2016年3月20日日曜日

[大人の新小岩] 春の香りを食べに行こう。翠祥で「釜揚げしらす丼」

釜揚げしらす丼

3月になっても寒かったり暖かくなったり。


桜前線も上がってきたし、今度こそ春間近、ですよね。


というわけで、季節の旬なものを食べられる新小岩翠翔に行ってきました。


今日注文したのは、「釜揚げしらす丼」


しらすはまさに春の海の味。


どんぶりに入ったほかほかのご飯の上にたっぷり乗ったしらす。


そして卵。


目の前にしらす丼が来て、「さぁてどうやって食べようか?」と悩む。


お上品に、ご飯、しらすと交互に食べるか?


そうしたら卵はどう食べるか?


悩むことはない、卵を壊してしらすと混ぜて、醤油を垂らして、わさびを添えて、ご飯とともに口に運ぶ。


思いがけずに、しらすの香りが口の中に広がる。


またひと口、口に運ぶ。


うまいうまい。


パクパク食べて、一気になくなってしまった。
仙台牛陶板焼き、焼き筍、赤むつ煮付


今日は釜揚げしらす丼までに、あれこれ食べてしまったので、残念ながらおなかいっぱい。


ほかに食べた料理は、また別の機会に紹介しますね。




新日本料理 翠祥
ジャンル:小料理
アクセス:JR総武本線(東京-銚子)新小岩駅北口 徒歩9分
住所:〒124-0023 東京都葛飾区東新小岩5-14-1 サカエコーポ106(地図
電話:050-5589-8793 (予約専用番号) 03-6662-8086 (お問い合わせ専用番号)
営業時間:17:00~23:00(L.O.22:00) 日曜営業
定休日: 水曜日
情報掲載日:2016年3月20日

新日本料理 翠祥割烹・小料理 / 新小岩駅
夜総合点★★★★★ 5.0

2016年3月19日土曜日

[大人の亀有] 葛飾から一番近い海の家。宴YA(うたげや)さんで、夏気分!

今回は、JR亀有駅徒歩5分の宴YAさんに行ってきました。


海の家がコンセプトの宴YAさん、お店の外観からしてもう海の家でしたよ。


以前伺った時は気が付かなかったのだけど、お酒のメニューがすごいたくさん!


ウォッカやジン、マリブなどのリキュールも揃っています。


「お酒の種類が多いお店は楽しい」


このmy法則のとおり、まさに宴YAさんは楽しいお店でしたよ。




お酒だけじゃなくて、食べ物も充実!


食べたいものがありすぎて悩んじゃうので、人気のジャークチキンを注文。


ジューシーなチキンにスパイシーな味付けがされていて、お酒がすすむ、すすむ。


ジャークチキンってもともとジャマイカの料理なんだねぇ。


海の家気分で、ゆったりまったりしちゃいそうな「宴YA」さんでした。




宴YAジャンル:居酒屋

アクセス:JR常磐線亀有駅南口 徒歩2分

住所:〒125-0061 東京都葛飾区亀有3-31-10(地 図

電話:050-5872-4762 (予約専用番号) 03-6662-9225 (お問い合わせ専用番号)

住所:東京都葛飾区亀有3-31-10

営業:平日 18:00〜翌1:00(L.O24:30) 土、日 18:00〜翌3:00(L.O翌2:00) 定休日無し(不定休)

情報掲載日:2016年3月19日


2016年3月18日金曜日

[大人の歴史] 葛飾って地名はすご~~い広い!どこまで葛飾?


  • 下総国葛飾郡

葛飾という地名は、江戸時代以前は渡良瀬川、江戸川沿いの土地のことを指していたようです。
江戸川河流域


現在の地名で言うと、利根川が江戸川と分流する埼玉県猿島郡、千葉県野田市、千葉県吉川市、埼玉県流山市、そして東京都葛飾区、千葉県市川市、最後に千葉県浦安市を河口としてます。


もうすでにこの時点で、葛飾の広さがわかりますね。


「葛飾」という地名は奈良時代からあるようで、正倉院の文書や万葉集にも出てくる地名だそうです。(wikipediaより)


江戸川ができる以前は、この周辺は下総国に属しており、西の国境は隅田川でありました。現在の両国という地名は、東京方面を指す「武蔵国」と「下総国」の国境という意味なんですね。


  • 江戸川の開通で葛飾は真っ二つ!

江戸時代になって、東京湾に注いでいた利根川を銚子の方に流れを変える「利根川東遷事業」の影響を受けて、江戸川が作られます。


上流の地域も大変だったと思いますが、このあたりから葛飾の地名が「ちらばって」いきます。


江戸時代の初期に江戸川ができると、幕府は江戸川以西を武蔵国としました。
これにより葛飾郡は、「武蔵国葛飾郡」と「下総国葛飾郡」に分断されることとなりました。


このあたりから葛飾区は東京都になる流れができているんですね。また江戸川の西側を「葛西」と呼び始めたようです。

  • 明治時代にはさらに分割して5つの葛飾

なにしろ南北に広い葛飾郡ですから、明治時代の廃藩置県でもさらに分断されます。


武蔵国は東京都と埼玉県になりましたので、武蔵国葛飾郡は「南葛飾郡」と「北葛飾郡」になりました。


「地図のひろば」より
下総国は千葉県と茨城県、一部埼玉県になりましたので、下総国葛飾郡は「東葛飾郡」「西葛飾郡」「中葛飾郡」となりました。


全部で5つです。


東西南北、中。


浦和の駅もそんな感じですね(笑


  • そして東京市と葛飾区の誕生


さて、葛飾区はこのうち、東京府南葛飾郡に属していました。


東京府は東京市となり、昭和7年に南葛飾郡は向島区・城東区・葛飾区・江戸川区に分割され、晴れて葛飾区の誕生となります。



参考