2015年12月28日月曜日

[大人の亀有] 創業90年。亀有でキラリと光る鮨屋「なかや鮨」で至福のランチを喰らう


亀有駅から歩いて5分。


創業90年。まさに宝石箱のようなキラキラとみずみずしいお寿司が食べられることで評判の「なかや寿司」さんに行ってきました。



江北橋通り沿いにある亀有の寿司の名店「なかや鮨」の外観は決して目立つものではなく、どちらかというと通りすぎてしまうほどの控えめなものだ。


その控えめな外観は、けっして地味というものではなく、どちらかというと「自信の現れ」と取れる。「なかや鮨」の評判を聞きこの店を訪れる人々の胸を高鳴らせる、そんな外観でもある。


日曜日ということもあり、カウンターはいっぱいだった。


最近予約が取りにくくなったとの声が高いだけのことはある。


予約も取らずにいったものだから、お店の人も無理をして奥の宴会席(テーブル)の部屋へ案内してくれた。




いつもなら1,500円で10貫のランチメニューを頼むのだが、日曜日の今日は通常のセットメニューをお願いした。


カウンターが混んでいたこともあり、ビールのつまみに小振りの牡蠣を頼む。値段がちょっと気になったけど「厚岸産」と書かれている。思わず頼んでしまった。


セットのお寿司は12貫からなるものだったけど、テーブル席の僕たちには6つづつ2階に分けて持ってきてくれた。


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ひとつ目のお皿は、握られたお寿司が綺麗にならんでいた。


ひとつづつ、ゆっくりと味わうように食べる。


どのねたも新鮮なのは当然、歯ごたえがあり身の締り方のよさがわかる。


固めのシャリが身の締まったねたに抜群にあう。


とくに、右から2番めの関さばは、白い身に差し込まれた赤がとてもきれい。見た目から魅了する関さばは、この6品のなかで一番美味しいものだった。












二皿目は軍艦巻など握り以外。



手前の穴子はまさにふわふわ。


右上にひとつ、見慣れない鮨がある。


細いわけぎのようなあおものは、辛めの味でそれを上に乗った鰹節がうまく収めている。


このあおものはなんだ?と思って訪ねてみると、「芽ネギ」だという。芽ネギとは葉ネギの若いうちに摘んだもの。


もちろん海のもの鮨ではないが、なかなか癖になりそうな味。



もう何度目かの訪問だけど、味はかならず満足するものだ。




葛飾には大きく知られていないものの各ジャンルで名店と呼んでいいお店があちこちにある。


なかや鮨もそんなお店の一つに数えていいだろう。


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2015年12月26日土曜日

[大人の検定] 葛飾検定第12問:葛飾の「煉瓦の街」ってどこ?銀座の煉瓦ってここで作られていたのか!





過去の「葛飾検定」はこちら


第12問:葛飾には「煉瓦の街」と呼ばれていた地域が二箇所ある。金町ともう一つはどこか?

葛飾は明治以降も家内制手工業中心の工業体制でしたが、初期から工場化して近代的工業の体制を整えたのは「煉瓦」でした。


葛飾で煉瓦の街といえば、「金町」と「小菅」。


葛飾区のホームページにはこんなふうに書いてあります。

明治期における近代的規模による工業としては、明治5年創立の小菅煉瓦製作所、明治20年前後に創立された金町煉瓦製造所、明治22年創立の四つ木の日本製紐株式会社が存在するにすぎませんでした。

小菅煉瓦製造所

 明治5年、小菅村(現在の東京拘置所付近)に、日本で最初の洋式による煉瓦製造所が設立されました。これは、小菅村にあった小菅県庁跡(関東郡代伊奈氏の屋敷跡)の敷地4,000坪を 利用して建設されたもので、当時既に地元の農民が官から払い下げをうけて耕作していた場所です。
 明治初期の市街地改造・洋風化により、銀座煉瓦街の建築や道路改修にともなう歩道に敷く煉瓦の需要は膨大なものでした。しかし、煉瓦の製造は、当時の日本としてはまだ不馴れなも のであり、建築用としては十分とはいえない製品が数多く生産されていました。こうした中、 英国人技師ウオートルスの指導により、ようやく良質の煉瓦を大量に生産できるようになり、
小菅煉瓦製造所は、銀座煉瓦街で使用される煉瓦の供給元をなすに至りました。しかし、煉瓦建築が少しずつ竣工し、煉瓦街地区が銀座のみに制限されてからは、製品の売りさばきができず経営維持が困難となり、明治12年には、これを政府が買い上げて官営としました。これが、小菅囚治監の煉瓦製造所の前身です。

金町煉瓦製造所

 煉瓦の製造は、明治20年前後に至り、相当の改良が加えられ、その製法も機械的に変わりました。その頃、現在の東金町8丁目江戸川沿岸の旧金町関所跡付近(葛飾橋上流)に金町煉瓦株式会社が近代的設備をもって製造を開始しました。分工場を設けるまでに至りますが、大正7年に渋沢栄一、益田孝など財界有名人の経営する日本煉瓦製造株式会社と合併、その後まもなく閉鎖されました。

明治の初期は煉瓦が近代産業だったんですね。


小菅の煉瓦製作所


http://sasa06.blog92.fc2.com/blog-entry-568.html


この建物、もうないのでしょうか?


家からチャリで近いので、現存するなら見に行きたいところですね。


この写真が掲載されているFOLDING BIKE TRIPの記事は、2012年なのでもうないかなぁ。


近いうちに探索します。






金町の煉瓦製作所
http://homepage3.nifty.com/kounomura/retro/katsushika/kanamachi.html


金町の煉瓦といえば、旧三菱製紙の工場が有名ですね。


これももうないんですよね、たしか。










小菅も金町も、どちらも近代化遺産に登録できた建物ですね。


なくなっていたとしたら、もったいない話です。




[大人の新小岩] 普通の1,000円カットじゃない!77歳。母と同世代のおばちゃんに、髪を切ってもらう。

新年を迎える前に、髪を切りに行った。


そんなにおしゃれにこだわるわけじゃないから、新小岩駅北口の1,000円カットだ。


でもここは、そこらへんにある10分1,000円のカットとは違う。


古いシャンプー台。備え付けの鏡。店の作りが昭和レトロ。


駅前だけど古い建物の1階の奥まったところにあるこの店は、通りすがりではなかなか気づかない。


そんな店で、混まない平日はおばあちゃん一人で切り盛りしている。


「最近ガタが来てる」 なんて言うけど、いたってお元気。一日中の立ち仕事も苦にせず、午前8時から夜8時まで。


「忙しくてときどきお昼食べるの忘れちゃう」と言って笑っている。




お店の看板には「10分1,000円カット」って書いてある。


でもおばちゃんは気にしない。時間を使って髪を切る。ヒゲも剃らない、シャンプーもない、ただ髪を切るだけだけど1時間近くかけちゃう。

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話も軽妙。


故郷の福島、東北の地震で原発事故の避難地域になっちゃったはなし。


お孫さんが福島で美容師になったはなし。


おばちゃんのお母さんが98歳で、お元気に農業をしているはなし。


住んでいる公団住宅に空き巣が入ったはなし。


そして、亡くなって20年になる旦那さんのはなし。


どんなはなしも、朴訥とした東北弁で、淡々とそして明るく話す。


髪を切られながら、おばちゃんの話にあいづちを打つだけだけど、なんだか楽しい。


どことなく母親に、髪をいじられているような心地よさがある。


おばちゃん、77歳。


来年も元気でいてね。


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