2016年10月27日木曜日

[大人の高砂] ラーメン実力店「麺心國もと」で塩チャーシューメンを食べる。チャーシューいっぱいで麺が見えない!


このブログでは、あまり訪れることのなかった高砂に来てみました。



麺屋武蔵で修業なさったご主人のお店「麺心國もと」です。


駅前にありながら、場所が少しわかりづらいのですが、北側の階段を降りた目の前のビルの裏にあります。


入り口が正面にありませんので、地図で確認してくださいね。



外には白い提灯が出ています。


食券を買って注文するシステム。


こってりなつけ麺が看板メニューとは聞いていたのですが、今日の気分は塩ラーメン。


塩チャーシューメンを注文しました。


つけ麺はやや時間がかかるようですが、ラーメン類は10分と待たずに運ばれてきました。



器から見えるのは、赤みのあるチャーシュー、ネギ、のり。


チャーシューが大きくて麺が見えなーい!




持ち上げてみると、全長20センチはある!


肉厚ではないけれど、この大きさのチャーシューが6枚も。


このチャーシュー、やや赤みがかっています。


これは低温調理チャーシューです。


塩ラーメンのあっさりさを壊さないための低温調理なのだと思います。


ちなみに、醤油ラーメンの場合低温調理ではなく、しっかりと煮こまれているようです。


細かい配慮ですね。



麺は、太すぎず細くなく。


中太麺があっさりスープにうまく絡みます。


スープは、やや塩味が濃い目?


塩ラーメン頼んでおいてヘンですが、もう少し抑えめのほうがあっさり食べれたかも。


次回は、こってりつけ麺食べてみよう。

麺心 國もとラーメン / 京成高砂駅柴又駅
昼総合点★★★☆☆ 3.0

2016年10月26日水曜日

[大人の一丁目一番地(25)] 水元1-1に行ってきたよ。葛飾区指定有形文化財「水元尋常小学校旧校舎」をみる。





葛飾区水元1-1に行ってきました。




水元地域のど真ん中。葛飾区水元は、三角の土地です。


水元一丁目一番地は、この三角形の左下の角にあります。


水元は、他の葛飾区の大部分と同じく、江戸時代以降は広い田んぼの広がる農村地帯でした。

とくに水元は、いまもそうですが、鉄道機関が遠く、静かな田園風景が広がっていたものと思います。

「位置ニ於テ都心ヲ遠サカレル水元村ハ交通機関不備ニシテ村ノ発展ヲ助長スルモノナク、隣接諸町村ノ急速ナル発展ニ取リ残サレタル観アリ。

本村ノ交通機関トシテハ隣接セル金町ニ通ズル京成電車ヲ利用スルニ止マリ、村内ヲ通過スル交通機関全クナシ。

而テ村ノ中央部一帯ハ田畑ニシテ、家屋ハ其ノ周囲ヲ馬蹄形ニ包囲シ、未ダ全ク農村ノ域ヲ脱セザル情勢ニアリ。

本村ノ如ク全ク都心ヲ隔リタル地域ハ交通機関ノ完備スルニ非ザレバ、今後ノ発展遅々タルヲ免レザルベシ。

村ノ事業施設も亦概シテ見ルベキモノナシ。」(wikipedia)



さて、この長閑な農村地帯に、明治後半一つの小学校ができました。

「水元尋常小学校」です。

上の1900年頃の地図の赤い丸のところに学校の記号が見えますね。
右の「小合溜井」は、現在の水元公園。

その左手の網掛けの部分が住宅密集地ですので、そこからちょっと離れたところに、それこそ田んぼの真中に水元尋常小学校はありました。


水元尋常小学校は現在の水元小学校です。


水元小学校の片隅には、大正14年建造の木造校舎が現存しています。


都内では唯一残っているとのこと。


昭和57年まで使用されており、その後内覧できたのですが、現在は外観を見ることしかできません。


やはり鉄筋コンクリートの校舎と違い、温かみがあり、居心地も良さそうですよね。


私も小学校時代、(葛飾ではないのですが)木造校舎を使っていた時期があります。


しかしこんな大正時代の西洋建築のおしゃれなものではなく、外観も杢目そのままでした。


水元尋常小学校はハイカラでしたね。


明治維新後、1889年小学校令が発布されるまで、この水元には私塾市原堂という学校がありました。



市原大次郎という方の私塾でした。


東京の端っこ(失礼)ながら、そして田畑の広がる水元で、教育を熱心に行う人がいた。


こういう熱意が、日本の礎を築いてくれていたのだと思います。


市原大次郎については、別途調べてみようと思います。

2016年10月24日月曜日

[大人のかつしか] 葛飾が産んだ大企業「タカラ」の初代社長の著書『凡才、1000億をめざす』を読んだ。



以前「葛飾の大企業」の記事を書いたことがありましたが、そのなかに「タカラトミー」がありました。


この会社は「タカラ」と「トミー」という玩具会社どうしの合併企業ですが、どちらも葛飾で創業した会社でした。


そのひとつ「タカラ」の初代社長佐藤安太さんの著書『凡才、1000億をめざす』を読みました。


この本は1986年の著書です。


この時期は「タカラ」最盛期にあたります。


脱サラをして苦労したこと、経営理念にそった経営で会社を大きくしてきたこと、社長のありかたなど、成功した経営者の半生記が書かれています。


会社の沿革から見てみましょう。

1955年 - 東京都葛飾区本田宝木塚町(現・宝町)にて、佐藤安太が有限会社佐藤ビニール工業所を設立。社名は創業地名(宝木塚町)に由来する。

1960年 - ダッコちゃん人形発売。大ブームになる。

1966年 - 株式会社タカラに改称

1967年 - リカちゃん人形発売。

1980年 - チョロQ発売。

1984年 - 店頭市場(現在のジャスダック)に株式公開

1986年 - 佐藤安太 黄綬褒章受章

1986年 - 東京証券取引所第二部に上場

1991年 - 東京証券取引所第一部に上場 



ヒットした商品はほかにもあるのですが、代表的な「ダッコちゃん人形」「リカちゃん人形」「チョロQ」を挙げてみました。