2016年11月23日水曜日

[大人の一丁目一番地(28)] 亀有1丁目1番地に行ってきたよ。大工業地帯から大変貌の街



今回の一丁目一番地は、亀有です。


亀有は、金町と並んで葛飾北部の中心地的存在ですね。


亀有1-1は、意外にも駅から遠いところにありました。


なんでここなんでしょうねぇ。


閑話休題


亀有駅の乗降客数も長い間(30年間以上)一日の乗降客数3万人台後半で推移していましたが、3年前はじめて4万人台となり、昨年は41,000人を突破しています。


まだまだ大きくなる街のようです。


ちょっと歴史を遡れは、亀有は1970年台までは葛飾最大の工業地帯でありました。


中川からの用水が使え、また水運を活用でき、鉄道でも都心までつながっている地の利に優れた土地だったからでしょう。


亀有周辺には、「三共製薬亀有工場」「日本紙業」「日立製作所」(大谷田)「三菱製紙」(金町)などの大工場がありました。

1960年代の亀有周辺
この地図は、1960年代の亀有駅周辺の大工場を表しています。


左上の大きな円から時計回りに


日立製作所(大谷田)


三菱製紙(金町)


日本紙業


三共製薬


です。


これだけの工場があれば、亀有駅周辺が栄えないわけありませんね。


おそらく数万人の工場で働く人たちが亀有駅を利用していたに違いありません。


しかし、これらの工場も70年代後半以降、時代の流れとともに撤退していきます。


日立製作所→中川下水処理場→中川公園


三菱製紙→東京理科大学その他


日本紙業→アリオ亀有


三共製薬→東部地域病院


日本紙業については、以前ブログで書いたことがありましたので、ご参考になさってください。ブログはこちら

はじめにも触れましたが、亀有駅の不思議なところは、工場がなくなって労働者が減っていったにも関わらず、駅の利用者が減少していない点です。


70年代までの工業地帯から21世紀には、住宅地、ショッピングゾーンへとうまく移行できた街なのかもしれません。


そう言えば、亀有駅から日立製作所まで、貨物支線が出ていた時代があります。


この地図の赤い線が、貨物引き込み線です。


金町から三菱製紙にも支線が延びていたように、大きな工場には製品や原材料を貨物で運ぶ需要が大きかったのですね。


地図で見ると、戦前からこの引込線はあったようですので、はじめは軍事用に引かれたのかもしれませんね。


この引込線の跡地を一度たどってみたいと思っていますが、もうあまり残っていないようでちょっと残念です。(この話題はこちらのブログが詳しいです)


さて、この一丁目一番地シリーズもあと2箇所を残すのみとなりました。


今年中に30箇所を踏破できたらいいですね。

2016年11月22日火曜日

[大人の立石] コスパ最高!味も特上!立石で焼肉ランチならココ!




今回は立石です。


午前中からスポーツクラブ行っちゃったこともあって、早い時間から「今日は焼肉ランチだな」と思っていました。




立石に来たなら焼肉ランチはココ「牛坊」ですね。


京成立石駅から市役所方面に歩くこと3分ぐらい。


お店に入ったのはまだ12時前でしたのですぐに座れましたが、お店を出た12時過ぎには行列ができるほどの人気店です。




お店の前にランチメニューが出ていました。


マキという字が目立ちますね。


マキとは
牛のリブロース芯に巻き付くように位置する部位。 リブロース芯と比べると大味でサシが多い。肉の旨味があり、一噛みで肉汁が溢れ出す。焼肉店ではなかなかお目に出来ない希少部位。

だそうです。


ランチメニューの2,3,4にマキが使われていますね。推し部位のようです。


午前中からカルビ!カルビ!と思っていたので、今日のランチは4番「上カルビ+上マキの定食」に決まり!


店員さんは番号でオーダーして欲しいようでしたので、番号を覚えておいたほうがいいですよ。




注文すると程なく運ばれてきました。


これで1000円です。いいボリュームですね。



この肉厚、このボリューム。


一枚一枚、大切に焼かせていただきます(笑





カルビもマキも、ともにジューシーで味がしっかりしているので、タレをつけずにいただきます。


サラダ、ナムルなど野菜系もついているのがうれしいですね。


牛坊はいつも外れることなく満足感いっぱいでお店を出ることができます。


きっとまた来ちゃいますね。

関連ランキング:焼肉 | 京成立石駅青砥駅

2016年11月17日木曜日

[大人の一丁目一番地 (27)] 東水元一丁目一番地に行ってきたよ。戦後しばらくまでは水元地域最大の住宅密集地




今回は東水元一丁目に行ってきました。


このエリアも住居表示がほとんどなく、トップ画像も交差点の写真となってしまいました。




地図にあるように、東水元は水元公園の西側に南北にながーい街です。


トップ画像の東水元1-1は、一番南の金町駅よりの南水元交番の交差点にあります。


東水元は、戦前ぐらいまでは葛飾区の常磐線から北エリアでは、もっとも集落の集まったところ(水元村)だったようです。

小合溜の豊富な水量と、水元村(水元小合溜から飯塚までの広いエリア)のほとんどを占めた広大な水田に挟まれた東水元は、今も残る延命寺を中心とした村でした。


昔からの集落だったこともあり、寺院の多いエリアです。熊野神社、 日枝神社、 薬師堂、 延命寺、長伝寺、 蓮蔵院、 南蔵院、遍照院などがあります。


南蔵院は、縛られ地蔵で有名ですね。


縛られ地蔵の記事は、こちらからどうぞ。


さて、この一丁目一番地の記事も27個まできました。


葛飾区の一丁目一番地はちょうど30個です。あと3つ、年内に書き終わりたいと思っています。