2016年10月19日水曜日
[大人の奥戸] 【小麦工房ぴーぷる】のテラス席で柄にもなくデニッシュを頬張る。
葛飾の土地は、山もなく谷もなく、ちゃりで散歩をするには絶好のエリアです。
ちゃり散歩は、小腹が空きます。
そんな時はパン屋さんで、ちょっとしたパンを買って食べると、なんだか幸せな気分になります。
森永乳業奥戸工場から奥戸街道方面に向かうと右側に「小麦工房ぴーぷる」があります。
トップ画像のように、ビルの1階の店舗なのですがとても間口が広く、開放感のあるパン屋さんです。
お店の外にはベンチが置いてあって、天気のいい日は(景色がいいわけではないのですが)、とっても気持ちのいいスペースです。
今日は、クリームチーズをデニッシュで包んだこのパンを買ってみました。
サクサクのデニッシュを噛み切ると、やわらかいクリームチーズの味。
ちょっと塩気があるチーズなので、サクサクのデニッシュと一線を画す存在感。
チーズが口の中に広がるにつれ、デニッシュの食感が変わっていくのがまた新鮮。
手のひらサイズのちょっとどっしりしたイメージのデニッシュだったけど、パクパク食べちゃいました。
たくさんの人気パンがある「小麦工房ぴーぷる」。
またたちよりまーす。
2016年10月16日日曜日
[大人の堀切] 1931年創業の老舗中華料理「三河屋」で特別定食を食べる。
一度訪れてみたかった、堀切の老舗「中華料理 三河屋」に行ってきました。
お店は、堀切菖蒲園駅徒歩3分。
しっかりした作りの店構えです。
開店時間の11時30分にいったためか、暖簾がないお店だったこともあり、「ん?開いてる?」とちょっと戸惑いましたが、扉を開けて見ると「いらっしゃいませ!」という威勢のいい声に出迎えられました。
ここで食べるなら「特別定食」か「シュウマイ」か。
シュウマイは小さくなく大きくなく程よいサイズが4つ。
特別定食は、なんで「特別」ってついているのかなぁ、3種類あります。今日はこのなかから「回鍋肉定食」を頼みました。
全部揃うとこんなかんじ。
小皿がたくさんですね〜〜。
ご飯とお味噌汁と回鍋肉を除くと5皿もあります。
堀切の中華料理屋さんの常識なのでしょうか?
そういえば今年閉店してしまった光陽楼の小皿もすごかったですよね。
光陽楼 |
奥にあるトレイにのっているのが全部小皿でしたね。
いずれにしても、お皿がたくさんあるのはうれいしいものですね。
三河屋 (中華料理 / 堀切菖蒲園駅、堀切駅)
昼総合点★★★★☆ 4.0
2016年10月13日木曜日
[大人の一丁目一番地(24)] 東堀切1-1に行って来たよ。明治時代の南綾瀬村は陸前浜街道とともにあった。
今回は、東堀切1丁目1番地に行ってきました。
現在はとても静かな住宅街ですね。
この辺りは、明治時代まで「南綾瀬村」でした。
南綾瀬村は広大でした。
明治時代は(おそらく)住民も大きく増えていないのに、村の合併を行っており、南綾瀬村も「堀切」「上千葉」「下千葉」「砂原」「小谷野」「柳原」などを含むエリアでした。
常磐線と京成本線の間のうち、曳舟川から西側、千住の手前までが南綾瀬村、といったかんじでしょうか。
南綾瀬村の北には、綾瀬村がありました。
綾瀬村は新田が多い |
綾瀬村は、新しく開拓された新田がたくさん集まってできた村でした。
それに対し、堀切などを含む南綾瀬村は、陸前浜街道(現在の水戸街道)や古東海道などで江戸中期から人口がある程度保たれており、にぎわっていた地域でした。
結果、昭和3年の町村制の施行によって、南綾瀬村は南綾瀬町となりましたが、綾瀬村は町とはなりませんでした。人口の数の違いだろうと思います。
常磐線でも、金町駅や亀有駅が1897年開業に対し、綾瀬駅は1943年開業と50年近く違っています。
南綾瀬村をにぎわせた一つの要因は陸前浜街道でした。
陸前浜街道は、千住の宿から新宿、金町と通り、江戸川を渡った松戸から一気に北上し仙台の手前まで通じていた、江戸時代の主要な街道の一つです。
途中、水戸を通り水戸徳川家に通じることから、一般の大名は参勤交代に使いたがらなかったという街道でもあります。
北関東や東北の太平洋側の農産物の多くは海路を通って江戸に運ばれていたようですが、この方面からの人の流れは陸前浜街道がメインであったことから、江戸直前の南綾瀬村周辺は、きっと人が多かったに違いありません。
農業の傍ら、お茶屋を営む家もあったでしょうし、人馬の需要もあったに違いありません。
一度、陸前浜街道をたどって歩いてみたいものですね。
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