありました。

「しまほっけ焼き」なんてあるところを見ると、まさに昭和の喫茶店健在というかんじですね。

なんとなくホッとします。

中に入ると、喫煙禁煙を聞かれ、禁煙席に案内されました。とはいうものの、一段高いところが禁煙、手前が喫煙というラフな分煙です。


いちおうメニューを開けますが、今日は食べるものは決まっています。

当店特製カツDON

です。

どうやら、ルノアールではここにしかないメニューとのこと。


まずはセットのサラダ。

サウザンアイランドドレッシングです。

発音、あってる?


ほどなくして、やってきましたカツDON

大きめの丼です。

直径25センチぐらい。

期待が持てますね。

じゃーん

ざ、カツ丼!

と言ったかんじですね。


溶き卵の広がり具合も絶妙。


これ、じつはスプーンがついてきたんですよ。

ん?箸じゃないの?

箸はさっきのサラダでついてきたので、そちらでいただきました。


カツもまずまずの厚さ。

口に入れると、そのやわらからさ、煮汁のほどよい甘さが口に広がります。

うまいです。

飽きない味、ですね。

さすが年齢層の高いルノアール。最後にお茶が出てきました。

ところで、なんで新小岩店だけカツ丼があるんでしょうね。

帰りのレジで聞いてみたら、「直営店じゃなくてフランチャイズなので自由にできる」とのことでした。

なぁるほど!


新小岩駅は現在、南北自由通路の工事中です。その進捗を確かめるには、このルノアールがもってこいですよ。

ルノアール 新小岩店喫茶店 / 新小岩駅
昼総合点★★★★ 4.6

2018年2月28日水曜日

[大人の葛飾の橋(4 奥戸新橋)] 新金線のルートには、変更された歴史が!奥戸新橋は旧新金線の線路上にあった


今回は奥戸新橋です。



新中川の上流に、新宿と書いて「にいじゅく」がありますが、この新橋はそのまま「しんばし」です。


奥戸は、面積が広いわりには、橋が多くありません。

本奥戸橋
奥戸橋
奥戸新橋
そして八劔橋

東新小岩のオトカツとしては、本奥戸橋と平和橋の間に橋がひとつ欲しいところですね。

さて、奥戸新橋です。

奥戸新橋は、奥戸街道に掛かる橋です。

この端を東に抜けると、江戸川区に入り、蔵前橋通りと合流します。

この橋も、他の新中川に掛かる橋と同様、昭和36年(1961年)に完成しています。

スパイラルマリーナ

この橋の下流側には、ヨットを停泊できる「スパイラルマリーナ」があります。

新金線旅客化の際には、駅ができる計画があります。

ここからなら、東京湾もすぐそこですね。


振り返って、橋の上流川を見てみましょう。


この地図の青い線の道路ですね。

やけにきれいな曲線を描いてますね〜。

こういう道路は、アヤシイ(笑

調べてみましょう。


左は昭和5年の地図にある新金線の線路です。

まだ新中川がありませんね。

右は現在の新金線。

大きく膨らんでいますね。

新中川を開墾する際、鉄橋部分の距離が長かったことから、新金線のルートから変更したようですね。


そして、もともとあった線路の土地は、道路として現在残っています。

ということは!

奥戸新橋は、新金線旧ルート上にあるというわけですね。

2018年2月27日火曜日

[大人の葛飾の橋(3 中川大橋)] 中川大橋も昭和初期までは、渡し船だったみたいだよ。


葛飾区にかかる橋を一つづつ探訪する、大人の葛飾の橋

今回は、中川大橋です。



国道6号(水戸街道)が中川を渡る橋です。


水戸街道とは、水戸徳川家はもとより、江戸時代に混雑する奥州街道を避けて江戸に入る東北からのルートとして栄えていました。

明治期には陸前浜街道と名前を変えます。


大正時代になって、自動車需要が増え、道路が直線化されていきます。

それにともない、旧街道の並木が切られるなど面影が失われていったようです。


ちょうど夕方に通ったのですが、橋の上は車でぎっしりでした。

葛飾区新宿は、江戸時代は水戸街道、佐倉道へと抜ける交通の要所(記事参照)でしたが、残念ながら今ではその面影もありません。



中川大橋は昭和8年(1933年)に掛けられた橋です。

この地図の赤い部分です。
国道6号には平地部を流れる河川が多いが、架橋されたのは大正時代から昭和初期までかかっており、川幅の短い河川を除けば、旧道路法が1919年(大正8年)に成立する以前は大部分が渡し船によって川を渡った。

架橋年は茨城県だけでも、鮎川橋(日立市・鮎川)は1927年(昭和2年)、榊橋(久慈川)は1930年(昭和5年)、銭亀橋(土浦市・桜川)は1934年(昭和9年)、大利根橋(利根川)が1930年(昭和5年)に架設されており、昭和初期が多い(wikipedia)
江戸名所百景より


旧道路法が誕生する大正8年(1919年)までは、国道に橋を架けるのが難しかったらしく、昭和8年までは中川も渡し船だったようですね。

江戸時代には、歌川広重も中川の景色を描いています。

新宿の宿場町をかすめるように国道6号線が通っていますね。


都心から金町に向かって橋を渡ったすぐのところに、日枝神社があります。


この地図の黄色いところです。

新宿の宿場町の鎮守様であり、山王大権現と呼ばれた神社です。

さすがに国道6号のルートも日枝神社を避けて通るしかなかったようですね。

橋から亀有方面を望む

現在の橋は、1988年に掛け替えられた二代目の橋です。